今上天皇の生前退位に関するお言葉以来、国民の中に、改めて天皇の存在とは何か?を考えさせられる機会が投げかけられたように思います。
生前退位についてどうあるべきかもですが、現在の天皇の人としての人権について、どんな論議があるのかについても関心を持っています。

初めに断っておくと、私は万世一系の天皇の存在を、日本の誇りであると思っています。ワールドメイト会員だからではなく、それ以前から、10代の頃からなぜかずっとそう思っていました。古事記や日本書記に書かれている天皇の系譜を信じていました。ですから、家の宗派は仏教ですが、私の中ではずっと神社神道の思想を信仰していたのでしょう。宗教を信仰しているという自覚は全くありませんでしたが。

 

神道という言葉が、現代使われているようなまとまった意味として使われだしたのは12世紀ごろからという説があります。しかし、原始宗教とも言われている古神道になると、太古の昔から自然発生的に生まれてきたとなっていて、それがいつ頃からのことなのかは、はっきりしません。

現在では、神道といえば一般的に神社神道と思われているようです。そこでは教義こそありませんが、神典と言われる記紀にのっとり祭祀が行われています。伊勢神宮を中心として、皇室への崇拝を大切にしてきました。

 

ちなみに分類上は、ワールドメイトは教派神道になるかと思いますが、基本は、2000年以上続く神社神道の正統のもとにある宗教団体だといえます。

前置きが長くなりましたが、今日は天皇論、神社神道について書く予定ではありません。神道に関しては、こちらの記事を参考にしてください。

神道国際学会、神道とは何か

 

今日は、ワールドメイトでいうところの神仏の証について、最近感じたことをつらつら書いてみようと思います。まとまりがないかもしれませんがご容赦ください。

神道そのものが、現生利益というものを強く打ち出している宗教ですので、ワールドメイトでも当然のことながら、様々な現世利益があります。神道は、生業豊かに家門高く弥栄えて行こうという宗教ですから、とても現実を大事にします。歴史を見ても、神社やお寺に寄進したり、手厚く保護した貴族や武士などは、神仏のご加護や霊験を感じていたのではないかと思われる記述がたくさん残っています。そのような霊験があるから、一層寄進し、長く守り続けてきたのかもしれません。

ですから、神仏から現世利益(おかげ)をいただくことは、決して間違ったことでもなく、また不思議なことでもないと思います。

 

なぜ、わざわざこんなことを書くかというと、神仏に願いをかけるなんてことは間違っているという人も多いからです。神仏にはただ感謝する心さえあれば良いという考えです。そこから、感謝することで安らぎや心の平安が得られるだけで良いとする人が多いと思います。神仏に願うなど、恐れ多い、不届きなことだという人もいます。

神仏に対する感謝が大事であることには、全く異論がありません。しかし、願い事はいけないというのは、あるいは現世利益を求めてはいけないというのは、日本の神道の精神とは、少し違っていると感じます。

日本の神々は、そんなケチ臭い神ではなく、厳しい神でもなく、もっとおおらかな神であり、積極的な神々であり、現実の世で人々に幸せになってほしいと願う神々であると思います。そのことは、ワールドメイトに入会してから、強く思うようになりました。

 

ただしそのように書くと、神様に願えばなんでも叶えてくれる方法でもあるのかと言われそうです。

それについては、なんでも無条件で神様が動いてくださるのではありません。そんな虫の良い話はありませんし、もしあったら、それはまがい物でしょう。

まず神仏には、様々な次元があることを理解しないといけません。もろに現世利益に近い次元から、個人の現世利益からは遠く、もっと大きなスケールで動く次元まで、様々な次元があると言われています。その次元の違いを知ってから願う方が、よりよい結果になっていくと思います。

ただ、これは簡単に説明するのは不可能なので、今回そこには触れません。深見東州先生のベストセレクションの著作10冊を読むと、ある程度詳しく書かれています。それ以上のことは、ワールドメイトで直接学ぶしかありませんが。

 

さらに同じ神社という次元であっても、どの神社にどのような願いをかけるのかでも、かなり違うことがあります。それも、深見東州先生の「神社で奇跡の開運」などの著作にある程度のことが書かれています。深い内容のため、全てのことを著作に書かれてはいませんが、同系統の本の中ではもっとも真を得た詳しいことが書かれていると思います。

ワールドメイトでは、神仏への祈り方に始まり、信仰に関する深い妙諦まで、様々なことを学べる機会があります。もちろん自由参加であり、逆にいうとそのような機会に参加してないと、あまり深くは学べません。ただ教材になってるものもあるので、後から学ぶことも可能にはなっています。

そうやって学びつつ、ワールドメイトの会員の多くが、大小様々な神様の証を体験していきます。

 

私よりもはるかにたくさんの素晴らしい証を体験しているワールドメイト会員を差し置いて、私が偉そうなことを書くのは気持ちが憚りますが、時々証が出ないんですという人もいるので、その時に話したアドバイスなども参考までに書いておきます。

