深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
週刊ダイヤモンド「ワールドメイト独自のビジネスモデル・ギャグ満載広告の真の狙い」を読んで

先ごろ東洋経済という経済誌にワールドメイトや教祖である深見東州先生の記事が掲載されました。そして、あまり間を空けずに、今度はやはり経済誌の週刊ダイヤモンドに、ワールドメイトへの取材記事が掲載されました。

新潮や現代などの週刊誌と違い、同じ週刊誌でも経済誌による宗教特集になると、また少し違った切り口で記事にしているなと思いました。個人的な感想になりますが、やはり経済誌ゆえにどうしてもビジネス的な発想で、宗教を捉えてしまっているように感じますね。記事の内容からは、会社を大きくするのと同じく、宗教団体も大きくすることに第一義があるかのような印象を受けました。

ワールドメイトや宗教は、ビジネス的な発想では理解が難しい?

始めに結論から書きますが、ワールドメイトのホームページにもさりげなく書いてあるとおり、ワールドメイトは信者数と建物をどんどん増やし続けるところではありません。布教活動には強制がなく、意義を感じる人がぼちぼちとやっているというのが実情ですが、もしワールドメイトが布教第一主義でしたら、布教活動や建物の充実にもっと多額の資金を投入するでしょう。キリスト教系でも仏教系でもイスラム教でも、ある程度大きな宗教団体になると、立派な建造物を持つところがほとんどです。その方が信者さんたちも安心するのかもしれません。

しかしワールドメイトの場合、もっと別なものに宗教としての価値を置いているので、その方面には驚くほど資金を投入されてきませんでした。もっぱら社会貢献活動や芸術活動など、真善美と言われるものに投入されてきたと言えるでしょう。ただし芸術活動といっても高額な美術品を収集することではなく、教祖自ら率先して創作活動や芸術の表現に力を注ぎ、東西の伝統文化を広め、若い芸術家を育成するという感じです。これは、おそらくワールドメイト設立の時から、基本的にずっと変わらない部分だと思います。

週刊誌の記者からは、芸術や福祉活動などは儲かるものではないでしょう、という質問が出てましたので、そのあたりの視点が、やはり違うんだなと感じます。

一応、それに対しては、以下のように週刊ダイヤモンドのインタビューに答えられていました。

──芸術や福祉などはもうかるものではないでしょう。

 大赤字です。しかし、宗教活動などで寄付されたお金は浄財です。弱者救済や社会還元として使うので赤字でなければいけない。

深見東州、風変わりな広告の教祖が激白「うさんくさく見られていい」(週刊ダイヤモンド2018年10月13日号より引用)

ワールドメイトは宗教団体なので、もちろん祈願などの宗教的な祭事も大切にしています。しかし、それだけではなく普遍的な宗教性を広めることを、最も大事にしています。教団を大きくすることよりも、優先順位はずっと上になります。組織や人は、その普遍的な宗教性を広めるために必要なものですが、組織や建物の大きさ、人の数というものは、その目的を進めて行く中で、ぼちぼち見合う形でついてくればいいのではないかと思います。

ワールドメイトがスポーツやコンサート、国際協力を積極的に支援する理由は

ところで、その普遍的な宗教性とは何かというと、同じインタビューの中で以下のように答えられています。

──コンサートなどのイベントに力を入れている理由は。

ワールドメイトでは、「宗教的宗教活動」と「普遍的宗教活動」に分けて活動しています。

 宗教的宗教活動は宗教法人としての宗教活動。普遍的宗教活動とは人類愛に基づく活動や社会貢献の活動、いわゆる布施行としてのスポーツ、芸術、福祉、国際協力などです。

 神様は真・善・美の三つの面を持っています。真とは科学や経営などの合理的なもの。善とは宗教、福祉、スポーツ、教育など。そして美とは芸術です。つまり、宗教は真・善・美という神の一部分にすぎない。ワールドメイトの目指す究極は、真・善・美によって日本を中心とした世界平和を実現することです。それ故、宗教以外の普遍的宗教活動も積極的に行っています。

神様イコール宗教ではないわけですね。ワールドメイトでは神様の御心を一番大事にしますが、その神様の御心とは、善なる宗教活動だけに現れるものではなく、真善美という科学、経営、学問、道徳、教育、スポーツ、芸術などなど・・様々なこの世における活動に及んでいるわけです。

