オペラ公演を成功に導く深見東州先生の能力

ワールドメイトの活動と並行しながら、いくつもの芸術活動、創作活動に取り組まれる深見東州先生ですが、2002年から2011年の10年間は、超多忙な合間を縫い、必ずオベラを上演されてました。それも、ほとんどは主役をつとめられています。その当時は、オベラがどれだけ大変なものなのか、よくわからずに観ていました。まあ今もそれほど変わりませんが。

オベラの上演には、大きな難題やリスクが多数ともなうと言われています。初日の公演に至るまでには、苦痛に満ちた、ときにケンカごしの努力がいるとさえ言われます。当然のことながら、主役クラスの歌手は、もっとも大きな負担でしょう。プロなので当然のこととはいえ、すべての歌詞を暗譜し、それも様々な外国語で覚えなければなりません。そして、曲にあわせて、感情をコントロールしながら上手に表現し、正確なタイミングで、歌唱と演技を同時に芸術的に行わなければなりません。しかも、声というのは、楽器よりもその日の調子に左右されやすいでしょうから、自己管理も大変だと思います。そうやっていても、リハーサルでは、さまざまな欠陥が指摘されたり、不具合がでてきたりするそうです。それらを、なんとか本番までに調整し、改善できるものは改善しなければなりません。みな、緊張しているでしょうから、ときに感情の対立が出たり、意地の張り合いになったり、いろいろなことがおきて、そのためにスター歌手を揃えていても、本番では紋切り型に終わってしまったり、逆にみなが一つの方向へ一丸となると、思ってもみなかったようなアイディアが出てきて、予想以上に素晴らしい、高い芸術性のあるものになったりするそうです。そのように、オベラを上手に仕上げるのは、賭けに近いことだという人もいるそうです。

もし、オベラの製作をするキャストたちの能力を最大限に高めていける、そんな活気をつけることができる人物がいれば、それは素晴らしいことでしょう。私は、もちろんオベラの舞台裏の稽古風景など、見たこともありませんが、深見先生はじめ、いろいろな人から聞いた話を総合すると、おそらく深見先生こそ、そういう人なのではないかと思えてきます。ワールドメイトでは、皆が沈んでいる雰囲気のときには上手に気持ちを奮い立たせ、元気にする場面に何度も遭遇します。深見先生という人は、相手の心の状態が手に取るようにわかり、どうすれば元気にできるのか、やる気を引き出せるのか、一丸となれるのか、そのやり方がすぐにわかり、すぐに実行に移して成果に出せる人だと思います。だからこそ、毎回数カ国の外国人と日本人をまとめて、あれだけのオベラを短期間で、素晴らしい出来栄えに仕上げ、本番ではいつも大成功になるのだと思います。

プラシド・ドミンゴは今世紀のオペラ界最高のテノール歌手

実は、このたび来日するプラシド・ドミンゴも、そのような人物なのだそうです。ドミンゴがリハーサルにいるだけで、共演の歌手に芸術的な想像力や成果が現れることがあるそうです。また、だらけきったキャストが、ドミンゴが来ただけで、劇的に良い感じに変身してしまうのだそうです。当のドミンゴ自身は、べつに独断専制的なことを言ったりすることもなく、それどころか彼の極めて低姿勢な姿に皆が驚くそうです。はじめはドミンゴの名声に気後れするそうですが、彼が親切で控えめな仲裁者であり、チームに溶け込むことを大事にすることを、すぐに理解できるそうです。それでいてドミンゴ自身は、いつもオベラの役に果敢に挑戦して、今世紀のオベラ界最高のテノールとしての評価を得ていくのでした。

オペラの歴史におけるプラシド・ドミンゴの評価

私はモーツァルトやバッハの演奏を時々聞きますが、オベラに関しては、ワールドメイトに入会するまでそれほど関心がありませんでした。ワールドメイトの深見東州先生がオベラを始められたというので、それで聞いてみようかなと思ったのが始まりです。

