今回は、ホテルで美味しいお食事をいただきながら、深見東州先生のお話が聞けるという素晴らしいものでした。私はワールドメイトの支部で、衛星中継を通して静かに参加しましたが。

楽しい軽いお話から始まりましたが、そういう楽しい中にも本音のお話がたくさん出てきます。それがワールドメイトにおけるお話の醍醐味であり、楽しいところの一つでもあるのでしょう。ここでしか聞けないという驚くような話や、興味深いお話も、たくさん聞けました。

このブログで紹介できる話に関しては、少しでも書きたいところですが、そもそも発願50年記念というのはなんなのかというと、深見東州先生が神の道に入信された、発願50年目という意味になります。今から50年前の4月8日、深見先生は15歳で、神の道(世界救世教)に入信され、その時から、自分には神の道しかないという自覚を強くし、どんなことがあっても神の道を貫き、必ず世の中を良くし、理想社会を実現するんだと決心されたそうです。弱冠15歳と言う若さで、そこまで決心されるというのに驚きます。

入信に関しては背景があり、劣悪な家庭環境の中、とくにお父様との間に生じた葛藤のせいもありますが、それ以前のこととして、深見先生は小さい頃から、とにかく神様のことが好きで好きで仕方がなかったそうです。辛い時も、悲しい時も、悩みがある時も、全て神様に一人で祈っていたそうです。神様だけしか自分の気持ちをわかってくれないと思い、神様なしでは生きていけないとさえ思っていたそうです。ですので、その教団の支部長さんから、「支部に来ませんか。来れば家庭もよくなるし、健康になるよ」と言われて、一も二もなく入信されたそうです。難しいことはどうでもよく、教団の活動内容やお金のことなども何も気にせずに入信されたそうです。一昨日の4月8日で、その時から丸50年が経ったわけです。奇しくもその日がお釈迦様の降誕日というのも、不思議な縁を感じます。

 

深見先生中学生

(深見東州先生の中学生の頃)

私がワールドメイトに在籍しているのは、その50年のうちの約半分くらいの年月になるでしょう。その間だけでも、本当にいろいろなことがありました。個人的にもワールドメイトにも、いろいろなことがあったので、その頃の思い出が甦えってきて、深見東州先生のお話を聞きながら、感慨に深くふけっていました。

今日までの間、深見東州先生は様々に屈辱的なことを味わい、ずいぶん酷いことも書かれたりもしました。誤解と偏見と怪しいという目で社会やマスコミがみていた時期もありました。私も、家族や周りの人から心配されていた時期がありましたけど、でも今は、誰も心配する人はいなくなりました。逆にワールドメイトに入会してくれるようになりました。変われば変わるものですが、それは、深見東州先生が腰低く、誤解と中傷に柔軟に対応されてきた賜物ではないかと思います。

私も、とても貴重な体験をさせてもらいました。いくら正しくても、真実であっても、素晴らしいものだからといっても、何もしなくて自然と周りがわかってくれるようになるわけではありません。世の中には、悪いことを考える人もいますし、またそう悪くない人であっても、その人たちの理解力に問題があることが多いです。だから、なかなか期待するような結果にはなりません。だからと言って、焦ったり、憤慨しても仕方ありませんので、穏やかに、丁寧に、辛抱強く、少しづつ誤解を解き、理解できるまでコツコツやるしかないわけです。でも、そうやっていくと、だんだんわかってくれるものなんだとわかりました。

私のような平凡な人間でもそうですから、それが深見東州先生のように活動のスケールが前人未到で、凡人にとても理解できないレベルになると、いったいどれだけの誤解が生じて、それを解かなければならなくなるでしょう。考えただけでも、気が遠くなりそうなことです。その苦労は、私などには想像つかないものでしょう。未だに誤解している人もいますから、正しいことを正しく理解してもらうのは、そんな簡単なものではないというのが、私の、ワールドメイトに入会して20数年間における実感でした。

