いよいよ「深見東州と世界の友人コンサートツアー・日本武道館」まで、あと1週間になりました。ここに来て、新聞広告も出ていました。

名古屋ではジミ・ジェイミソンとの共演でしたが、今回はマイケル・ボルトン、ピーター・セテラというグラミー賞を受賞した、全米トップシンガー二人と深見東州先生は共演されます。

私も、ワールドメイトの仲間数人と一緒に行ってきます。超豪華なアーティストの共演は、興奮と夢のようなひと時になるでしょう。そして武道館に行くのも久しぶりで嬉しいです。

今日は、深見先生の世界の友人、ピーター・セテラについて、少し紹介しましょう。

 

ピーター・セテラ

 

彼は、シカゴというアメリカのブラスロックバンドのメインボーカリスト、兼ベーシストでした。初期からのメンバーであり、一番全盛期である1985年、ソロに専念するためにシカゴを脱退します。が、そのあともソロで大ヒットナンバーを出し続け、現在まで活躍しています。なを、シカゴのレコードセールスは、1億2千万枚を超えるそうです。

また、ピーターセテラが作曲した全米No1だけでも、シカゴ時代に2曲。ソロになって2曲と、計4曲あります。

1976年、シカゴの時代に「愛ある別れ」で、グラミー賞にも輝いています。

また、ソロになっても、1987年「愛の栄光」で、グラミー賞にノミネートされました。

とにかく、その歌声は美しく、「ミリオン・ダラー・ボイス(100万ドルの声)」と評されるのもわかります。

まずはシカゴ時代の曲から、数曲聞いてみましょう。私は、特別シカゴファンではありませんが、でも、ヒット曲の数々は、よく耳にしました。幸い、ワールドメイトの知人が、私よりも詳しいので、いろいろ参考にしました。

まずは、初期シカゴの最初のヒット曲「クエスチョンズ67/68]」です。こちらはリーダー格のロバート・ラムとピーター・セテラの二人で歌ってます。

 

 

1969年のパリでのライブ映像ですが、ピーター・セテラが若いですね。60年代の雰囲気がプンプン漂ってます。ちなみに作曲はロバートラムです。

続いて「長い夜」。こちらは聞いたことある人も多いでしょう。世界的に大ヒットしました。ピーター・セテラのボーカルです。

 

 

これも1970年の初期の頃のライブ映像ですね。ロバート・ラムの作曲の、とてもかっこいいロックナンバーです。

次は、ある意味シカゴで一番有名な曲かも知れません。

「サタデー・イン・ザ・パーク」です。日本でもCMやラジオでよく流れていたと思います。

 

 

ボーカルをロバート・ラムが歌ってます。この映像にはピーター・セテラはいないようです。シカゴの最初の全盛時を代表する名曲ですね。

そして次も素晴らしい曲です。シカゴのメンバーのグラミー賞受賞(Best Pop Vocal Performance By A Duo, Group Or Chorus)となった、「愛ある別れ」です。

 

 

しかもこの曲は、シカゴで初の全米No1ソングになりました。作曲、ボーカルはピーター・セテラです。こういうのを名曲というのでしょうね。

ここでは、ピーター・セテラはアコースティックギターを弾いてるようです。

 

シカゴというバンドは、その名のとおりシカゴ出身なのだそうです。1969年にレコードデビューして以来、30数枚のオリジナルアルバムを出し続けている、とても息の長いバンドです。でもイギリスのローリング・ストーンズには負けますけどね。彼らは昨年50周年記念ライブを行ってましたから、上には上がいますね。

ワールドメイとの知人によると、ピーター・セテラもいた1970年代前半まではブラス・ロックと呼ばれる、ジャズっぽいトランペットなどのブラスセクションをフィーチャーした音楽だったそうです。この頃出したアルバムは5作連続全米No1となります。

当時はチェイスの「黒い炎」に代表されるようなブラスロックが流行っていたようです。ただその後、1070年代の終わりから80年代の初めまでヒットに恵まれず、シカゴは低迷します。

 

そこに登場したのがデイヴィッド・フォスターという大物プロデューサーです。彼は、グラミー賞を15回受賞するなど、プロデューサーとして、作曲家として、マイケル・ジャクソン、アース・ウィンド・アンド・ファイアーなど数多くの大物ミュージシャンとの間に実績を残してきた大御所です。

シカゴは彼のプロデュースのおかげで見事に復活を遂げます。復活どころか1982年発表の「シカゴ16」、続く「シカゴ17」とアルバムが超大ヒットとなり、特に「17」は700万枚というビッグセールスになります。ピーター・セテラが在籍したのは「17」までですが、商業的には「シカゴ18」、「シカゴ19」までヒットしています。

デイヴィッド・フォスターはピーター・セテラのソロもプロデュースしていますので、気があったのかもしれませんね。シカゴでは、それまでのロバート・ラム中心の作曲から、ピーター・セテラを積極的に作曲に参加させたそうです。その結果が1982年の「素直になれなくて」(Hard to Say I'm Sorry)の大ヒットにつながります。

この曲は、ピーター・セテラとデイヴィッド・フォスターの共作で、この曲から、今までのシカゴの路線と違うものになっていったそうです。シカゴとしても、ピーター・セテラとしても2曲目の全米No1を獲得します。そして、全盛期を過ぎたと言われていたシカゴが、路線を変えて、過去を上回る最盛期を迎えることになります。

それを考えると、デイヴィッド・フォスターはシカゴを蘇生させただけでなく、ピーター・セテラの曲づくりの才能を見出して開花させたのかもしれません。

では、ここで1982年の「素直になれなくて」(Hard to Say I'm Sorry)を聞いてみましょう。こちらはサントラや数々のCMにも使われていました。私のまわりのワールドメイト会員のあいだでも大変人気の高い曲です。まずはスタジオ録音版から聞いてみましょう。

 

 

次は、プロデューサーのデイヴィッド・フォスターが、彼の友人を集めたコンサートで、ピーター・セテラと共演している映像です。素晴らしいヒット曲のメドレーに酔いしれてしまいますね。ちなみに一曲目から「素直になれなくて」「君こそすべて」「グローリー・オブ・ラブ」です。

 

 

続いては、「Love Me Tomorrow」です。こちらもデイヴィッド・フォスターとピーター・セテラの共作で1982年にヒットしました。こちらは1984年来日の、日本武道館での公演からです。かなりレアな映像ですね。

 

 

ちなみに余談ですが、ワールドメイトの知人に聞いた話では、「チェイス」は「黒い炎」含むデビューアルバムが全米で年間1位となる快挙を成し遂げたものの、その後あっといまに解散し、再結成されるけど飛行機事故でメンバーが死亡したそうです。

しかし、その飛行機になぜか乗らなかったメンバーがいて、その人らがサバイバー(生き残った人、助かった人)というハードロック・グループを結成したそうです。ロッキー3やロッキー4のテーマ曲で、「アイ・オブ・ザ・タイガー」「バーニング・ハート」などの世界的な大ヒットがあります。

先日、深見東州先生といっしょにコンサートを行ったジミ・ジェイミソンが在籍していたバンドだったんですね。余談でした。

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