カーニバルというと私のような人間は、ついリオのカーニバルでド派手なコスチュームをまとって、セクシーな姿で熱狂的に踊るブラジル女性を想像してしまいますが、本当はもっと深い意義もあるようです。

今回のワールドメイトの伊勢神業には、カーニバルと名を冠した神事があったのですが、これが大変素晴らしいものでした。どう素晴らしいかというと、参加者が楽しそうに、本当に心の底から楽しそうに、満面の笑みでパレードをしたのです。そうなるまでには、いろいろな経緯や、ちょっとしたしかけなどもあったのですが、とにかくあれほど楽しく盛り上がったパレードを私は初めて見ました。

 

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私は、一足先にワールドメイトの神事会場をあとにしたため、そのパレードには直接参加できず、地元での衛星中継で眺めておりましたが、おもわず身を乗り出すような興奮を覚えるほど、現地の楽しく盛り上がった熱気が伝わってきたのでした。

そして、終わったあとにわかったことは、この、「我を忘れて熱狂的にパレードしている」ような時にこそ、実は神様も人間といっしょになって、盛り上がっているということでした。

 

日本に古来から伝わる神社のお祭りなどにも、まさにこれと同じことが言えるでしょう。たとえば、「諏訪の御柱祭」なんかは、その典型ですね。以前諏訪神社に参拝に行った時、控え室でその御柱祭の様子が流れていましたが、それはそれは熱狂的なお祭りでした。あまりに激しく、熱狂的すぎて、毎回、怪我人まで出るほどです。でも、お祭りで怪我しても、地元の人は名誉なことくらいにしか思ってないようなので、それにも驚きました。

そして、こういう「我を忘れて熱狂的に盛り上がる」状態のとき、理屈抜きに神様と人とが交流しているわけですね。そしてさらに、人はそのときに、たくさんの元気や運気を神様からいただくわけです。変に理屈ぽかったり、傍観者のように冷めた目で見ていたりすると、神との交流は出来ないし、良い運気もいただけないわけです。これこそが、日本人に古来から伝わる「お祭り」の本当の意味なのでしょう。

 

ことしは20年に一度の伊勢の式年遷宮が行われる年ですが、このとき全国からたくさんの人が来て、町中を練り歩くお祭りに参加します。これも、まったく同じ意味があるのでしょう。こういう意味を、体でなんとなく知っているからこそ、日本人はお祭りが大好きなのかもしれません。

どうぞ今年も、皆様にとって、素晴らしい年になりますように。

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