深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
デイヴィッド・フォスターと、2016/3/17 舞浜「深見東州と、友人達のコンサート」で共演

今月17日に、舞浜アンフィシアターでの「深見東州と、友人達のコンサート」の広告が掲載されていました。 (チケットはたちばな出版が販売)

深見東州と友人達のコンサート
この度は、デイヴィッド・フォスターというポップ史に残る超大物が来日しての共演となります。それからピーター・セテラとマイケル・ボルトンも来日します。2人とは、過去にも共演されていますが、この二人もいうまでもなく、グラミー賞を受賞した歌手です。(ピーター・セテラはシカゴのグループで受賞)

さらにデイヴィッド・フォスターから羨ましいと言われるほどの大物プロデューサーとして活躍中のベイビー・フェイス、スパイス・ガールズで最も歌唱力があるメラニー・チズム、クロスオーバーミュージックの歌姫キャサリン・ジェイキンスと、ゴージャスなメンバーが揃う、超リッチなコンサートになります。深見東州先生は、大の友人であるマイケル・ボルトンから、デイヴィッド・フォスターを紹介したいと言われていたようで、それがこの素晴らしいコンサートにつながったのかもしれません。こんな共演は、日本では再び観ることができないかもしれません。昨年のプラシド・ドミンゴとの共演も、貴重な公演でしたけど、今回はさらにそれを上回るコンサートになるのでしょう。私のワールドメイトの知人も腰抜かすほど驚いてました。彼はここ数年、毎年腰抜かしてますから心配です(笑い)

舞浜アンフィシアター

私がデイヴィッド・フォスターを知ったのは、シカゴのプロデュースをやった頃からだったように思います。1970年代からすでに活躍していたそうなので、あまり昔のことは知りませんが、どんなアーティストと仕事をしてきたのか、せっかくですので少し紹介できればと思います。

1970年後半には、ホール&オーツ、アリス ・クーパーのプロデュースもしていたのですね。それは知りませんでした。そして、ディスコでよくかかっていたというこの曲は共作になりますが、デイヴィッド・フォスターが作曲した初のヒット曲だそうです。

全米でも1979年初めに12位となり、日本でも流行っていたようです。

それから、やはり1979年の曲で、これも共作ですが、全米2位の大ヒットとなり、初のグラミー賞受賞曲(最優秀R&Bソング賞)となったのが、この「After The Love Has Gone」です。これはEW&Fが是非この曲を譲ってくれと言って歌ったそうです。

デイヴィッド・フォスターとのライブもあります。
David Foster & Friends: Earth,Wind & Fire - September After - The Love Has Gone

この時期は、デニース・ウィリアムのプロデュースやマイケル・ジャクソンの「Off The Wall」にも作曲・編曲、鍵盤で参加するなど、ブラックミュージック、ダンスミュージックに関わりが深い時期だったようです。現在のイメージとはかなり違うので、知りませんでした。

そして、70年代の最後にヒットしたのが、やはりホール&オーツの「Wait For Me」です。これも、日本でもよくかかってました。

80年代は、さらに大飛躍しますが、あの80年代を代表するようなサウンドの一翼を担っていたとのことです。深見東州先生が、一昨年、武道館でトトやジャーニーの元メンバーと共演されましたが、あの系統の音の流れを作った一人だそうです。ジェイ・グレイドンと結成したエアプレイの曲など聞くと、もろにその音だなと思います。実際にトトのメンバーたちとセッションしていたそうです。

そして、低迷していた当時のシカゴを、曲作りとプロデュースと演奏で、全面的に参加して見事に復活させます。3枚のアルバムで大成功を収めました。1984年のシカゴとの2作目「Chicago 17」では、グラミー賞の最優秀プロデューサー賞を初受賞します。

こちらは、今回の「深見東州と、友人達のコンサート」に来日するピーター・セテラのヴォーカルです。

誰でも知ってるあの名曲「Hard To Say I'm Sorry」も誕生しました。ピーター・セテラとの共作ですが、デイヴィッド・フォスターの作曲としては、初の全米1位になりました。

このシカゴの世界的な成功の後も、バラード路線でヒットしていきます。日本ではAORと言われる音楽が、この時期に人気がありましたが、日本のミュージシャンたちとのセッションも行い、日本の音楽シーンにも大きな影響を与えたと言われています。