インターネットでも証が出なかったとか、証がないから神様はいないんじゃないかとか、そんな意見を見たこともありました。証の出方には様々なケースがあり、一概にこうしたら良いと言えないことも多いです。しかしそれでは答えになりませんので、私の体験から一つか二つ書いてみます。

 

まず、ワールドメイト会員は、祈る時は神法悟得会入門編で習った方法で祈ります。奇をてらったものではなく、何回でも聞けば聞くほど的をえた、客観的にみても限りなく完璧に近い祈りの基本になるものではないかと思っています。

神法悟得会入門編については、こちらの記事を参考にしてください。

ワールドメイト神法悟得会入門篇

 

この祈りをすると、小さな証は、わりとあっさり出ることがありますが、ある程度大事なことになると、やはりしっかりと祈り切ることが大事なのかなと感じています。

祈り切るとはどの程度かと言われると難しいですが、深見東州先生ともなると、短くても30分くらいから、4時間、8時間、時には12時間と、祈り続けられるようです。長くなるので今日は触れませんが、どうやったらそんなに長く祈れるのかについてもお話しされています。

とにかく私の感覚としては、もうこれ以上祈れないくらい祈るとしか言いようがないです。1回で長く祈らなくても毎日続けてみるとか、21日間連続で一定の時間を祈る方法もあります。とにかくそうやって祈っていくと、ある時から、もうあとの結果は神様にお任せしようかなという気持ちになってきます。毎日が精一杯やってると、短時間でもそうなることもあります。

そうしながら、同時に何か行動を起こすようになってきます。あれをやってみようとか、こうしたらいいのでは、と自然な閃きや思いがあり、それを行動に移していくことになります。

 

普段はわりとポーと祈ってることも多く、また、祈りの内容もマンネリ化してる場合も多いです。ところが、なにかに追い詰められたり、緊張感があって極まった祈りができることもあります。そういう時には、その後不思議と色々なことがスムーズにいきます。何か良い知恵が浮かんできたりすることが多いです。いつもそういう祈りができれば良いのにと思いますが。

そうやって行動に移し、努力したり工夫したりすることが大事だと思います。深見先生もそのことを、何度でもお話をされています。ホップ・ステップ・ジャンプという祈りと行動が大事という話で、また別な機会に紹介しようと思いますが、それが基本であり原則になるのだと痛感しています。

結局は、願いを実現するために現実的な努力や創意工夫が必要になります。それをやれるところまでやって、さらに、もうこれ以上は無理だーと魂の奥から叫ぶまでやり続けていると、ある時から神仏が動かれるのではないかと思います。その時になってようやく祈っていた神々が、そこまで本気で努力するのならば応援しよう、手伝おうとなるのでしょう。

 

 

しかし稀に、行動する前にガツンと大きな証が出る人もいます。しかしよく見ると、現実的な努力をしようにもできないようなケースであったりします。あるいは、普段の生活から祈り続け、健気に努力し苦労していたり、心根が良かったりする人が多いように感じました。

 

よく、とてつもないような大きなことを成し遂げた人が、私はついていただけですとか、運が良かっただけですとか、あるいは神の御加護があったからというような発言をするのを見ます。謙遜しているのかもしれませんが、そこまで努力した人たちであるからこそ、自分の努力だけではこの大きな成功はなかったことをどこかで感じているのでしょう。それこそが神仏の応援があった部分であり、御神徳という証なのではないでしょうか。偉大な成功している経営者に神仏に対する崇敬者が多いのも、それを感覚で感じているからではないかと思います。

もちろん、そういうことを感じても、あまり口にしない人も多いでしょう。そして,そこまで徹底して努力して成功した人は限られていますから、中途半端な努力で満足していると、そのような神仏の守護を実感することはなかなか難しいのかもしれません。

 

そして、本人には証だと分かっても、他人から見ると、本人の努力の結果なのか、単なる偶然なのか、神仏の応援があったためなのかはわかりにくいと思います。そのような個人的な証に関していえば、本人だけが感じることができれば良いのかもしれません。正法に不思議なしという諺もあるように、誰からも奇跡のようにしか見えない不思議な証ばかりだと、人は道を誤るようになるのかもしれません。ワールドメイト会員の間では、ちょくちょくそのような奇跡的なことも起きますが、あくまで原則はそうなのだろうと思っています。

神様は人間の正しい願いなら、あるいは本人たちが幸せになる願いなら、大いに叶えてあげたいと思いながら、人間が努力するように仕向けられているのでしょう。あるいは真摯な努力を続けているのかどうかを見ておられるのでしょう。そうやって人が努力するのを見定めて神様が動き、人々におかかりになって一緒にやっているという状態が、一番素晴らしいことではないかと思います。

その時、人は自分の限界を超えて、素晴らしく脱皮していると思います。より進化し向上することができるのだろうと思います。そして、それは神様の喜ぶところでもあり、人にとっても幸せの元になる部分ではないかと思っています。

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