芸術と宗教は、昔から切っても切り離せない関係にありますが、科学や経済(ビジネス)、スポーツなどもそういうことになるというと意外に思う人もいるでしょう。なぜなら宗教と科学は相容れない関係のように教えられたか、そのような誤った認識があるからだと思います。

しかし実際はそうではなく、互いに関わっていなければいけない関係にあると思います。例えば宗教の特徴である愛とか慈悲の心とか、そういうものが欠けた科学、経営、芸術になると、科学の発達は殺戮兵器の開発ばかりに進むかもしれません。あるいは強いもの勝ちの経済になり、貧しく弱い人は切り捨てられる世の中になるかもしれません。また、人の心を豊かにしない退廃的な芸術作品ばかりが溢れるようになるかもしれません。

逆に宗教が科学を受け入れないと、中世の暗黒時代と言われたような社会になるかもしれません。また芸術性や美が全くない宗教というのも、とても本物ではないと思います。相互にバランスよく影響しあってこそ、本物の神様の御心を表すものになると言えます。したがって真善美の全てが備わってなければ、本当の神なるものを理解することはできないと思います。

そこが、ワールドメイトの基本的な見解になっていると思いますので、いわゆる宗教的な宗教活動ばかりではなく、普遍的な宗教性を持った真善美のさまざな活動にも、積極的に取り組まれているわけです。それをワールドメイトでは普遍的宗教活動と呼び、通常の宗教活動を宗教的宗教活動と呼んで、しっかりと分けた上で活動をしています。

もちろん、どちらの活動にしてもワールドメイトでは、会員に対して強要はされません。そしてワールドメイトの宗教活動も、救霊や悩み相談、いくつかのご祈願などでは、会員ではない人でも参加できますが、コンサートやサミットのような深見東州先生関連のイベントになると、そもそもワールドメイトが主催をしているものはありません。その内容を見て好きな人が誰でも参加できますし、実際にそうなっています。

ワールドメイト会員は、私のように参加したい人だけが参加します。もちろん、そこに来た人に対して布教活動をすることもありません。深見東州先生も、ワールドメイトの話をされたことは一度もないと思います。別に隠しているわけではなく、主催する団体も含め、分けて活動しているというのは、そういうことなのです。

ワールドメイト独自のビジネスモデルとは?

長くなりましたが、そのことを理解した上で、もう一度週刊ダイヤモンドの記事を見て見たいと思います。それによると、ワールドメイトの事業モデルという風に書かれています。深見東州先生は、これもワールドメイト会員は20年以上も前から知っている事ですが、世界的に著名な人物や大物を呼んで、様々な催しを開催されてきました。

特に最近は、世界開発協力機構でオバマ前大統領を日本に呼んだり、東京芸術財団などで香港の映画スターやパッキャオを呼ぶなど、とても目立つ活動が多かったですね。また、7年くらい前からは、新聞に深見東州先生の顔写真入りの広告が載るなどもありました。

その辺を調べた上で書いた記事なんでしょうけど、ワールドメイトで得られた多額の資金を大盤振る舞いでコンサートやチャリティ活動に使用しているとした上で、なぜそのような利益にならないものに多額の金をつぎ込むのか、その理由として、次のようなワールドメイト独自のビジネスモデルがあるという主張です。

「深見東州氏がトップを務める多くの団体には、大物政治家たちが顧問に名を連ね、顧問料や政治献金などの支援も欠かさない。宗教団体では新聞考査で広告が打てないので、宗教とは無関係の団体や企業を使い、自らの写真を目立たせながら広告を掲載し、深見氏の存在をアピールすることがワールドメイトの知名度向上に繋がり、結果として信者の獲得や退会者の抑制に繋がる。そして信者の増加は、宗教事業や収益事業の収入拡大に繋がり、それで社会活動に投入する資金を増やすことも可能になる。また、チャリティ活動で世界のセレブと人脈を構築し、世界のVIPを招くことも可能になる。

週刊ダイヤモンドによると、そのようにしてワールドメイトでは、好循環を生むビジネスモデルを作っているという主張のようです。

さすが有名な経済誌だけあって、わかりやすい記事だなと感心しますが、私の個人的な意見としては、事実を捉えている部分と、そうではない部分があると思いました。

深見東州氏の顔出し広告によるメリットとは

事実と思える部分としては、広告を出したことに関して、深見東州先生自らインタビューで次のように答えられていました。

 ──深見さんの顔写真入りの新聞広告を数多く出していますね。

 “天啓”によって60歳から新聞広告を出すことにしました。その一番のメリットは、ワールドメイトの存在を多くの人に知ってもらえたことです。新会員が大幅に増えたわけではありませんが、会員の親の反対が減り、退会者も少なくなりました。

ということで、私の感覚としては、そんなに効果があったのかどうかはわかりかねますが、きっとそういう例がかなりあるのかもしれません。

ワールドメイトは天啓によるモデル?

