明るすぎる劇団東州定期公演2016は、5月に新国立劇場で開催からの続きになります。

2016年明るすぎる劇団東州定期公演
14、15日と、2016年度の明るすぎる劇団東州定期公演が、新国立劇場で開催中です。また、ゆっくりと観に行った感想でも書きたいと思います。

前回は、明るすぎる劇団東州の立ち上げから、2010年までの公演を振り返ってみました。今回は、その続きになりますが、2011年は東日本大震災のあった年で、このときの公演は中止になりました。

 

それで第3回定期公演は、2012年4月20、21日に、浅草公会堂で開催されます。

第3回の演目は、「人食いグマ」「フランケンシュタイン」「仲人」「春が来た」の4つです。「人食いグマ」は2作目の短編小説集「バッタに抱かれて」に原作がありますが、さらに面白くアレンジされています。あとの3つは、未発表の新作です。

 

実は、この回の公演のみ、私は見逃してしまったのですが、後ほどDVDで発売されたものを購入して視聴しました。ライブではありませんので、臨場感や緊張感をダイレクトに感じることはできませんが、物語の面白さや、完成度が高くなっていると感じました。言葉遊びのギャグと、ストーリーの面白さ、そしてそこに秘められたメッセージが一体となった演劇になっています。劇団員の役者ぶりも、もともと上手な人たちなのでしょうけど、第3回定期公演は、劇団員の演技も良かったですし、役柄にもピタッとハマっていると思いました。
また、戸渡阿見団長のパントマイムも、一層冴えていました。「マネキンのまねきん」、「東州キャットリン」の2つを演じられましたが、ともに大好きなパントマイムのひとつになりました。もともとあらゆる生物のモノマネを得意とされ、ワールドメイトでも披露してくださる深見先生です、猫のようなメジャーな動物のマネはお手の物でしょう。しかし、その切り口に独特の発想があり、深見先生にしか思い付かないモノマネだと思います。

 

第4回明るすぎる劇団東州定期公演

 

さて、第4回明るすぎる劇団東州定期公演は、2013年4月13、14日に開催されました。浅草公会堂での最後の公演となりました。そして、名物だった終演後の飴まきは、帰る時間が遅くなるということで前回で終了となり、今回からはなくなりました。カラフルで、ひとつひとつに七福神の絵柄がはいった、なかなか手の込んだ飴だったことを懐かしく思い出します。

 

2013年度の演目は、「五大聖人」「最後の手段」「泡立つ紅茶」「蝶々夫人」の4本立てです。「五大聖人」「最後の手段」は単行本未収録です。泡立つ紅茶は、詩集の「泡立つ紅茶」に、「蝶々夫人」は、2作目の短編小説集「バッタに抱かれて」に収録されています。そして幕間パントマイムは、ワンピースの2倍面白いツーピースになられた東州チャップリンが登場し、ゴムゴムの足、ゴムゴムの手、ゴムゴムの舌で笑わせていただきました。よく毎回、こういうネタをよく見つけてこられるものです、感心します。

 

毎回確実に進化してきた劇団ですが、最初の演目の「五大聖人」には、今までにない面白みがありました。ストーリーは短いですが、言葉遊びの笑いのグレードが高くなった爆笑劇でした。これを見て、今回も期待できるなと思いました。そして「泡立つ紅茶」は、こちらも短めですが、ちょっぴりエッチなショーダンサーや、可愛いホビットが登場し、視覚的に楽しめた作品でした。「最後の手段」と「蝶々夫人」は、やや重厚な作品で、ふたつとも深いメッセージが込められていて、とくにラストの「蝶々夫人」は、一瞬、オベラ「蝶々夫人」かと思いますが、そのオマージュではあっても、実際の主人公は富士山、白山、立山という霊山神山であり、戸渡阿見ワールドらしい独自の展開がみどころです。この物語の中には山岳信仰の真髄があったり、人生の妙があったりと、なかなか奥が深い物語でした。

