深見東州バースデーフェスティバルの充実した3日間も終わりましたので、今日は、ワールドメイトのことを書いてみたいと思います。

まだワールドメイトに入会する前の、相当昔のことですが、以前、あるキリスト教の牧師さんのお話を聞いたことがあります。その方は牧師さんになるくらいですから、神様に対する思いも、とても強いように感じました。その人が、まだ牧師になったばかりの若い頃、神さまに対して、あることを強く祈ったそうです。「私にどうぞ、そのお姿をお見せください」と。

その人は、神の姿も声も聞いたことはないけども、神の存在を確信しているそうです。でも、やはり神の姿を見たい、声を聞きたいと思ったそうです。それで、ずっとそのことを神様に向かって、祈り続けたのだそうです。そして、途中の話は忘れましたが、結局は、神の姿も見えず、声も聞こえなかったそうです。それでも満足するものはあったようで、その後も、熱心な信仰者として、キリスト教の伝道に力を尽くしていたのです。

なぜかその話だけは、何年たっても忘れられず、信仰とはそんなものかなと思っていました。私は、キリスト教には関心がなかったのですが、神様の存在だけは、それなりに信じてました。もちろん、姿も声も聞いたことはありませんでしたけど、神様も守護霊の存在も、小さい頃からなぜか信じていました。ただし、宗教団体や既存の宗教には、どうしても関心が湧かなかったのだけは不思議です。今みたいに、マスコミが宗教を叩いたり、一部の一般人が新興宗教をカルトのようにいうような時代でもありませんでしたけど、毛嫌いこそしませんが、宗教団体に入信しようという気は、さらさらなかったですね。

そんな私が、ワールドメイトにだけは、がぜん興味を惹かれ、出会ってから程なく入会したのは、今思い出しても不思議なくらいの自然な流れでした。ワールドメイトに入会して、確かにここは宗教団体だなと強く思いましたけど、かといって、あまり抵抗を感じなかったのは、今思い出しても不思議な気持ちに陥ります。

しかし、入会して間もなく、ワールドメイトの祭事にて、ある不思議な体験をすることになります。
まず、深見東州先生が登場され、色々なお話をされました。お話の内容はすっかり忘れましたが、話がそろそろ終わりに近づいた時、深見東州先生を中心に、巨大な薄いシャボン玉のようなものが見え始めました。目の錯覚かなと思って、目をこすったりするのですが、やはり消えません。スポットライトもないので、光の加減ではありません。そして、深見先生が動く通りに、その巨大な透明の玉も動くので、固定ライトでもありません。半透明に透き通っていて、表面には光沢があるのですが、玉の中にいる深見先生も、その他のものもはっきり見えます。なんだろうなこれはと思っているうちに、深見先生のご退場とともに、その玉も一緒に移動して見えなくなりました。後で、わかったのは、おそらく深見東州先生の御魂だったのだろうと思います。大きさも、その後のお話で聞いたのと同じくらいでしたから。

普通の人には、おでこのあたりに、20〜30センチくらいの玉があるそうですが、深見東州先生の御魂は、とても巨大で澄み切っていて、部屋からはみ出すほどだということです。

 

御魂

 

その後、今度はワールドメイトの祈祷会になりました。その時、また不思議なことがありました。守護霊交代秘儀という祈祷会でしたが、深見東州先生がやっと登場されると、私は、何にも悲しくもないのに、涙がボロボロ出てきて止まらなくなったのです。な、な、なんなんだろうと思いながらも、深見先生の祝詞は、始まってますから動くわけにもいかず、静かに、じっとしてました。そうすると、頭頂あたりで、どなたかお爺さんの柔和な男性が泣いているのが見えました。はっきりわかりました。そして、以心伝心というやつでしょうか、私の胸に、やっとここまで連れてこれた、役目が果たせて良かった、と、喜びと、名残を惜しんでの気持ちの入り混じった表情で泣いているのが伝わってきました。そうすると、私もその思いに感染して、一層涙が止まらなくなり、今度は本当にもらい泣きをしてしまいました。

これも、後からわかったのは、その時に、今までずっと導いてきてくれた守護霊さんが、新しい守護霊さんに交代されたようでした。もしかすると、前の守護霊さんは、先祖の中でも私に近い方だったのかなと思います。私は、自分のやりたい放題な人生を送ってきましたから、なかなか守護霊さんの思い通りにならずに、てこずらせてしまっていたのでしょう。しかし出来の悪い子ほどかわいいと言いますし、私としては、とっても親しみを感じました。いつも祈ってましたから、余計にそうだったのかもしれませんし、最後に姿を見せ、声を聞かせてくれたのかもしれません。

 

祈り

 

深見東州先生は、その著書「強運」の中で、このようにおっしゃっています。最後にそれを紹介して終わります。

 

神様と仲良くするにはどうしたらいいか、とよく聞かれる。これは非常に簡単だ。誰でもその気にさえなれば、必ずできる。その方法はこうだ。とにかく心を無にして、我を捨てることが大切。そして、そこには神様がいると思って、意を誠にして親しもうと努力すればいいのである。
「全部神様にゆだねます」といった心境である。そして、自分自身の人生を、神様から好かれるような人間になるため、世のため人のために使おうと決心する。そして、それができるようになるべく、精進努力すればいいのである。この思いを1年2年と継続させ、同時にそれにふさわしい行いもする。すると、自然と必要な時に”霊眼”が開けてきて、神様の声が心の奥で聞こえるようになる。実に簡単。簡単すぎて、信じられないほどだが本当だ。

ただ、がを捨てる、継続して思い込むという点が、ちょっとばかり難しいかもしれない。が、最初から一年間やるぞ、と決意してもあまり期間が長いと途中であきらめてしまうので、たとえば、初めはとにかく1週間頑張ってみて、それができたらまた1週間延ばして・・という具合に、少しずつ継続させるといい。

もしかしたら、最初のころ3週間で神様の声を耳にすることができるかもしれないし、頑張って頑張り通してやっと1年目に聞くことができるかもしれないし。神の声へチャレンジするのなら、まずその前になるべく、「1ヶ月頑張りますから、それまでに必ず声を聞かせてください」と、ある程度期限を区切った方が、神様も結論を出しやすい。
ところで、神様の声と言っても、本当は守護霊の声の場合が多い。というのは、神の声を聞くためには、それなりの手続きを踏まねばならないからだ。その点、守護霊は案外、気軽に答えてくれる。総理大臣と直接話をするのは難しいが、市長や町長さんなら話が可能なのと一緒だ。しかし、市長だからといって軽く見てはいけない。総理大臣からの親書を携えて、それを直接、大毒という形で市長や町長が伝えることもあるからだ。だから、守護霊の声だからといっても、それは神の意志を伝えていることにもつながるわけだ。

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