プロゴルファー誕生100周年記念として開催されたISPS男子シニア第2戦

今季国内男子シニアツアー第2戦「プロゴルファー誕生100周年記念 ISPS HANDA コロナに喝! シニアトーナメント」が開催されました。

今年はプロゴルファー誕生100周年ということですが、日本のプロゴルファー第1号は福井覚治という方だそうです。神戸の六甲山の開発に尽力し、「日本ゴルフの開祖」とも呼ばれる英国人のアーサー・ヘスケス・グルームが、六甲山にゴルフ場を開設したのが1901年(明治34年)です。さらに2年後の1903年に、全9ホール(翌年には18ホールに)の「神戸ゴルフ倶楽部」を創設しました。

話は逸れますが、その100年後の2003年、日本最古のゴルフクラブである神戸ゴルフ倶楽部100周年の時、深見東州先生が立ち上げた日本ブラインドゴルフ協会の大会が、そこで開催されました。

その時の、「最初の100年はゴルフの普及。次の100年はゴルフの社会貢献」という話に感銘を受け、ブラインドゴルフ以外にも、ゴルフの社会貢献の道を模索するようになり、現在のシニアゴルフとの出会いにつなっがって行く転換点となりました。

話を戻しますが、アーサー・ヘスケス・グルームと並んで、日本のゴルフの発展に貢献したのが、神戸ゴルフ倶楽部会員ウィリアム・ジョン・ロビンソンでした。彼が1904年(明治37年)、兵庫県に日本で2番目となるゴルフクラブ、横屋ゴルフ・アソシエーションの建設を企画した時から、近隣の農家の福井藤太郎氏はグリーンキーパーをしていました。その次男で12歳の福井覚治氏も専属キャディとなり、ロビンソンは彼にゴルフを熱心に教えたそうです。

その後、1920年(大正9年)に創立された舞子ゴルフクラブにおいて、初めてプロ兼キャディー・マスターとして採用されたことで、国内プロゴルファー第1号となります。ただ、その当時はクラブの修理、アマ指導など、全国を回って多くのプロを育てることかメインだったようです。

それから6年後、第一回日本プロ選手権が開催されますが、出場したのは福井覚治氏ら、まだわずか6名という時代でした。福井氏に指導された宮本留吉氏がプレーオフの末に師匠を破り、初優勝を遂げています。

ちなみに、現在の日本プロゴルフ協会会長の倉本昌弘プロは、その福井氏の息子である福井康雄氏に師事したそうです。いうまでもありませんが、倉本氏がプロとしてデビューすると、すでに活躍をしていた 「ANO」と肩を並べるほどの活躍でゴルフブームを巻き起こし、国内男子ゴルフの全盛期を担った一人となりました。運営面でも、選手会長を長年勤めながら、日本のゴルフ界の組織改革に大きな成果を上げ、2014年からは現役選手としては初の日本プロゴルフ協会会長に就任しています。

今回そのような、感慨深いプロゴルファー誕生100周年を記念するシニアトーナメントだったわけですね。

シニアの部の結果

優勝は、初日からビッグスコアでトップに立った鈴木亨プロが、二日目、最終日と順当に伸ばして逃げ切り、優勝を遂げました。しかし今季のコロナ禍にあって、体調を崩したり、練習にも苦労していたようです。先月の開幕戦前からラウンドを始め、「たぶん一番ラウンド数の少ないプロゴルファーかもしれません」「試合がないとラウンドしたい、という気持ちにならないですね。開幕戦後、登別での試合もあり、試合の感じを思い出せました」と語っていたそうです。

優勝が決まってからは、「(プロは)そんなに格好よいとは思いません。僕にとっては仕事であり、生きるためにゴルフをしています。人を喜ばせたいとか、感動与えたいとかはなく、結果的にそう結び着けられたら良いのですが…。だからこそ、試合がないという状況だと身にならないというか・・。仕事の場を与えてくださった半田大会会長には感謝しています。主催者あってのプロゴルファーというか、本来なら来週のマルハン太平洋シニアまで試合が、仕事がなかったわけですからね」と、感謝の気持ちを表していたそうです。

