深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトで体験した、努力したことが無駄にならず吉に変わるためには

自信のなくすことがよくないことは、誰しも経験上よくわかっていると思います。とはいえ、世の中には自信を無くしたまま、普通に生活を送っている人がとても多い気がします。なぜ自信をなくすことがいけないのか?そして、自信を無くさなず良い結果にするために、どうすれば良いのか?私がワールドメイトで聞いたことや、今まで体験したことなどから、なんらかの参考になればと思い書いてみます。

まず、なぜ自信をなくすことがいけないことなのでしょう。私の知っている人で、いつも自信満々であり、それゆえか自分よりもできない人に対し、非常に傲慢とも思える態度をとる人がいます。実力があり自信家であっても、非常に謙虚な人も世の中にはいます。ワールドメイトの深見東州先生もそのような方だと思っていますが、残念ながら、それなりに実力があり成功し、自信満々に思える人の中には、往々にして態度まで大きくなる人もいますよね。

それほど実力や実績があるわけでもないのに、やたら人を見下すような人もいます。そのような根拠のない自信から威張っている人は周りもわかりますので、まともに相手にされなくなっていきますけどね。

社会である程度のことをやり遂げてきた人は、いろんな困難があってもめげずに、諦めることなく続けてきた人だと思います。自信をなくしそうになることもあったと思いますが、絶対にできると、強く信じて自分自身に言い聞かせ、努力を続けてきた結果だともいえます。

それゆえ、多少傲慢になってしまうこともあると思いますが、自信がなくて消極的な人生を送るよりははるかに良いと思います。そして、成功の影には周りの人の多くの協力や助けがあったことを自覚すると、だんだん謙虚になっていくと思います。それから、深見東州先生のように神仏の御加護をいつも感じている人も、どんなに成功しても自然体で、謙虚さを失うことはないような気がします。

今日問題にするのはそのような人たちではなく、私もそうですが、何か目標や志があって、それをやり遂げようと努力はするのですが、なかなか思うようにいかずに自信も無くし、やがて諦めてしまう人たちのことです。

それだと世の中での成功はおろか、何もたいしたことができないまま、一生を終えてしまいかねません。しかし自分はこれをやりたい、こんな人生を送りたいという目標を持って努力していたこともあるわけです。

せっかく夢を抱いていても、人の夢を打ち砕くようなことを平気で言う人もいますね。強烈な念力を持つ人から言われた場合は、たちまちのうちに自信をなくし、自分の抱いている夢が崩れてしまいます。そのような状態は、自分の心の中の未来の良いイメージが、ことごとく崩れ去った状態になっているようです。

そもそも良いイメージを次々と持っている人は、良いことが起こりやすいと言えますが、酷いことを言われてショックを受けると、良いイメージがなくなるどころか悪いイメージが湧いてきて、よくないことすら招きかねません。

物事が結実する前には、ワールドメイト風に言うなら、しっかりと良いイメージが霊界にて形成されていると言えます。それがなくなると言うことは結実しようがありませんから、自信をなくすとそのような状態になってしまうため、決してよくないわけですね。

人にもよりますが、プライドまでズタズタに傷ついたりすると、酷い場合はそれが引きこもりに繋がるケースも、現代社会では多いように思います。そこまで追い込まれてしまうと大変ですので、その場合は現実的に、早めに環境を変えるとかの対応を柔軟にする必要があるでしょう。

そこまではいかないまでも、一生懸命に努力しても、なかなか成果が出なかったりすると、だんだんと自信を失い、もうこのくらいでいいかなとか、やめてしまおうとか、そんな気持ちになってしまいがちですね。この時に霊界では、すでに良いイメージが崩れつつあるのでしょう。自信を無くすほどに、良いイメージも消えていき、あるいは小さくなっていると思います。これでは、いつまでたっても良い結果につながりませんよね。

