ワールドメイトで長い間取り組んてきた福祉活動の一つ、ワールドメイト未来の光孤児院(Future Light Orphanage of Worldmate) を紹介します。

ワールドメイト未来の光孤児院は、カンボジアのプノンペンにある、孤児たちの世話をする施設です。

深見東州先生の志と、ワールドメイトの支援によって創設されたシアヌーク病院については、これまで何度か触れてきました。長い間続いた内戦と、ポルポトによる大虐殺により、カンボジアには医師がいなくなったこと、そのために、医療機関が、まず最も切実に必要になったことを、こちらの「ワールドメイトとシアヌーク病院」で書きました。しかし、内戦と大虐殺による悲劇は、あらゆるところに、また新たな悲劇の種を落としていました。

 

その一つが、両親を亡くした子供たちの貧困です。
そのカンボジアの悲劇の時代には、全人口の25%が減ったとされていました。しかし、深見東州先生がフンセン首相に聞いた話では、その後の調べで、本当は人口が半分になっていたとのことです。それくらい、原始共産主義と言われたポルポトによる大量殺戮が行われていたのです。およそ、知識人と言われるような、医者、教師、技術者、そして芸術家、公務員、資本家、宗教家、学生も皆殺されました。そして、さらにエスカレートして、本を読んでる、メガネをかけてる、手が綺麗だというだけで、良識や教養のある人々のほとんどが殺されたのです。
その結果、父や母を失った、多くの幼い子供たちが、後に残されたのでした。それは、、2015年現在のカンボジアの平均年齢24.5歳という事実が物語っています。

 

ヌオン・パリー女史

マグサイサイ賞を受賞したヌオン・パリー女史(左)

 

そんなポルポト時代(1975年ー1979年)に、集団農場で強制労働に服していたヌオン・パリー女史は、1984年、タイとの国境近くにある難民キャンプに避難します。そこで夫と共に、心的外傷後ストレス症状に悩む人々を助ける活動を始め、それが今の施設の前身となったそうです。

さらに、1993年、ようやく内戦が終結した頃、パリー女史は国連難民高等弁務官事務所の供与金を受け、91人の孤児と4人の寡婦を連れてプノンペンに帰郷します。そして、中国大使館の裏手に仮住まいしますが、その後、プノンペン郊外の所有地において未来の光孤児院を設立します。

その当時、90人もの孤児の衣食住を世話し、学校に通わせ、英語の補習までやったそうです。どうして、困難な状況の中でそんなことができたのかは、神のご加護としか思えませんと、言われていたそうです。そして1996年、知人を通して、深見東州先生との出会いに至るのでした。

 

深見東州先生は、1996年12月に開院する予定のシアヌーク病院のために、その当時、何度かカンボジアを訪れていたそうです。その時に、ヌオン・パリー女史が設立した孤児院の支援を依頼されたそうです。

パリー女史とお会いすると、その人柄、孤児たちの澄んだ目の輝き、逆境に負けない明るい雰囲気に、いたく感動を覚えたそうです。それで、その場で支援することを約束されたのでした。その後日本でも、深見東州先生の呼びかけにより、多くの方が支援し、孤児たちの里親になっています。
ヌオン・パリー女史のお話によると、その時以来、深見東州先生は毎年施設を訪れ、しかもその時には、必ず里親からのプレゼントに加え、深見東州先生も、素晴らしいプレゼントを持ってきてくださるそうです。

 

ワールドメイト未来の光孤児院

 

ヌオン・パリー女史のお話では、孤児院で学んだ子供たちは、他の地域の子供たちにパソコンを教えたり、様々な職について、生産的な人生を歩んでいるのだそうです。

そして、2006年には、ワールドメイトによって、ワールドメイトハウスという子供たちの宿舎が新たに新築されたそうです。その時に、ヌオン・パリー女史の申し出もあり、ワールドメイトとの関係をより公式にする意味で、「ワールドメイト未来の孤児院」という名前に変わったそうです。ヌオン・パリー女史は、「ワールドメイト孤児院」と改称する名誉に浴することができたこと、尊敬する深見東州先生と、より緊密な関係を深めていくことができることを、この上ない喜びとして心から有難いことですといわれていました。
深見東州先生も、パリー女史のことはもちろんですが、ともにこのワールドメイト未来の光孤児院を支えてくださるリチャード・ダイク氏、ロブ・ヘイル氏、高橋祐太郎ご夫妻に、心からの尊敬と感謝の言葉を捧げられていました。

 

ワールドメイト未来の光孤児院

Future Light Orphanage of World Mate (FLOW)

 

では次に、ワールドメイト未来の光孤児院では、どのようなお世話をしているのでしょう。ここは、他の孤児院とは、かなり違った特徴があるようです。それは、2012年に亡くなられた、故ヌオン・パリー女史や、深見東州先生のお考えによるものだと思いますが、子供たちに、ただ衣食住を与えるだけでなく、立派に独り立ちしていけるように、学習に力を入れていることだと思います。

ここでは、小・中学生を中心に300人近くの孤児たちが住んでるそうですが、当時のカンボジアには義務教育制度がなかった中で、まず、公立学校に通わせるようにしているそうです。さらに学校から帰ると、今度はバソコン、英語、絵画、手工芸、伝統舞踊などを学ぶことができます。それによって、子供たちは自信をつけ、就職の機会も増えるのだそうです。そして18歳になると、孤児院の保護された環境から外の世界に入っていくようになりますが、スムーズに入って行けるよう、一人一人に対して細やかな気配りをしているとのことでした。でも、そうすることで、また新しい孤児たちを受け入れることができるのだそうです。

 

実は、ワールドメイト会員で、何度か、ここを訪れたことがあります。私も、2006年ごろに行った会員から、いろいろな話を聞きました。まず、みんなが驚くのは、子供たちの目がキラキラ輝いていて、本当に笑顔に溢れていたそうです。そして、日本人のような気がしたと言う会員もいました。いや、今の日本人の子供たち以上に、素直な良い子ばかりだったとか言ってましたね。孤児たちにありがちな、親がいないことによる寂しさを感じさせることもない、とても明るい雰囲気だったそうです。

深見東州先生もその時一緒に行かれていて、親がいない分、その分、たくさん学ぶことができる環境を与えてあげたい、親はいないけど、ワールドメイト未来の光孤児院で育って良かったねと言えるようにしてあげたい、そんなお話をされていたようです。

プノンペン以外のところでも、多くの子供達を見たけど、ここの子供たちほど純粋で、目が輝いている子供はいなかったと、会員が言ってました。そういう話を聞いていると、自然と涙が出てきましたね。ワールドメイト会員の一人ではありますが、私はたいしたことはできませんけども、皆、本当に幸せになってほしいなと、心から思いました。

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