深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトで学んだ弱気を克服し、今の自分を変えていく方法

ときどきワールドメイト会員どうしで、なんで、あなたはワールドメイトに入会しようと思ったの?と、聞き合うことがあります。自分自身の入会の動機はわかっていても、やっぱり、他人のワールドメイト入会の動機も気になるところです。聞いてどうなるものでもないのですが、自分と同じような動機の人を見つけると、ちょっと安心したりします。

実際に聞いてみると、深見先生の本を読んだり、知り合いにワールドメイト会員がいたり、何かで深見先生の存在を知ったりと、きっかけは様々で、それによっても入会の動機はかなり違うなと感じました。そんなにたくさんの人に聞いたわけではないですが、ざっくりと分けると、神様のことも含め、何か本当の真実を知りたいというタイプ。今の自分の何かを変えたくて、それができそうな気がしたので入会したというタイプ、とにかく今が苦しいので、なにか救いの道はないかと求めてきたタイプ。あとなにか人助けがしたくて、役に立てることはないかと思ってきた人もいます。

入会の動機が高尚であれば、必ずしも素晴らしいわけではありませんが、逆に入会当初の動機は、ただ目前の悩み事を解決したくて救いを求めて入会しても、ひとたび入会してある程度解決すると、がぜん世のため人のためにと志が変わって頑張る人もいます。あるいは解決したら満足してしまったのか、それっきりの人もいます。そういう人にもワールドメイトは寛容ですが、動機ではその人のなりまではわからないですね。

動機の中でわりと多いのが、今の自分を変えたいからというものです。運がもっとよくなりたいとか、弱気な自分を強くしたいとか、何か才能を磨きたいとか、具体的にはいろいろあると思います。おそらく、自分を変えたいと思ったことのない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。思った通りの自分になれる系の自己開発系の本が、本屋にあふれているのをみると、いつの時代も共通した皆の想いなのだろうと思います。

そこで、今日は、ワールドメイトで教えてもらった、自分を変えるやり方の原則を書いてみようと思います。それほど突っ込んだことは書けませんので、さわりだけと思ってください。

志を立てる

志を立てる

実はあの深見先生も、小さい頃は身長が低くて気弱で何をやっても長続きしないひ弱な子供でしたと言われていたことがあります。勝気な女の子を見るとたのもしいなあと憧れたり、強そうな男の子をみると羨ましく思ったそうです。かなり晩熟だったそうなので、そのせいもあったようですが。
あの先生にして、そんな少年時代があったのです。だからこそ、意志が弱い子、勉強をしない子、気の弱い子の気持ちもわかり、そこからどうすれば脱出できるか、人にアドバイスできるようになられたのでしょうけどね。

さて、具体的なノウハウは、たくさんあるそうですが、まず志を立てないと、そこから脱出することは難しいと言われます。志はなんでもいいそうですが、ああしようかどうしようかと心で迷っている間は志が立ったとは言えないので、こうするんだ、これをやるんだと、とりあえず何かを決意しなくてはなりません。そうやって志が立って、チャレンジが始まると、目の輝きも顔つきも変わって、魂が発動するそうです。それが弱気を克服して雄々しくなるための最低条件になるそうです。

ただ途中で挫折したりして、志が萎えたりすることもあるでしょう。あるいは志を立てて努力するうちに、我と慢心が出て、行き過ぎて反り返ることもあるようです。たとえば、やたら頑固になったり、天狗になって人の意見を聞かなくなったりすると頭打ちになります。それでも萎えてぐずぐずしているよりは良いようですが。

想念術をやってる人など、ある程度思った通りになり始めると、人への感謝を忘れ、自分の力でできたと慢心して、人の言うことを素直に聞かなくなる人がいるようです。そうなると、それ以上の進歩向上は望めず頭打ちになります。そういう人は、失敗して天狗の鼻をバシッと折られると、謙虚になって変わる人もいるようです。

