ワールドメイトでは、俗に言う顕、幽、神三界のことを、まんべんなく学ぶことができます。メインは神様のことですが、霊界の有様や、この世の現実界の法則まで、互いに関連し合っているものを、人生に活用できる形で学ぶことができます。そのような世界に関心がある人にとっては、様々な疑問が解け、満足できる答えがいただけるところではないかと思います。

私の場合は、ワールドメイトに入会する前から、自覚は弱いながらも神様のことを信じていたと思います。自覚が弱いというのは、守護霊の存在については、確信持って信じてましたので、それに比べてという意味です。

 

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小学校の頃でしたか、つのだじろうの「後ろの百太郎」というコミックを読んだのがきっかけで、守護霊の存在を強く信じるようになりました。コミック自体はけっこう怖い内容でしたけどね。つのだじろうさんが心霊研究家というのは、ずっと後になって知りましたが、とにかく幼心に守護霊という存在に強く惹かれたことを思い出します。守護霊に対して語りかけたり、感謝したりするのは、もうすこし後の10代後半になってからですが、その頃から不思議と何かに守られているという気持ちが、ふつふつと湧いてくるようになったのです。

その気持ちを言葉で表現するのは難しいですが、例えば何か不安になりそうな時、あるいは迷いそうになった時に、絶対に悪いようにはならないから心配はいらないという気持ちになるのです。自然とそのような気持ちが湧いてくるのですが、前向きに自分でそう思うようにしていたのかもしれません。

普通はそうなのかもしれませんが、私には、何かが守ってくれているから、それで大丈夫だという気持ちになっているというのが正直な感覚でした。

 

また、小さなことに関してですが、自分がこうしたい、こうなるといいんだけどと、強く思っていると、時間はかかっても、必ずそういう方向に向かうようになりました。それは、単に運が良かったんだろうと思うこともできますが、やはり、いつも守護霊に感謝し祈ってたからだろうと思います。

そういう体験をした後に、いよいよワールドメイトに入会したわけです。書店で深見東州先生の著作を読んだのがきっかけです。その直前に遠出をし、車を運転していて道を間違えてある神社の前に来たことがありました。「へぇ〜、こんなところに立派な神社があるのか」と思い、思わず車から降りて参拝しました。それが深見東州先生もオススメの神社だったことは、ワールドメイトに入会してから知りますが、その時は何もそんなことは考えずお参りだけをしました。

そのあと、ワールドメイトに入会したわけですから、そちらの神社の神様の導きを私としては感じてしまうわけです。同時に守護霊さんも、一生懸命にその方向に持って行ったのだろうと、私の中では信じて疑いません。その時のことは、こちらの記事に詳しく書いてますので繰り返しませんが、とても不思議な体験をしました。

ワールドメイトに入会してすぐの不思議な体験

 

実は、入会する前によく行く神社が別にあったのですが、その神社と、先ほどの偶然見つけて参拝した神社は、共通したつながりがあることが後から分かりました。また、私の家とも少なからず縁がある神社だったことも分かりました。そして、私は何度も引越しをしてきましたが、その当時住んでいた場所は、不思議なことにその二つの神社を結んだ直線上に位置していました。しかも、私の家から見ると、ある方角の中心線上になっていたので、こんなにも偶然が重なるわけがないよなと思ったものでした。

そういう何か運命的なものを感じつつ、今日までワールドメイト会員としてお世話になってきました。

 

話が脱線してきたので、守護霊のお話に戻します。

実は守護霊の存在を確信したら、その働きが強くなることをワールドメイトで知りました。そのことは、ワールドメイトに入会する以前に体験していたことなので、とても深く納得することができました。

守護霊は、宗教団体に入信している人にもしていない人にも、100%間違いなく存在していると言われています。少なくとも、自分のことに関しては、自信持って間違いないと断言することができます。もし、守護霊がいないという人がいるのでしたら、それは信じないから自覚できないだけではないかと、体験から思います。

もし本当にいなければ、かなり残念なことかなと思いますが、おそらくそれはないでしょう。なので、宗教に関心がなくても良いので、守護霊の存在だけは、まず信じたほうが良いと思います。そうすることで、間違いなく運がよくなったという自覚を持てるようになると思います。すでに運がよいと思っている人は、ますます運がよくなると思います。ただし、一点の疑いもなく確信しないと、本当の力は出ないのかもしれません。

 

最後に、深見東州先生の「守護霊を動かせ」という著作から、その部分に関する大事な箇所を引用して終わります。

 

守護霊がいるんだと信じれば信じるほど、本当に守護霊が来てくれるし、守護霊が守ってくれるんだと一点の曇りもなく信じて向かえば、守護霊は大いに力を発揮してくれるのです。
「守護霊はいるとは思うけど、本当に守ってくれているのかなあ。私のような者は、守ってくれないんじゃないかしら」
などと疑ってかかったら、守護霊も面白くないでしょう。
半信半疑で、「いるかいないか、わからないから、証を出してほしい」とか、「本当はどうかわからないけど、いるという話だから、一応、祈ってみます」という態度で祈っても、動いてくれます。愛と真心があって、一生懸命にお祈りすれば守護霊は動いてくれます。

しかし、自分は神様と守護霊様に守られているから、どんなことがあっても絶対に大丈夫なんだと、一点の疑いもなく信じていれば、守護霊との間に、一枚岩のごとき強い信頼関係ができ、どんな危機が起きても守ってもらえる。
そういう体験をいくつか経て、揺るぎない自信、確信が生まれるから、法力や神力というものが確立するわけです。

おかげが出なかったとしても、「神仏が悪いのではない。己の誠が足りなかった、愛が足りなかったからだ」と思って、次に徹底してやってみると、また必ず証が出てきます。すぐに証が出る場合と、少し待たなければならない場合と、いろいろありますが、やれば必ず出てきます。徹底的に証が出るまでやることです。

そういう体験を、私は何千回となく積み重ねてきております。だから、神仏に対する信仰が、体験を通して揺るぎないものになっているわけです。
我が出たとき、執着心が出たとき、愛と誠が極まらなかったとき、怠りがあったとき、そういうときに守護霊や神仏が動いても、それは本物ではない。
しかし、「何かあったら必ず神様が助けてくれる。最後に愛は勝つんだ」と信じている人間は、そのように守られ、そのようになっていくのです。

その絶対的に信じるという一点。これを見忘れたら、法力はなくなってしまう。
ああ、今まであげていた真言は間違っていたのかと、確信して祈れなくなった途端、法力が落ちる。騙されていたのか、からかわれていたのかと思った途端、もうできなくなる。
しかし、心の底から信じきって一生懸命やっているとき、人間はこの世離れした力を発揮する。それが法力、超能力、神通力というものなのです。

もちろん愛と真心が極まってなければダメですし、愛と真心がなければ正神界の神が動きませんが、愛と真心だけでもダメなのです。
際立った奇跡とか、証とか神力というものに対する揺るぎない確信。一点の曇りもないくらい信じきっている心。そういう自分になったら、法力がブワーッと出てくるのです。守護霊の存在もそうなのです。

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