オベラの歴史については詳しくありませんが、今日のようなオベラの基を築いたのは、マリア・カラスとプラシド・ドミンゴだという専門家が多いようです。二人は、それまでのオベラに音楽と演劇の一体化を、今ではあたり前になっているのでしょうけど 、もたらしたということです。マリアカラスは、それまでのオペラに高度な演劇性を持ち込み、ドラマとしてのオペラ歌唱法を編み出したと言われているそうです。ドミンゴは、そのカラスが先頭に立った革命を、それをさらにテノールの域にまで広げたと言われています。テノールの役割や位置付けを確立し、テノールの存在に大きな影響を与えたということです。そして、20世紀において、エンリコ・カルーソーと並んで、偉大なはたらきをしたという高い評価を得ています。

ドミンゴは普通の演劇でも通用する円熟した俳優であり、また、そもまでのオベラの役に新しい解釈をもたらしたと言われています。イギリスのコベントガーデン王立歌劇場の元支配人、ジョン・トゥーリィはドミンゴを評して、「彼はハンサムで、素晴らしい声の出る喉を持った男です。並ではない、本当に並外れた、素晴らしい音楽的才能に加えて、自分の声を演技の中でも生かす能力を持っています。これは誰にでもできることではありません。彼は、演じる人物を深く考察し、歌手として役者として再現します。それはもう注目に値し、想像力をかきたてるほどの、本当に人を夢中にさせる演技です。」

ドミンゴのレパートリーは幅広く、歌ったオベラの数は140を超え、イタリアオベラとフランスオベラのほとんど、ドイツオベラのワーグナー、チャイコフスキー、そして現代作品と、エンリコ・カルーソーも凌ぐ、前人未到の域に達しています。そして、どの役でもたいへん質の高い演技と歌唱を行い、オベラ界で最も偉大な芸術家と言われています。ドミンゴと一緒に仕事をしてきた演出家たちは、ドミンゴが、演じる役にはまりこみ、役そのものになってしまうことに驚くそうです。ドミンゴは、「風邪をひいたり何かで体の調子が悪い時に一番困るのは、役に身をまかせることができないで、つい技術に頼ろうとすることだ。だからかえって疲れて欲求不満が生じる」と言ったそうです。普段の調子の良い時は、いくら演じても疲れをしらず、その舞台上にいるのはプラシド・ドミンゴではなく、オテロであり、ジークムントであり、カヴァラドッシであると言われているほどです。実際にカーテンコールで、ドミンゴが素晴らしい拍手を受けるとき、観客が「オテロ、オテロ、」と叫ぶこともあるそうです。演じたドミンゴではなく、そこに、オテロそのものを感じたのでしょう。これはすごいことだと思いました。

ドミンゴとともに歴史に残る傑作を作ってきた演出家のピエロ・ファッジョーニは、ドミンゴのことを、「彼は闘牛士に襲いかかる牛のようにどの役にも突進し、舞台のたびに我を忘れて役に没頭し、歌うことで自分を解放するのです。歌っていて疲れてしまうとか、肉体的に何らかのストレスがかかる、という印象を持ったことはありません。とにかく自分を解放できるらしいのです。歌うことでのみエネルギーを発散しているのでしょう。まるで火山が噴火することで、すっきりするのと同じですね」と評しているそうです。火山の噴火はともかく、ドミンゴが役に身も心も没入していることは、よくわかりました。ワールドメイトで、深見東州先生も、あらゆることに没入されてきましたが、やはり何時間でも疲れを知らずに活動されていました。また、そんな時に素晴らしい作品が生まれたり、仕事のアイディアがひらめいたりするそうです。そういうところは同じだなと思いました。

深見東州先生もプラシド・ドミンゴも、天性の声の美しさを持つ

私の最近の個人的な歌の好みとしては、声がきれいな人の歌を好きになる傾向があります。もちろん、ワイルドな声や個性的な声にも好きな歌手は多いですし、ハスキーボイスもマイケル・ボルトンは好きになりましたけどね。それで、ワールドメイトに入会して初めて深見先生の歌声を聞いたとき、何てきれいな声なんだろうと思った覚えがありました。なんともいえないような澄み切った中にも深みがあるいい声だなと思いました。そして歌い方は違いますが、今回深見東州先生と共演するプラシド・ドミンゴの声もまた、とても美しい声です。最近の歌でも、まだまだ衰えない美声を聞かせています。

