今年はじめのワールドメイトの神事も無事終了しました。今回は淡路島ということで、いつもとは少し違う環境での御祭りになったように思います。

ところで、そのワールドメイトの神事中に、会社の仕事始めになりました。そこで、ある人の初詣の話を聞き、少し思うことがあったので書いてみたいと思います。

その人は、ワールドメイトの会員ではありませんし、何かの宗教を信じているわけでもありません。日本人に多い、信仰について聞かれると、「私は無宗教です」と答えるような人です。

しかし、初詣には必ず行くそうです。特に今年は3社も行ってきたので、きっと願いが叶うかもしれないというようなことを話していました。願いが叶うということを、どこまで本気で言っているのかはわかりませんが、無宗教というわりには、困った時には神頼みもすることもあるし、初詣にも行くという、日本人によくあるタイプだと言えそうです。

 

 

それで思い出したのが、ロバート・ニール・ベラーという海外の著名な社会宗教学者さんの研究で、「信仰のない宗教も存在する」と言っていたことです。

多くの日本人は、信仰や宗教について聞かれるとありませんと答え、神様の存在についても、よくて半信半疑、いるのかどうかわからないという感じで答える人が多いと言われています。

それでも初詣に行ったり、あるいは交通安全祈願を行い、十日戎で商売繁盛を願い、神前結婚式をあげ、子供ができると初宮参りや七五三に行き、お盆にはお寺さんにも行くという人は、とても多いですね。

それが昔からの日本の慣習なので、そうしているのかもしれませんが、やはり神社やお寺に足を運ぶというのは、意識しているかどうかは別として、どこかで神様や仏様がそこにいることを感じるからかもしれません。信仰があるから行くという意識はなくとも、無意識のうちに神仏を感じているので、今日まで廃れず続いて慣習になったりしているのではないかと思います。

 

もちろん昔は、多くの人が神仏の存在を信じ、信仰していたのだろうと思われます。ところが戦後になって、その信仰がだんだんと失せていき、無信仰へと変わってきたかと思いますが、それでも初詣に行く人がどんどん減っているなんてことはありませんし、逆に最近は増えているという話すらあります。特に、伊勢神宮に参拝する人はとても多く、たとえば毎年年末にワールドメイトでは伊勢神宮に参拝していますが、明らかにここ数年で増えていることを神社側の人からも聞いています。だからと言って、日本人の信仰者が増えているわけでは無いと思いますが。

結局、このような日本人の行動形態が、先ほどの海外の学者がいうところの、信仰のない宗教と関係するのかもしれません。

 

キリスト教やイスラム教や仏教では、確立された経典や、あるいは神学なども存在しています。それらを通して、知的に真理を求め、神を求めます。また、経典だけではなく、キリスト教やイスラム教には礼拝という宗教的な儀礼もあります。もちろん仏教にも儀式がありますし、また、新宗教と言われるものも、多くはその教団独自の経典と宗教儀式を持っていると思います。そういう宗教に入信すると、経典を通じての探求と、宗教儀式(儀礼)の両方を通して信仰を持つことになります。

ところが宗教団体に入信していない日本人の多くは、そのような経典や神典を学び、探求する人はほとんどいないかと思います。でも、お祭りや神社やお寺のお参りには行くわけです。

 

 

パワースポットブームになると、もう少し目的がはっきりしますが、やはり哲学的な探求をするわけではなく、ただそこに行くことによって、何か気持ちがいいいからとか、すっきりするからとか、良いことがありそうだから行くという人が多いと思います。目に見えざる何かを感じたり、それを信じるから行くのでしょう。でも宗教や信仰があるかと聞かれれば、当然無いと答えることになります。

そのように無意識のうちに、あるいは自覚があって、そこに何かを感じているという違いはありますが、いずれも宗教的、哲学的な探求があるわけでは無いので「私は無宗教、信仰は無い」と答えます。しかし、こういうものを、「信仰がない宗教もある」、と言ったのでは無いかと思われます。

 

ここで言う信仰とは、西洋的な観点から見た、経典などを通じた知的な真理の探求や、哲学的に神を探求することで神を信じていこうという信念のことを指すと解釈すればいいと思います。西洋的には、宗教とは信念(信仰)と儀礼によって成り立つと定義されていたようです。その後、ロバート・ニール・ベラーによって、信念(信仰)がなくても、儀礼だけでも宗教は成り立つということが提唱されました。儀礼というのは、神道で言えば祭式やお祭りと思えばいいと思います。カトリックではミサになるのでしょう。

その説が正しければ、初詣や七五三のお祭りなども儀礼の一つでしょうから、そういうものに参加するというだけでも、本当は宗教があると答えてもおかしくないのかもしれませんね。

 

特に神道の場合、神話はありますが、もともと神道経典というべきものはありません。踊ったり、騒いだりのお祭りの中で、あるいは厳粛な神道式祈願や、美しい自然の中に、神社の清々しい境内の中に神を感じてきた宗教だと言えます。神様というものを知的に探求した結果、信仰する宗教では無かったわけです。

ですから、小さい頃からキリストやマホメットの教えを学び、神はこうなんだと信じてきた欧米人たちの宗教と、感性や体験的なもので神を感じてきたという日本人の宗教は、どちらも宗教と言えますが、実際はかなり違う信仰形態だということが言えそうですね。

 

 

従来の信念と儀礼で宗教は成り立つという西洋的な宗教観からすると、神道はアニミズムと同様に、かなり原始的な宗教と思われていたと思います。でも、そのような西洋的な信念(信仰)で縛られず、自然の中に神を感じるという宗教だからこそ、自然と共存し、無益な争いをせず、様々なものを受け入れることができる融和の精神があるのかもしれません。西洋文化の中に根ずいてきた、自然と人間は敵対するものという自然観は、日本人には決して馴染めません。富嶽三十六景などの浮世絵が、19世紀後半のヨーロッパに大きな影響を与えましたが、その理由の一つは、日本人の自然観の違いに衝撃を受けたからだといわれています。

誤解の無いように付け加えますが、神道はすべての自然に神宿るというアニミズム的なものではなく、特定の山や川、湖や海に神がいるというものです。そのおかげで開発や文明との共存も可能でした。このような特性を持つ宗教は、現代では、おそらく日本だけでは無いかと思われます。

 

今年のワールドメイトの神事では、世界における様々な懸案についても祈願しました。グローバル化への反動か、今、世界のあちこちで分断が進んでいます。そこから、大きな問題もいくつも生じています。

そんな様々な分断が進む時代だからこそ、無宗教と言われる日本の、自然との共存や、異質な文化にも寛容な精神を持つ日本の、日本の外交が果たす役割がたくさんあるのではないかと感じている次第です。

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