そのような時こそ、自信を失わずに、自分は絶対にやれると信じて言い聞かせることが大事になりますね。ワールドメイト会員でしたら、神仏に自信回復するまで祈ると思います。このような時は、信仰を持つ人は、多少強みになるかもしれません。

少し話が前後しますが、ワールドメイトでは、熊野の神は蘇りの神と聞きました。私があることで非常に傷つき、心がズタズタになって自信喪失していた時がありました。ちょうど熊野の神事がワールドメイトで開催され、参加しました。そこで言われた通りにしっかりと祈ったところ、不思議なことにみるみるダメージが回復し、気がつくと元のように蘇ったことを覚えています。

しかし最終的に、やるだけやったけども、結果がダメだったということもあります。人間ですから、一生懸命努力して頑張ったとしても、良い結果にならないことも往々に起きます。たいした努力もせずに、良い結果にならないのであれば、単なる努力不足ということになりますが、一生懸命努力したにもかかわらず、思い通りにならないどころか、とんでもない結果になったりもします。私もそのような苦い体験をしたことがあります。その後の人生の歯車がおかしな方向に向かいそうになりました。

そのような結果になってしまった時にはどうすればよいのでしょう。結論からいうとワールドメイトでは想念転換をします。このような結果になったけども、きっと私にとって、この方が良かったに違いないのだと、気持ちを切り替えることです。とは言っても、そう簡単なことではありませんが、時間がかかってもいいので、そのように思えるまで工夫します。

単なるできなかったことへの負け惜しみじゃないのか、自分への哀れな慰めに過ぎないと、思う人もいるでしょう。ところが違います。ワールドメイトでは、神様が先々のことまで考えて、きっとこの方が私にとって幸せになるから、そうしてくださったのだと、そのように思い直します。

投げやりにならないための気休めで思うのでもありません。心から、そのように強く信じると、本当にそのような方向に、人生が変わっていくのです。

後から振り返ってみると、あの時はショックだった、大変だったけど、結果としてそれがあったおかげで、今の私がある、良い状況があると言うふうに変わっていきます。これは、私がワールドメイトで学んだ重要な教えの一つです。

結局、本当に一生懸命にやったことであれば、何一つ無駄にならないと言うことなのです。最初に思っていたことと違う結果になったとしても、その方がきっと良いのに違いないと確信していると、人生が本当にそのように変わっていくことを、私は身を持って体験しました。それまでに努力したことは、決して無駄にはなりませんでした。

本当はここで私の体験談も書きたいところですが、あえて深見東州先生の膨大な体験の中から、努力したことが決して無駄にはならないということで、最後に一つだけ紹介して終わりたいと思います。

深見東州先生は同志社大学に入学されましたが、本当は大学時代にやりたいことがあったそうです。しかし、ある事情から、全く予期せぬ方向に無理やりに進むことになりました。それはESS(英語系サークル)に入ることでした。

深見東州先生にすれば、せっかく大学に入学したのに、自分のやりたいことがやれず、ショックだったかもしれません。ESSで英語をものにすることを余儀なくされた深見東州先生は、本意ではなくても、そこで鬼のように努力をすることになります。卒業後、就職した先は建築の営業でしたし、その時はなぜ英語をしなくてはならないのかと思ったそうです。

しかし、これは神様がされていることだと信じ、きっと将来に何かの役に立つに違いないと思い直して頑張ります。結果として、後に30代で海外に会社を持つことになり、今は英国や豪州に複数の会社を持たれています。そして、今も語学力を磨き続けているそうですが、その大学時代に培った語学力のおかげて、スポーツやアートの推進、福祉活動などで、世界から高い評価を受けるインターナショナルに活動する人物になられたわけです。

これは深見東州先生が、学生時代に自分の思いとは違う英語の習得に取り組まれたわけですが、その時はわからなくても、思い直してきっと将来、それが何かの役に立つに違いない、そうなるに違いないと固く信じていたために、本当に英語力が役に立つ人生に変わったのでしょうと言われていました。

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