では次に、事実と違うのはどこかというと、まず、ビジネスモデルではない、というところでしょう。もちろん宗教団体でも組織である限りは、ある程度の収入がなければ成り立ちませんので、そのための収益モデルがあっても不思議とは思いません。安定した収入がなければ、我々も学ぶ場所や活動する場所がなくなり困ってしまいますから、できるだけ安定していたほうが良いことは当然のことです。

それでも、これらは頭で考えた末にされているわけではなく、深見東州先生の場合は、天啓によってされていると理解しています。全てが天啓かどうかはわかりませんが、ビジネスモデルという収益を第一にするものではないというのは確かです。

ここで、はじめに書いたことが重要になってきます。あえてこの仕組みをモデルと呼ぶのであれば、人類愛に基づく、普遍的な宗教性を広めるための、天啓によるモデルになるのだろうと思っています。

経済誌ですから、なんでもビジネスライクに捉えてしまうのは無理もないことですが、しかし、宗教の特性をある程度理解すると、ビジネスとは違う進め方、基準というものが見えてくると思います。

誰にも真似ができないモデルだからこそ

もしも100歩譲り、これがビジネスモデルであるとしましょう。では、誰がこのようなビジネスモデルを考えつくことができるのでしょうか。そのようなモデルは、おそらく誰も思いもつかないでしょうし、もしも誰かによってそれが示されたとしても、絶対に誰も挑戦しないモデルだと思います。

なぜなら、人間業ではとても成功するとは思えない困難なモデルだからです。日本人で、これまでの深見先生と同じことができる人は、おそらくいないと思いますが、たとえばオバマ氏を呼ぶことだけでも、できる人は非常に限られるでしょう。お金を積めば来る人ではないと思われますので。

また、そんなことよりも、ドミンゴやカレーラスと一緒に歌い、専門家の評価も高い絵画や書を何百、何千枚と描き、オペラの主役、能楽、京劇、バレエや演劇など数えきれないほどの舞台芸術活動を行い、ユニークな少数予備校で時代を先取りし、ファッション時計の草分け的な会社を成功させ、あらゆる分野に博識でかつ専門分野での博士号を2つとり、詩人で小説を書き、カンボジア大学を創設し、社会貢献やチャリティ活動の多彩な活動は到底書ききれませんが、英国王室とも交流があり、世界のゴルフ界でもとても有名で多くの大会を主催し、語学堪能でギャグやジョークに長け、様々な分野の世界の著名人との親しい交流が増え続け、それだけの人間的な魅力と高い志と教養を備えている、そんなことが全てできなければ、このモデルは成立しないからです。それプラス宗教家としての豊富な知識と活動と能力が必要なのです。

そこまでできるように、とてつもない努力を想像を絶する苦労をしてまでやろうとは誰も思わないでしょうし、そもそも、そんなことを自分がやれるとは誰も思わないと思います。もしいたら、この10分の1でも良いからチャレンジしてみることをお勧めします。その膨大な活動の一つだけでも、そう簡単なものではないことを、私は思い知っていますので、私はやりませんが。

おそらく深見東州先生も、はじめからこのような形になって行くとは、思ってられなかったかもしれませんね。しかし天啓と信じるがゆえに、若い頃から不眠不休と言っても言い過ぎではないような、人として最大限の精進努力や研究を重ね、多くの人々のために尽くしてこられた結果、様々な活動が有機的に結びつき、次々と物事が開いて成就するようになられたのかもしれません。

このような仕組み(モデル)で好循環を築いていると、書くのは簡単なことです。また、深見東州先生の膨大な活動や交流を論評するだけなら誰でもできますが、それらは、現実に真似ができるような代物ではないことを理解できると話が早いのですが・・。そこが理解できると、ビジネスモデルという世俗的なものを超えたものであることが、だんだんわかってくるかと思います。

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