ワールドメイトで深見東州先生がお話されたことを書いてみます。聖徳太子と仏教に関することで、聖徳太子は三経義疏を著したとされていますが、それは「法華義疏」「勝鬘経義疏」「維摩経義疏」という「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の三経の注釈書になります。聖徳太子は仏教を篤く保護しましたが、なぜこの3つの書を選んだかというと、仏教が神道思想に適合できるようにということで選んだのでしょう、という意味のことを言われてました。

仏教では、女性が不浄なものとして扱われたりしますが、その女性が説いたものが「勝鬘教」です。「勝鬘教」は王の娘で在家の信者であった勝鬘夫人が説いた大乗仏教の教えを、お釈迦様が賞賛し、経典となったものです。女性が説いたことが重要であり、しかも在家信者が説いた経典です。「維摩教」も、出家主義の仏教に対してのアンチテーゼと言えるものです。なにしろ在家信者の維摩居士に、お釈迦様の高弟や菩薩も敵わなかったのですから、在家信者にとって大きな救いとなるお経です。「法華経」は、観世音菩薩等のはたらきで、「法華経」を信ずる者は救われ、莫大な現世利益があることを説き、現実が素晴らしくなることを説いている、他の仏教経典にはない内容になっています。

仏教は脱俗主義的な出家主義で、妻帯を禁ずる教えであり、もしもそれ一辺倒ばかりであれば、神道のもつ聖と俗を区別して共存共栄し、家を繁栄させ、コミニュティを繁栄させるという特質と相入れにくかったのでしょう。そこでその教えにはまらない、神道の特質とも親和性があるこの3つの経典を聖徳太子が選び尊重したことで、仏教は神道が根付く日本の中において変容し、俗との共存要素が現れ、日本化することができたと言われていました。

そして聖徳太子は、民衆を教化するために仏教を取り入れ活用したそうです。神道は経典や教義がないので、民衆を教化するための教えとしては、仏教の方がより役に立つと判断したようです。そして、日本古来からの神道は、皇室祭祀のなかにしっかりと残したそうです。また、儒教の教えも取り入れ、官僚や社会の道徳規範として用いたそうです。そして政治には宗教的なドグマを入れずに、公平な政治姿勢を貫いたそうです。このように神儒仏を区別して共存させ、日本の社会や文化を作ったのだそうです。この現実社会を繁栄させるというあり方は、今日まで続く日本の伝統になっているそうです。

 夢殿
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