半信半疑という言葉がありますが、信じられそうでもあるが、疑わしく思う気持ちもあって、どちらとも心の決まらない状態のことをいいます。まあ、神仏とか宗教に対して、そのような思いの方もいらっしゃるかと思います。ちなみに私は、神仏に対しては、ワールドメイトに出会う以前から、存在を疑ってはいませんでした。それでも宗教団体となると、漠然と、いわゆる半信半疑状態だったのかなと思います。ですのでどこかの団体に入信しようという気はなく、神社だけに行っていました。

 

そんな私がワールドメイトだけにはあっさり入会したのは、深見東州先生の著作の内容におおいに納得し、共鳴したからです。そしてここは間違いないと、直感したのです。ワールドメイトに入会する人には、そういうケースが多いと思いますが、ときどき半信半疑ながらも入会した人もいて、あとで質問ぜめになるときもあります。それで、この人はよく半信半疑で入会したな~と、よほど守護霊が優秀なのかなと思うことがありますが(笑い)。

 

しかし最近気がつきました。半信半疑はべつに悪いことではなく、むしろ、それが普通なのかもしれないと。

半信半疑でもないけども、だからといってなにもかも完全に理解しているよ、というワールドメイト会員は、おそらくいないでしょう。もしいたら、その人は、すでに深見先生のように神人合一してるのかもしれません。

 

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猜疑心や懐疑的という意味ではなく、わからないことや、疑問に思うことがあるからこそワールドメイトは素晴らしいのであり、それはワールドメイトの教えの奥が深いからであり、学ぶものがたくさんあるからだと思います。

そんなことは、いわれなくてもわかっているというご叱責がきそうですが、中途半端に、ワールドメイトのことがわかっていたつもりになっていた私には、いつしか慢心が生じていたようです。もっともっと良い意味での疑問をワールドメイトや神様に持ち、学ばなければいけないと思い知りました。禅でいうところの大疑団のかたまりとなって、あるいは、求道心をもって悟りを得ようとする仏者のように、というわけにはいきませんが、進歩向上するためには探究心を持って、わからないことを学び続けていくことが必要です。そのぶんだけ進歩向上していくのでしょうから。

基本は神様に向かって、疑問をすべて投げかけていくことですので、そこから取り組もうと思います。

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