今月の17日に、多くの犠牲者を出した阪神・淡路大震災は20年目を迎えました。東日本大震災以来、南海トラフをはじめ大地震の懸念が強まる中で、これを機にさらに防災の意識が高まることを願っています。

東日本大震災では行けませんでしたが、この阪神・淡路大震災のときはボランティアを志願し被災地に行きました。被災地は大変で、道路を進んでいても傾いた建物が倒れるんではないかとヒヤヒヤした覚えがあります。しかし建物がつぶれ下敷きになっている人がいると思えば、そんなことで臆するわけにはいかないと思ったものです。

とにかくワールドメイト会員有志の寄付で集めた救援物資を、支部から芦屋のワールドメイト関西エリア本部に届けようと急ぎました。そして近くまで来た時の、そこで見た光景を今でも忘れることができません。20年経った今でも鮮明に覚えてます。それは、どこに向かっているともいえない、大勢の疲れ果てた人たちが、ぞろぞろと歩いている光景でした。荒れ果て、希望を失い、無言で黙々と避難する住民たちだったのです。

私は戦争を経験したことはありませんが、もし戦時中に生きていたら、これと同じ光景を見たのではないかと思いました。それほど、「ここは戦場か」と思えるほどの衝撃を感じたのです。そして、このような悲劇がおきていいのかという悲しみがこみ上げ、茫然とするしかありませんでした。

ワールドメイトの関西本部には一度行ったことがあり、およその場所はわかっていました。いよいよ近くに来た時、夢なら醒めてくれと思うほど、民家や建物の一階部分がことごとく潰れている光景を目にしました。ここは激震だったようで、「ああ、きっとワールドメイトの関西本部もただでは済まないだろう」と、暗澹たる気持ちで建物の前に着きました。

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しかし、なんということでしょう。ワールドメイト関西本部の建物はまったく無事でした。柱にうっすらヒビが入ってる程度でした。そればかりか、トイレの水まで使えたのには驚きました。建物の奥に通され、さらに仰天したのは、そこにワールドメイトの深見先生がいらっしゃったことです。大地震直後、すぐに現地に来られ、被災したワールドメイト会員や地元の住民を助けるため、陣頭指揮で矢継ぎ早に指示を出し動いておられたのでした。また、ご自身も被災者のところに出向き、物資を届けてありました。さらにそこで得た情報を元に、必要な物資を集め、すぐに届けることを先頭切って的確にされていたのです。

なんという行動力、なんという危機管理能力、なんと修羅場に強い人なんだと思いました。周りの人も、普通ならば茫然自失となるところが、深見先生のエネルギーに引っ張られるのか、やつれた様子が見えません。震災の中で、ここだけは別空間でした。

私も、うかうかしてる場合ではないと、物資を載せて街に出かけて行きました。避難先の小中学校は、どこも悲惨で大変な状況で、特に水が使えないためトイレがあふれ、仮設トイレも溢れ、不衛生な状態でした。しかし身内を亡くし、家を無くした人からすれば、そんなことは些細なことだったのかもしれません。今日、ふとそのときのことを思い出し、このような悲劇が再びおきないように祈り続けようと思いました。 ワールドメイト会員は、おそらく私と同じ気持ちではないかと思います。

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