1984年、チャカ・カーンとの「Through The Fire」もアダルト・コンテンポラリー路線です。

また、ソロ活動も1983年から始め、「ドリームガールズ」「摩天楼はバラ色に」「セカンド・チャンス」「君がいた夏」などのサントラも80年代に手がけています。

「ドリームガールズ」のサントラでは、二度目のグラミー賞(Best Musical Show Album)を受賞します。
「And I Am Telling You I'm Not Going」

そして、1985年の映画「セント・エルモス・ファイアー」のサントラ用に作曲した「St. Elmo's Fire(Man In Motion)」が、2度目の全米1位になります。


こちらも映画「セント・エルモス・ファイアー」のサントラに収録されたデイヴィッド・フォスターのインスト曲ですが、かなりヒットしています。今は、ライブのテーマ曲に使ったりしているようです。

そして1985年、バーブラ・ストライサンドの「Somewhere」で、またグラミー賞を受賞しています。曲はレナード・バースタインの曲です。

ただ、この後から大きなヒット曲に恵まれなくなり、再び大ヒットするのが、1991年のナタリーコールのアルバム「Unforgettable」でした。このアルバムはグラミーの最優秀レコード、最優秀アルバム賞に輝き、デイヴィッドにとって、二度目の最優秀プロデューサー賞受賞など、大復活となりました。
亡き父ナット・キング・コールとのヴァーチャル・デュエットです。
Natalie Cole with Nat "King" Cole - Unforgettable

そして1992年、あの映画「ボディーガード」のサントラのプロデュースを手がけます。そしてホイットニー・ヒューストンが歌うドリー・パートンの名曲「I Will Always Love You」は、全米14週連続1位というとてつもない記録を打ち立てます。しかしそれを破ったのが、今回の「深見東州と、友人達のコンサート」のために来日するベイビーフェイスが作曲した「I'll Make Love To You 」という曲でした。その二人が今回一緒にプレイするとは、なんと贅沢な素晴らしいコンサートなのでしょう。

「I Will Always Love You」

ちなみにこのサウンドトラックは、全世界で4200万枚売りあげるモンスターアルバムになりました。日本でも空前の大ヒットとなりました。もちろんグラミーはじめとするあらゆる賞を総なめにします。グラミー賞では「Record Of The Year」、そしてデイヴィッドは三たび「Producer Of The Year」に輝きます。

クイーン・オブ・ポップのマドンナとも仕事をしています。共作と共同プロデュースで、1995年発売のこの「You'll See」は全米でも大ヒットしました。デイヴィッドは、マドンナのことを、真のプロフェッショナルだと言っていたそうです。

セリーヌ・ディオンは、フランス語圏ではかなり有名でしたが、それをデイヴィットが見出し、1990年のアメリカでのデビューから現在まで、ずっとフォローしてきたそうです。と言っても英語圏にデビュー後は、今やマドンナやマライヤ・キャリーと肩を並べる世界で最も売れている女性アーティストになりましたので、超スーパースターです。
デイヴィットが関わった曲はたくさんありますが、1993年のこの曲を聴いてみます。
「The Power Of Love」

ヒットしたものを全部紹介しているとキリがないので、このくらいにして、21世紀に参りましょう。

実は、90年代の後半からは、ワールドメイトでもよく話に出てくるルチアーノ・パヴァロッティや、パヴァロッティが見出したアンドレア・ボチェッリのようなクラシック分野のアーティストたちとも仕事を始めます。アンドレア・ボチェッリとは、最近のコンサートでも共演しているようです。また、1995年にワーナーブラザーズ配下に143という自身のレーベルを設立し、ミュージシャンとは別に、音学業界の総合的な仕事が増えていきました。その143レーベルからデビューした、3組のアーティストを最後に紹介して終わりにします。

まずデイヴィットは、ジョシュ・グローバンを見出し、クロスオーヴァーと言われる歌手としては、驚異的な大成功に導いています。
「You Raise Me Up」

聴きやすい歌い方というか、クラシックの歌唱には思えませんが、そこが良いのかもしれません。

143で初めて契約したのは、ザ・コアーズというアイルランドのバンドでした。


アコーティックでシンプルなサウンドがいいですね。

しかし何と言っても最も大きな成功を収めたのはマイケル・ブーブレです。グラミー賞も受賞しています。
こちらは、デイヴィッドが共同でプロデュースしたデビューアルバムからです。

ということで、単にヒット曲を連発するだけでなく、あらゆるジャンルを超え、時代ごとに音楽シーンに大きな影響を与えてきたのが、デイヴィッド・フォスターなのでした。

 

 

今、知りましたが、こんな応募までやっていたんですか。明日11日締め切りだそうです。

 

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