深見先生大学時代

ワールドメイトに対し、誤解している人や、無理解な組織も、まだまだあります。でも、ある程度理解しているマスコミや、各分野の立場ある方たちも相当に増えています。どんどん増え続けているのも事実です。20年前を知ってるワールドメイト会員からすると、これはもう雲泥の差だと言えそうです。

正しい神様の道ですから、神に守られているのは確かでしょうけども、その陰においては、深見東州先生の血の滲むような精進努力と適切な対応があったからこそ、今日の姿があるのではないかと思います。しかしそれも、ギリギリの一厘差で守られてきたというのが事実かもしれません。世の中というのはそういうものであり、それが現実なのだと思います。神様の道と言っても、人間として最大の努力と天来の知恵がなくては、この世で大きく実ることもないし、それどころか、悪いものに潰されてしまうことになると思います。

それで、ここ数年は、マスコミやネットでの露出が増えてきたこともあるのでしょうけど、深見東州先生がどんな人なのかについて、興味を持つ人が増えています。それまでは、存在すら知らない人も多かったでしょう。

そういう中に、批判的な目で見ている人もいるようですが、おそらくまったく深見先生の活動に触れたこともなく、当然お付き合いしたこともなく、要するに何も知らないから適当なこと言って、根拠もなければ自分で真偽を調べるでもなく、ただ批判しているように思います。その奥には人間のジェラシー、羨ましいという気持ちもあるのでしょう。あるいは宗教の知識がなさすぎることからくる偏見、または誤った観念や思い込みに染まっているのかもしれません。しかしそれは誰にでもあることですから、ある意味で仕方がないとは思います。

また、もっとはっきり言えば、単なる宗教嫌い、特に新興宗教と聞くとアレルギーのように嫌だと、全く受け付けない人います。人間の好みは自由ですから、それも仕方がないと思います。ただし、いくら宗教嫌いだと言っても、宗教ではない芸術活動やスポーツ活動、またサミットのような公益活動まで、宗教をやっている人間がしているというだけで、内容に関係なく批判的な目になるのは、さすがにどうかと思います。その批判する人たちは、新興宗教は害悪だから、その教祖が関わる全ての活動も害悪に違いないという、極めて単純な思考に陥っているとしか思えません。最初から答えありきの思考なのです。とても悲しいことですが、こういう人たちは、ジャーナリストも含め、一定数日本にいるのだろうと思います。一つのイデオロギーに凝り固まっているのか、はたまた宗教を悪魔か何かのように思い、無条件に宗教を否定するという、よほどその方が狂信的なのではないかと思います。

しかしこれが現実の世のなかですから、深見東州先生も、「私は、くさや、干物、ドリアンでよい」と言われてましたが(笑)、そういう部分を感じて言われていたのかもしれません。つまり、熱狂的にそれが好きだという人が3割いて、そんな臭いもの食えるかという嫌いな人が3割いて、どちらとも言えない人たちが後の4割いるわけです。深見東州先生らしい面白いたとえです(笑)。

深見東州先生学生時代

 

それから、深見東州先生の露出が増えたと言っても、その活動のスケールや実力からすれば、10分の1、100分の1程度の露出だと言えるでしょう。

深見東州先生のプロフィールやウィキペディアなどを見て、とっても長いですねと思う人もいるようですが、確かに標準からすれば長いと思いますが(笑)、しかし、あれでも大事なことの10分の1も書かれてないと思います。ワールドメイト会員を長くやってきた人間からすれば、全く物足りないように思います。

そもそもワールドメイト会員でさえ、ワールドメイトの素晴らしさ、価値、教えを100%すらすら言える人は一人もいません(笑)。本当は笑い事ではないのですが、それくらい内容が多いし、高くて幅広い中身があるわけです。相当勉強している人でも、10分の1さえ伝えることができるかどうか、怪しいと思います。

かくいう私も、少しでもワールドメイトの素晴らしさ、深見東州先生の素晴らしさを伝えたいと発願し、このブログでせっせと書いていますが、100分の1さえも伝えることができてないことを自覚しています。おそらく今後もそんなものでしょうけど、せめて誤ったことを伝えないようにしたいと願っています。

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