深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトで学んだ神通力の原則

ワールドメイトにおける深見先生のお話しの中で、印象に強く残っているもののひとつが、「何か良いことがあったら、神様のおかげだと思って感謝する」というお話です。そうすることで、神様も動かざるをえなくなるでしょうと言われていました。

これは、私もつくづくそのことを実感いたします。ワールドメイトに入会したてのときは、何か神様の証が出ても、たまたま偶然良いことがおきたのかもしれない、と思いがちです。あるいは運に恵まれたのは、素晴らしい結果になったのは、神仏や守護霊の働きではなく、たまたま運が良かった。あるいは先祖の徳分かもしれないとか、いろいろと考えることがあります。 しかし、せっかく神仏の守護を信じて良いことがおきたのに、そんなふうに考えてしまうと、前々回に書いた霊能者のおばあさんのお話のように、真言に疑問を抱いた途端に霊力を失ってしまったようなことになるでしょう。だから、そういうときでも、「これは神仏のおかげ、守護霊様のおかげですね」と思っていた方が良いわけです。

もしかしたら、本当にたまたま運が良かっただけかもしれません。それでも、「守護霊様のお陰で、神様のお陰で良い結果になって」、といえば、守護霊や神様も動かざるを得なくなってしまうそうです。つまり、神仏のおかげだ、守護霊様のお陰だ、と強く信じていれば、神仏も守護霊も動かざるを得なくなるというのが、法力や神通力の原則なのだそうです。

感謝

しかし、神仏を信じない人からすると、そんな都合の良いことばかり言うけども、神様に疑問を持つ人間が離れていかないよう信じ込ませようとする宗教団体の詭弁だろうと、いう人もいるでしょう。そう思う人は、しかたがありませんが、素直に信じてそれを実行できた人は、していなかったときに比べて、全然違う体験をしています。それが信仰の体験であり、それは気のせいとか、偶然というレベルではなくなっています。なによりも時間がたてば立つほど、個人差はありますが、そう思う方が、思わないときよりも運が良くなることに気がつくと思います。あるいは、運が良いという単純なもの以上に、何かに守られている安心感を感じるのではないでしょうか。感覚的なものですが、私は、それを強く感じます。

また、信仰というのは自分という主体をもって、自分の意思でそうだと思って信じなければ、本当の確信力にはなりませんし、霊力も出てこないでしょう。私はワールドメイトに入会する前から、ずっと守護霊の存在を確信していて、そうすると、ほんとうに良いことがあるので、ますます信じていたのです。宗教の宗派とか、何も関係ありませんでした。ただ、ワールドメイトに入会したあとは、ワールドメイトに深い教えがあったからでしょうけど、今まで漠然と思っていたことが明確になり、いっそう神仏を深く信じることができるようになったと思います。とくに神仏に関することは、やはりそれなりの宗教団体で教えてもらわなかったら、絶対に深いところまで理解できなかったでしょう。そうしなければ、理解が浅い分だけ確信力も意識も弱いわけですから、確実な祈願力も奇跡的な神徳も発揮することがなかったでしょう。神仏に対するわからないことや疑問が減れば減るほど、反比例するかのように、神様への祈願力は増していくようでした。

だから、神仏への疑問を持たせないために、そう思わせるのではなく、神仏からの守護をいっそういただくために、そう思うのだと思います。なんでも神仏のおかげですと思っていると、神仏がどういう存在かが、だんだん体験からわかってきますから、わかった分だけ疑問がなくなり、そうするといっそう守護が厚くなるので、不思議なことがたくさん起きるようになるのだと思います。

そもそも神仏への疑問は誰にでも湧いてくるものです。なぜなら、一般的に神仏は見えない聞こえない存在ですから、わからないことだらけだからです。でも、自分の体験と、そして、正しい信仰の先達の人の導きにより、疑問がどんどんなくなっていくのでしょう。その分だけ、確実に祈願力がついてくるというのが、私がワールドメイトに入会して強く思ったことです。不可思議なることが絶えずできる深見東州先生のような方は、神様に対する確信力や信仰力が、いっときも揺るぐことのない、かつまた究極の次元まで行かれた人なのでしょう。普通は、なかなかそこまでのレベルにならないと思いますが、だからこそ深見東州先生は、人ができないような、次々と驚くようなことができるのでしょう。

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