ところで、この「蝶々夫人」を収録する2作目の短編小説集「バッタに抱かれて」には、深見東州先生の文学観、小説観が、しっかりと解説されています。なるほどなと思う素晴らしい内容です。これは書籍にしか掲載されてないので、時間がある方は読んでみられることをお勧めします。現代小説に関しての疑問や考え方が、大きく変わるかもしれません。そのさわりを少し紹介します。
人間は、困難や苦しみや悲劇を、いかに明るく前向きに越えていくのか、そこが最も大切なことだと書かれています。しかし、これは宗教や福祉、あるいはビジネスマンが成功するためのテーマであり、それを小説にすると当たり前すぎてつまらないものになるそうです。それを書くにはよほどの筆力がいるでしょうし、また、すでにそういう作品は古典に出尽くした感すらあるそうです。こういう内容は、実行するのは非常に難しくて簡単にはできませんが、言うだけ、書くだけならば簡単な場合が殆どだそうです。だから文章で書いても感動がないし、ありきたりな内容に思えてつまらないそうです。それで現代の小説家は、それをストレートには書いたりせず、人生の暗闘部分や孤独や疎外感などをひねって書くそうです。それが、まるで文学のテーマのようになっているそうです。

しかし、そういう作品は、若くて悩みが多い人や、病人とか、浪人とか、あるいは囚人たちなら共感できても、そういう厳しい現実と戦って前向きに生きている人にとっては、ちょっと重くて暗い作品になるようです。だから純文学は、忙しい現代の大人には読まれなくなってきたようです。

 

そして、そういう重くて暗い寂しい純文学や、独断と偏見で書かれたような歴史小説を、高く見ているのが現状なのだそうです。それに対して、SFやファンタジーやコミックやアニメを書く作家などを、低く見下す風潮があるそうです。本当は、かえってそういう作家たちの方に、創作性がより必要であったり、人間としての明るい前向きな真実が書かれていたりするのにです。

たとえば、ヒットしたアニメの要素には、「友情や努力、勝利」が描かれていて、ミュージカルには、「純粋さ、健気さ、自己犠牲」などがテーマになっていたりします。本当は、人々の求めるものは、こういう明るくて前向きなものであり、たとえ悲劇や孤独を書くにしても、圧倒的な音楽や美術の美があり、言葉やイメージの美があれはいいのですが、なかなか現代文学はそうはなってないとのことです。
というような視点で、現代文学の現状が、この後も語られていきます。とても読み応えがある文学観です。詳しくは書籍で読んでいただくとして、まったくその通りだなと、読み終わった後、もやもやしたものが晴れていく感じがしました。文学が好きな人にも、あるいはアニメやコミックしか見ない人にも、ぜひ読んでもらいたい内容です。

結局は、「文体の美しさやリズム、言葉の調べが命であり、そこから生まれる詩心や詩的世界が美しく、また、文章を通して感じる作者の魂が高貴で感動的なら良い」と書かれていました。ジャンルに関係なく、長い短いに関係なく、すべてが人間を描き、人間の真実を追求し、それを文章で表現して深い美があれば、立派な文章芸術、文学といえるというのが、深見東州先生の小説観、文学観なのでしょう。そういう観点から、明るすぎる劇団東州の公演を見ると、良さをいっそう感じるし、より理解できて楽しめるのではないかと思います。

 

明るすぎる劇団東州の立ち上げについては、
明るすぎる劇団・東州 定期公演
第1回、第2回の定期公演の様子は、

明るすぎる劇団東州定期公演2016は、5月に新国立劇場で開催

 

第5回の定期公演は、
明るすぎる劇団・東州 第5回定期公演 IN 新国立劇場

明るすぎる劇団 ・東州定期公演に、ブル中野ら女子プロレスラーが登場
第6回の定期公演は、
「第6回明るすぎる劇団・東州」定期公演

に、それぞれ書いていますので、よかったらご覧ください。

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