最終日は、1220人のギャラリーが入場したそうですが、初日2位の渡辺司プロは「最終日最終組で、やっぱりギャラリーがいる中でプレー出来るのは良いよね。強い人たちと一緒になって戦っている自分が居るのが嬉しい」と、ギャラリーが見守る中でのプレーを楽しんでいたようですね。

スーパーシニアの部の結果

初日の首位に立った佐野修一プロも、やはり今回のコロナ禍の中、苦しんでいた一人でした。「本当に有り難いよ。助かるよ」「何歳になってもプロはプロ。トーナメントがあってこそなんだよ」と語っていたそうです。また初日に首位に立ったことを聞かれると、「俺が首位? そんな順位なんかよりも(シニアの)プロたちが皆、一生懸命になって練習できる環境、トーナメント開催をしてくれることに感謝しかない。誰が首位でもいいんだよ」と応じていました。

トーナメントの開催がなかなか決まらない中、日々練習することを心がけているプロたちも、練習に身が入らない日々だったようです。そこで急遽開催が決まった「ISPS HANDA コロナに喝!シニアトーナメント」の開催は、「プロゴルファーとしての自分を見失いそうだったけれど、『方向性』を着けてもらったと思う」と、苦しかった日々の心境を吐露していました。

最終ラウンドでの優勝争いは、連覇を狙う福沢孝秋プロと、初見充宣プロが10アンダーで並び、初見プロがプレーオフを制して今季初優勝を果たしました。「コロナ禍にあって様々な趣向を凝らして試合を開催してもらえるのは本当に有り難いことです」と語っていたそうです。

有観客試合開催に至る、倉本PGA会長と半田晴久ISPS会長の決断

これで、7月末の開幕戦から2試合連続で、有観客試合を無事に終えました。いずれも、国際スポーツ振興協会の半田晴久会長(深見東州先生)による提案で急遽開催されたわけですが、倉本PGA会長が、共通した強い意志を持っていたことを忘れてはいけませんね。倉本会長が、4月上旬に男子シニア開幕戦を沖縄で有観客で行うと発表した時には、かなりの懸念が持ち上がりました。結局、スポンサーとも協議した上で延期になりましたが、その頃から有観客試合へのこだわりを感じましたね。

もちろん、シニアゴルファーたちの職場の確保が第一だったと思います。何しろゴルファーは年俸制ではありませんので、試合が開催され賞金を稼がないことには、ツアープロとしてやっていけなくなる個人事業主ですからね。レギュラーツアーで活躍し、大手企業と契約をしているプロならともかく、それにしても試合がなければ賞金も入りませんからチームの維持も困難になり、広告の費用対効果も下がり、企業との契約の継続も危なくなるかもしれません。やはり大変なことだと思います。

当時、倉本PGA会長は、「やらないという判断は簡単。やめてしまうと再開の判断はより難しい。批判も受けると思うが、全ての責任は私にある。対策には最大限の努力をしたい」「もしも感染者が出た場合、ゴルフ界全体のイメージダウンになる。ゴルフ界全体を背負っているという観点で立ち向かう」との強い決意を表明していました。

そして今回の2試合開催に関しては、主催者代表の半田晴久会長が、万が一感染者が出た場合の具体的な補償にまで言及し、責任の所在と覚悟を明確に示しました。そのように倉本PGA会長と半田晴久ISPS会長がタッグを組み、PCR検査体制をはじめ、独自のありきたりではない感染症対策も工夫し徹底して行うことで、できる限り本来の形に近いトーナメントを無事開催することができたのだろうと思います。

ところで今回の大会は感染症対策だけではありません。コロナ禍を忘れるくらい、元気になる楽しい企画もたくさん用意されていたようです(笑い)。

たくさんの笑顔があふれる大会になったようですね。国内の男女ゴルフツアーも、このまま笑顔が戻ることを期待します。

おすすめの記事
最近の投稿