ワールドメイトの祭事に参加したあとは、何か良いことがおきることが多いです。

私の周りでは、「子どもが急に勉強するようになったんですよ」とか、「空気を読めない鈍感な主人が、なぜか周りの空気に気がついて、行動が変わったんです」とか、今回も面白いことがおきています。とりあえず神様の神徳を受けている間に良い習慣を定着させ、それが当たり前になることができれば良いのですが。

勉強というのは、私も学生時代は苦手でした。習慣になるまでやらないとなかなか成績に出てきませんでした。小さいころから、コンスタントにずっと続けるという習慣が無い人、あるいは何かをやると、その分だけ確実に勉強時間が減るという人は、かなりのエネルギーを必要としますが、その習慣から抜け出さないと、なかなか成果が出にくいでしょう。

 

 

そこで、これをなんとか良い習慣に変える方法として、ワールドメイトの御祭りに参加した後に何か変わったときに、その良い行いを習慣化するまで努力を続けたいものです。そうしないと、気を抜いて油断しているうちに、また元に戻ってしまうこともありますから。

良い習慣が身に付くようにと、きっかけを神様が与えて下さっていると考えれば、それを活かせないのはもったいないことです。意志の力で、自分の良くない習慣を変えることができるならば良いですが、なかなか難しい場合が多いと思います。悪い習慣ほど、なかなか改まらないものですから。 私も、ワールドメイトで深見東州先生の話を聞いて、それまでにつちかってきた悪しき習慣のこわさ、そして正しい習慣を身につけることの大切さを、ひしひしと感じましたので、習慣化するまでやることを強く意識するようになりました。

 

ワールドメイトに入会して、その大切さを身にしみて感じるお祈りにしても、初めは、なかなか定着しませんでした。朝一番のお祈りが大事だとわかっていても、眠たいだの、時間がないなどで、なかなか身につきません。しっかり祈りをすると、必ず1日が良い結果になるのに、それでも長年の習慣を変えることはなかなかできません。一進一退を繰り返していました。朝の祈りは、簡単そうで最も難しいことだと思います。ある程度習慣化するまでに15年以上かかった気がします。同様に、掃除とか整理整頓の習慣も、身につくまでにどれだけの長い年月を要したかわかりません。いまだに危うい気がしています(笑)。

しかし、なかなか習慣化できないことでも、諦めずに何度でも奮起し、その度にチャレンジを再開し、習慣化するまでやり通せば、10年かかっても20年かかっても、やがてやれるようになるんだなと思いました。やれなくても悲観しすぎず、焦らないで、必ずいつかやれると信じることですかね。

 

 

内容は少し違いますが、深見東州先生の場合、思い通りにならないことが起きても、それは必ず私の将来にとってプラスになることだと、信じて疑わないそうです。たとえ理不尽なことがあっても、それが将来の自分自身に大きな役に立つことなんだと、信じきられています。だから、本当にその通りになるそうです。普通は、なかなかそこまで信じきることができる人はいないでしょう。小さなことならともかく、本当に腹がたつこととか、酷いことが起きれば、とてもそういう気持ちにはなれません。それに関わる相手を強く恨んだりもするでしょう。そこが、私のような凡人で終わるか、はたまた深見東州先生のように天才的な人になっていくのかの、別れめの一つになってるのかもしれません。

それで、そのことを多少応用して、この事柄を習慣化する方が良いということが100%分かっていても、どうしてもそれが習慣化出来ない時は、それでも、必ず習慣化できてすばしくなるに違いない。習慣化がなかなかできないからこそ、できた時はものすごく素晴らしくなるに違いないと信じます。だから、途中で諦めさえしなければ、必ずいつかやれるようになるから、できるまでやろうと思うようにしています。それをどこまで信じきれるかです。

ただし、ワールドメイト会員の場合は、自分を信じるというよりも、それと同じかそれ以上に、神様がきっとできるようにしてくださるに違いない。困難があっても、それは、後でぜんぶ自分の進歩向上につながるものだから、そのために神様がしているものだから、嘆かず、悔やまず、恨まず、悲観せず、絶対に将来はすばらしくなると、神様を信じることで確信する人が多いと思います。そこが少し違うところかもしれません。

 

ちなみに正しい祈りの習慣を、きちっと若い頃から身につけておけば、将来はすえ恐ろしいくらい素晴らしい人になれるかもしれません。深見東州先生も、少年時代は、神様に祈らなければ何もできないほど、能力は普通の人とあまり変わらなかったそうです。しかし、徹底して神様に祈り、祈り切ることで、どんどんと変わっていかれたそうです。祈らないと何もできないということで、かえって徹底して、できるようになるまで神様に祈り切ることをされてきたことが良かったのでしょう。

もちろん普通の祈りではなかったと思います。できるまで祈り続け、また努力し、また祈るということを繰り返されてきたのでしょう。特に朝と夜寝る前の祈りは、本当にお話を聞くだけで、こういう祈りを毎日欠かさずにされてきたから、今の深見東州先生があるのだとつくづく感じさせる祈りの内容でした。

深見東州先生は、ある時、祈りは習慣でやるものですよと言われていましたが、その言葉の意味する重みも大きいと思います。

 

ところで、その深見東州先生のお話も、よくお祈りをしてから聞くと、不思議なくらい心に引っかかっていたことの答えが出てくるのです。あるいは、今まで気がつかなかったことに、ふと気がついたりします。また、心境の行き詰まりで逼塞している時なんかは、話を聞いてるうちに、パァーッと目の前が明るくなったように晴れてくることも何度もありました。お話の内容は、必ずしもそれに沿ったお話ではないのに、そう感じるのが不思議です。深見東州先生が神様と一つになり、お取り次をされて話されているからだと思います。それ以外に考えられません。

昔はよく開催されていたワールドメイトのセミナーでは、その会場の中の祈りが極まった人の苦しみが解決するようなお話を、突然され始めたりしていました。いきなり、内容が横道に逸れていくのですが、その話によって、心が極まって参加していた人たちが救われるわけです。そういう話の方向に急に変わっていくのですから、何かをキャッチされているのでしょう。実は、私もどうしても煮詰まっていたことの答えになるようなお話を、講演の途中で聞いて解決したという体験を、何度もしました。だから、本当に深見東州先生という方は、すごい方だなと、その当時からつくづく思っていたものです。

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