日々発願主義とイメージトレーニング

志を立てることを、ワールドメイトでは発願と言います。そして毎朝、「今日は必ずこうするんだ」と、発願することを教えられます。それはセールスの会社などで、朝礼の時に今日はこれだけの売り上げをあげますと、目標を言って気合いを入れるようなものに似ています。実際にそういう感じで良いそうです。セールスの会社では、上司同僚の前でそれをやりますが、あまりやる気がしない日でも、そう言い切ってしまうことで、とりあえす弱気の自分は引っ込んでしまいます。だから毎日毎日そうやってる会社が多いのでしょう。

ワールドメイト会員の場合は、別に人前でするわけではないですし、神様に対してそれを言えばいいだけですから、ある意味では楽です。でも、そうやって日々発願をしていると、神様から本当に叡智をもらって、目標が達成できるようになるのです。それが続いていくと、やればできるじゃないかと、だんだん自信にもなっていきます。もちろんそのままでは、やがて天狗になる恐れがありますので、絶えず自分を振り返って祈り直さねばいけません。それができていれば、ますます良い状態になっていくと思います。

レベルは低いですが、私も発願をしっかりとやった日は、かなり調子が良いです。それが甘いと、なんとなくだらだらと冴えない1日になります。わかっていてもつい甘くなるところが、私の場合はムラ気がまだあるのかなと思います。でもこれは、絶対に毎日していくべきだと確信しています。そうやって己を鼓舞する人しか神様も守護しないし、不可能も可能にならないからです。

そのように、毎日欠かさずやらなかったらダメなので、ワールドメイトではこれを日々発願主義ともいうようです。そして、理想を言えば、1時間に1回それをやれれば、もっと素晴らしくなるそうです。さらに秘訣をいうと、人様に良かれ、みんなに良かれという願いの中に、どこか自分の願いも入れていくことだそうです。それは、人様のために祈ったことは願いが叶い、自分のために祈ったことは悉く失敗したという深見先生の体験から来たものです。これは、なかなか高度なノウハウですが、深い真理をついています。

また、深見先生は発願主義に加え、成功したイメージを浮かべるようにと言われています。往々にして人間は不安があるものですから、イメージの中でも失敗するんじゃないかと連想しているそうです。それで発願しても、イメージがネガティブなので、なかなかうまくいかないそうです。だから心の中では不安や葛藤があっても、イメージでつねに成功したシーンを浮かべて発願し祈らないといけないそうです。イメージの世界が明るいとそうなるけど、イメージの中で負けていたら、暗めの発願となり、幸運も逃げてしまうそうです。想念術も、あるいはスボーツ選手でもイメージトレーニングをやっている人が多いと思いますが、同じ原理だそうです。良いイメージを描くイメージトレーニングの訓練は大事だそうです。ただし度がすぎると、傲慢になる人もいるので注意が必要になります。

大死一番の覚悟を持つ

発願と、イメージができるようになるだけでも、かなり成功するそうです。しかし、そこからさらに一流、超一流になろうと思う人は、さらに上の訓練があるそうです。それを禅宗で言うならば「大死一番、死して大生する極意なり」というそうです。これを平たく言うと、失敗なんて恐れることではない。またやり直せばそれで済むだけのこと。よしんば命を落とすことがあっても、それも本望だ。それくらいの根性を据え、魂からの気合いにあふれていれば迷いがない。不安もない。葛藤もない。心が澄み切る分、相手の出方が手に取るように見えてきて、結果的に成功を収めることができる、という意味になるようです。

これは、私のようなものには、とても解説できませんが、深見先生は、このような大死一番の覚悟を決めて、いつも行動され決断されていると思います。そうすることで、いつも神様が守護されることを、実践的な信仰の中で会得されているからでしょう。深見先生は、何万という人の前に出ても平気ですし、講演会でも、10秒前まで何を話すか決めてなくても困らないそうです。前に立てば、必ず神様が出てくるからだそうです。失敗したらどうしようとかまったく思わないそうです。ワールドメイト会員になると、本当に先生はそうされていることが、じっさいにわかります。嘘偽りのない真実です。こういう境地で、いつもされているから、なにをやっても、不可能に思えることでも、結果としてすべて成功されるのでしょうね。

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