深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトで長年の疑問が解決

人間は何のために生まれてきたのだろう?
というような問いかけを、今まで生きてきた中で何度か考えた経験を、ほとんどの人は持っているのではないでしょうか。

ワールドメイトに入会するはるか前より、私もそんなことを考えた時期があったことを、今でも鮮明に思い出します。他のことは忘却のかなたに行ってしまっても、それだけは記憶に焼き付いているのが不思議です。

映画やドラマを見ると、人生のどん底に落ちたような場面で、私は何のために今まで生きてきたのだろう?。とか、人生なんて無情だ、と絶望したりするものがありますね。そして、またそこから立ち直ってくるわけですが、実際の人生はもっと複雑でしょう。

小学生低学年のころ、人間て何だろう?、命て何だろう?とか考えて、今死んだらどうなるんだろうなど、変なことばかり考えていた時期がありました。中学生になると、人間は何のために生まれてきたんだろう。何を目的に生きて行けばいいのだろう?何てことで悩んだ時期もありました。別に苦労していたわけではありませんが、何でそんなことを考えたのか、今でも不思議です。それで自分なりの結論としては、人間は、魅力的な人間になるために、あるいは立派な人になるために生まれてきたのではないかと思うようになりました。

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その後、ワールドメイトに入会して、深見東州先生のお話を直接聞くことができ、人は御魂を磨くために生まれてきていることを知りました。この意味はとても深いものがあるので、簡単に説明することはできませんが、ただ、それまで思ってきたことは、そんなに大きく違ってなかったと感じたものでした。

 

「人生の目的は金だ。お金持ちになることだ」と、正直にいう人も世の中に多いです。普通はそう思っていても、「人生はやりがいのある仕事を頑張ることだ」、とか、「自分の才能を活かして成功することだ」という程度に言う場合が多いでしょう。ズバリお金が人生の目的の全てのように言う人は、ある意味正直な人なのかもしれません。

また、ロマンスに生きる人は、「好きな最良の人と一緒になること」とか、「愛と恋に生きることが人生よ」なんて人もいらっしゃるでしょう。
私は、さすがに「人生の目的は金儲け」だとまでは思ったことがありません。しかし、お金は命の次に大事なものだとは理解しています。お金がなければ、現実的に何もできませんし、生きていくことも難しくなりますから当然かもしれませんが。

 

それで、何が言いたかったのかと言うと、人生の目的と信仰との関係なのです。何か面倒な堅苦しい題目ですが、少々お付き合いいただければと思います。実は、信仰を始めると、その人の人生の目的、あるいは一番何に価値を置いているのかが、自然と出てくるものだなと、ワールドメイトの活動をしていて感じたのです。

ワールドメイトは、入会も退会も極めて自由な宗教団体なので(入会には、少し条件の必要な人もいます)、もちろん、いろいろな事情で退会する方もいます。それはそれで仕方ないと思いますが、中には、この人は信仰心がしっかりしているなと思っていた人でも、信仰が続かなくなるケースもあります。その理由もいろいろあるかと思いますが、本人も気がついてない原因もあると思います。とても純粋な神様への思いを持っているように見えて、実はお金のことや家族のこと、異性関係のことの為に信仰を求めていて、それ自体は悪いことではないと思いますが、何かで行き詰まってしまった時に、あるいは自分の思った通りの結果にならなかった時に、神様への思いまでが一気に失せてしまうようです。

かと思うと、あまり神様をつよく信じているようには見えない人が、ずっと続いてるなと感じることもありました。全て私の憶測で書いてますので、本当は、信心堅固な人だったのかもしれませんが、なかなか表面だけでは、人はわからないものです。

ワールドメイトでは、人のご縁を大事にしていると感じますので、結局は何かのご縁が深くて集ってくるものなのかもしれません。

 

そういうことなども踏まえた上で、信仰を続けると言うことは、最も御魂が磨かれているような気がしています。

ワールドメイトで信仰を続けるうちに、自然とその人に内にある価値観や考え方や思考の癖などが浮かび上がって、それが、少しづつ自分でも気がつかないうちに、自然な姿に戻ろうとしたり、素晴らしく変わろうとしているように思いました。

その過程で、人間には今の自分から変わりたくないと言う我がありますから、その分抵抗を感じる人もいるでしょう。長年慣れてしまった今の自分を変えようとすれば、少々の痛みも伴うし、納得できない部分もあるでしょうから、抵抗したくなるのが普通だと思います。

御魂を磨くというのは、我をなくす修行でもあると、ワールドメイトではそう聞きましたが、それ相応の葛藤もあったり、脱皮に必要なエネルギーがいるわけです。

でも、そうやって気がついたら、いつの間にか今までの自分と変わっていると思います。周りの人からも良い意味として、最近変わったよねなんて言われる人が、ワールドメイト会員には多いと思います。

しかし、あまりに我が強すぎる人は、せっかく信仰していても、なかなか本人の脱皮や成長につながらず、普通よりも時間がかかる為、それが辛抱しきれない人もいるかもしれませんが。

 

周りくどい言い方になってしまいましたが、たとえ「人生は金次第だ」と、思っているような人でも、信仰を通して素直な感性を磨いていくうちに、人生の目的はお金ではなく、もっと大切なことがあると思えるように変わっていくと思います。人によって多少のタイムラグがあるだけです。

一般的には、年齢とともに素直な感性までも失っていきますので、心の奥底にそのような考えを持っている人は、あるいはそう思って亡くなった先祖がいたりすると、神様なんてバカらしく思え、信仰するのはバカのように思えてくるのかもしれません。

現代の日本では、信仰は本人の自由ですから、何を選択しても良いと思います。特別な信仰がなくても、御魂を磨くことは誰でもやっていることですし、また、必ずやらなくてはならないでしょう。

神様への信仰ではなくとも、音楽家だったら音楽が神であるように、生活の中で、仕事の中で、己を磨き続けることができれば、それで良いのではないかと思います。

ただ、より磨ける機会が、ワールドメイトにいることで多くなったというのは感じています。また、正しく信仰することで、正しく磨ける方向に矯正されて磨かれているのではないかと感じています。

 

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