ドミンゴの声は、いろいろに表現されているようです。荘厳でなめらか、表情豊かなリリコスピントの声とか、深みがあって審美的、ビロードのように柔らかい声とか。ドミンゴ自身は、イタリアの批評家がいう褐色の声という表現や、チェロのようなリリックな声とかいう表現が好きだそうです。ふと気がつくと歌いながらチェロを弾いているように体が動くこともあるそうです。

そして、ドミンゴは、様々な色合いの声が出せるそうですが、それは感情や性格を声に映し出すそうです。舞台やCDを聞けば、ドミンゴがアリアによっても、登場人物によっても、作曲家によっても、声の音色を変え、基調すら変えているのがわかるといいます。また、歌詞の扱い方に関しても、単にきれいな発音で歌うという以上の、内容を噛み砕いて、歌詞を絞り出すように歌うと言われているそうです。歌詞に完璧なリズムと音楽性があるのだそうです。ドミンゴ以降のテノールは、歌詞の持つ力を無視できなくなったとさえ言われています。

バリトンから出発したドミンゴ

ドミンゴは、指揮やピアノの名手でもあり、そういうものもドミンゴの音楽性を並はずれたものにしている要因だといわれているようです。ワールドメイトの深見先生も指揮を執り、ビアノ、バイオリンなども以前は演奏されてましたので、似ている部分がありますね。さらに作詞作曲までされていますが。
もともとはハイバリトンから出発したドミンゴは、バブロッティのように口を開けばそれがテノールのテッシトゥーラになるような、生まれつきのテノールではなかったのでしょう。そのテノールのテッシトゥーラを自分のものにして声を形成するには、一段一段、段階を追って戦いながらものにしなければならなかったそうです。最初は声を軽くして高音出せるようにすることだったそうです。そして、妻のマルタの協力で、呼吸法を鍛え、どの音域でも同じように響くようになり、高音部も他の音域と同じように豊かな音色で出せるようになったそうです。

今回一緒に来日する指揮者のユージンコーン氏は、ドミンゴのことを「ハイCやハイDを含む、高音テノールの音域を生まれつき備えていたわけではありませんが、カルーソーがマスターしたのと同じ音域で、BフラットやBナチュラル、ときにはハイCまで歌えるようになりました。そして、本来ならば自分の声に合わない役でも歌える歌手がいますが、プラシドも取り入れた空気を有効に活発に利用し、オテロを演じることができました」と言っています。ドミンゴは、自分が望む歌い方への道は必ず見つかると言ったそうですが、声楽家の持つ、声を磨き発声をマスターして、細かいところまで磨き上げられた声を楽器のように自由に操れるようになりたいという願望を、実現させることに寄与したと、言われているそうです。

 ドミンゴは騎士道精神を持つ紳士

ワールドメイトでは、「御魂は見たまま」という言葉があり、深い意味がありますが、また世間には、40歳になれば自分の顔に責任を持て、という言葉もあるように、積み重ねた人間性が顔や姿に出るというのは、たしかにうなづけるものがあります。3大テノールの面々も、個人的な印象ですが、みんないい顔してると、心から思います。パヴァロッティは陽気な社交家のような、カレーラスはクールな貴公子のようで、ドミンゴは若い頃は映画スターのようでしたが、今は、ワールドメイト風にいうと聖者のような趣を感じています。まあ、私が勝手に抱いているイメージに過ぎませんが。

ドミンゴは騎士道精神を持つ紳士、完成された教養のある音楽家であると言われているそうですが、前に紹介した地震のときの行動、そして東日本大震災の後に来日したときのことなどを思えば、本当の意味で愛情にあふれる、温かい人柄なのだろうと思います。そして、バヴァロッティも歌う前に祈りを捧げていますが、ドミンゴも熱心なカトリック信者で、舞台ごとに聖人セント・セシリアに祈りを捧げているとのことです。セシリアは神を賛美するのに楽器を奏でながら歌っていたそうで、音楽家の守護聖人とされています。

