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2015-04-18

ワールドメイトでは、問題があるときは、神様に向かうチャンス


先日の「ワールドメイト いいぜ いっせい! 伊勢・中部エリア本部」の奉鎮祭の時に、「(人に)問題があるのは(おきるのは)、神様を忘れないため」そのようなお話を深見先生がされていました。この言葉の意味は深いです。

人間というのは、なにか不安な問題や、深刻な悩みを抱えている場合が多々あります。それはひとつひとつ解決していくしかないのですが、なかなか思うようにいかないし、解決の糸口もないように思えて、日々不安なまま、戦々恐々として過ごすこともあります。それが続くと、神経を苛み、病気になる人もいるでしょう。

でも、ワールドメイトで学んでいくと、そういうときは神に祈ります。真剣に祈るし、何時間も祈ったりします。これは神に逃避しているだけではないかと、そういうふうに思う人もいるでしょうけど、そうではありません。実際に祈り続けている人は、それがわかるのですが、どうなるかというと、祈りの力が強くなります。その結果、祈ったことが、よりはやく結果が出てくるようになります。すぐにそうなるわけではありませんので、一定以上の時間、年季も必要です。また、そもそも神に祈るという方法を知らないと、なかなか長続きしませんので、基本となる祈り方の知識は必須です。

そのように、人は問題があるから、困難なことを抱えているから、神に真剣に祈るようになり、その結果、祈りの力が強くなり、神への貫通力が出てくるのです。何も問題がない人、深刻な悩み、神経がまいりそうになるような問題、不安に心が常に脅かされてしまうようなことがない人は、ある意味でとても幸せと言えます。それが人間の幸福の状態だという人もいるでしょうし、実際そうかもしれません。

しかしそういう幸せなときというのは、神さまに心が深く向かうことが少ないです。神様に感謝する気持ちはでてくるかもしれません。それはすばらしいことですが、でもおそらく始めだけでしょう。神様に心が向かわない分、真剣に必死で祈ることがないため、祈りの祈願力、祈りのパワーが強くなることも無いのです。大きな問題があるとき、困難なことがあるとき、人間は神に真剣に祈ります。その結果神様との距離が縮まり、祈りの念力が強くなり、祈り貫通力が強くなります。結果、願ったことが解決するようになり、そうすると、最低でも自分で自分を救うことができる人間になり、さらに周囲の人の問題まで救えるようになる可能性もあります。

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人間というのは、悲しいかな、なにかそういう問題でもない限り、真剣に神に向かうことは無いようです。幸せを感じているときは、神さまを忘れてしまうようです。そして、そのうちにだんだんと環境が行き詰まってしまうのです。だからワールドメイトでは、家庭も仕事もすべての行き詰まりは、そういう神へ向かう気持ちを忘れてしまったところからくる、神の御守護の弱まりとでも言うのでしょうか、そういうふうに考える人が多いです。実際にそうではないかと、私の体験からも、そう感じます。

そういうことで、ワールドメイトでは、問題があるときは、神様に向かうチャンスと考える人が多いです。もちろん、常に問題だらけだと、現実的に押しつぶされで参ってしまうでしょうから、その人に応じて、困難も幸せなひと時も交互に来ているように思います。そうやっていつの間にか、祈りが成長し、信仰心が極まっていくように思います。

世の中を見ても、大変な環境のなかで過ごしたり、思い通りにいかない青春時代を送ったような人が、とてつもない大物になることが多いです。それはやはり困難が大きく、環境が厳しいからこそ、そこから勝ち上がるために特別な能力が磨かれ、才能が開花するのでしょう。特別な信仰がない場合でもそうですが、ワールドメイト会員のように信仰を持つ人でも、やはり同じではないかと思います。

本当は、普段から問題があろうがなかろうが、常に祈り、神に投げかけ、またそれ以上に圧倒的に皆に良かれと祈り続けていれば、それに応じて、人智をこえた神智によって、人間の努力を超えた圧倒的な神力によって、思いもよらない良い結果になっていくようです。ワールドメイトの深見先生が、そういう方だと思います。だからあれだけ多くのことが同時にできて、多くのすばらしい人が応援してくれるのでしょう。

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