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スーパースターになった後もチャレンジし続ける努力家

そんなプラシド・ドミンゴですが、1980年代後半から1990年代に、大衆路線のエンターテインメントな世界において世界的大スターに上り詰めた後も、一方では、クラシック音楽界から遠ざかるのではなく、さらに深く極めようとし、また貢献もしています。まず新たに指揮者としての活動が始まります。歌えなくなった後は、フルタイムの指揮者になりたいと思っているそうですが、指揮者としてもかなり成功しています。

さらに90年代になると、今度はふたつの歌劇場の芸術監督にも就任しました。ただでさえ、超過密スケジュールで動いているのに、さらにできるのかと思われたそうですが、数年で、ワシントン・オベラ(現、ワシントン・ナショナル・オペラ)をアメリカでトッブクラスにしています。2002年には、ワシントン・オベラを率いて来日公演も果たし、2003年から2011年までは総裁を務めました。
また、1990年代は、歌手としてもさらに新境地を開いていきます。それまでも様々な役に挑戦してきたドミンゴですが、さらに役柄は増えていき、なかでもチャイコフスキーの「スペードの女王」のゲルマン役のように、これまで歌ってきたどの作品の作曲家とも違う音楽、様式に、しかもロシア語を勉強して歌うということにチャレンジします。普通なら、ドミンゴほどの世界的大スターになり、経歴もキャリアも頂点を極めた人が、ここまで努力するなんてことは、まずないそうです。メトロボリタン歌劇場のロシア人コーチは、その稽古を見て、謙虚で学ぶことに貪欲で、人の話に耳をかたむける人で、とんでもなくすごいスーバーマンだったと言っています。

そもそもドミンゴは、1859年、18歳でプロとしてデビューしたあと、27歳でウィーン国立歌劇場とメトロボリタン歌劇場で、28歳でスカラ座、30歳でコベント・ガーデンでデビューします。本人はついていたと言ってますが。

そして、1970年代には若手ソプラノでも屈指の存在となり、次々とスケジュールを入れるために声を痛めるのではないかと心配されるほど働いていたそうです。そのころから、とてもハードな日々を送っていたのです。マリア・カラスは、そんなドミンゴの実力を賞賛しながらも、歌う回数が多すぎることを心配したそうです。ビルギッド・ニルソンも、プラシドのファンだったそうですか、「ブラシドは6ヶ国語で素晴らしい歌を歌いますが、その6か国語のどの言葉でも、「NO」という意味の言葉を習っていません」と言ったほどです。この6カ国語で歌うところはワールドメイトの深見先生も同じですね。でも、その後数十年経って、「私たちは全面的に間違っていました。プラシドは、60歳になろうとしているのに、ほら、まだ歌っているのですよ」と、潔く過ちを認めたそうです。そして、74歳になる今もまだ歌い続けているわけですね。まさに驚異的な情熱と体力です。

ドミンゴに親しい人が言うには、生まれつきの頑張り屋で、遺伝もあるのではないかということです。ドミンゴの両親も歌手として活躍していましたが、母はドミンゴがお腹にいるときに、9ヶ月になってもまだ歌っていたそうです。そして両親ともに世界をまたにかけて、疲れも見せずにオペレッタ巡業を続け、キャンセルも絶対にしなかったそうです。さぞかしタフな両親だったのでしょうね。

それから、ドミンゴには伝説的な才能があるそうで、1回リハーサルをすれば、舞台全体の流れを頭に入れることができたそうです。そのおかげで、たくさんの公演に出演できたのかもしれません。それからピアノも上手なため、コーチがいなくとも自分自身で歌のレッスンができ、さらには、めまいが起きるほどのスピードで台本を覚えるという、驚異的な記憶力があるそうです。そういうこともタフなスケジュールをこなせる要因の一つでしょう。その記憶力は人との会話においてもそうで、人の顔や名前を忘れず、会話の内容も、何年経っても記憶しているそうです。まるで、ワールドメイトの深見先生のことかと思ってしまいますが、20年くらい前の話では、ドイツ語とロシア語以外でしたら、一週間で台本を覚えることができたそうです。頭もとても良い人なのですね。

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