深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトの深見東州先生の足跡を見て思うこと

その人の足跡を見れば、その人のすべてがわかる。その人の歩んできた歴史、その人の残してきた業績や作品を見れば、その人がどういう人なのかがわかるということを書いてきました。

偉人とか、天才とか、〇〇の神さまと呼ばれる人たちの足跡を見ると、それがよく理解できます。残した足跡があまりに素晴らしいから、偉人であり、天才と呼ばれ、〇〇の神さまといわれることがわかってきます。

しかし冷静に考えると当たり前のことだと思います。世の中で周りが正しく評価してくれないと思ってる人などは、やはり、足跡のどこかに問題があるのかも知れません。あるいは、それほどたいした足跡と思われていないのか、そんなところなのでしょう。

 

ところでソチオリンピックにおいて、おそらく後世まで語り継がれるであろう、あの浅田真央選手の感動的な演技に涙した人は多いと思います。私も、その中の一人でした。採点の評価の高さとか、メダルを取ったとか取らないとか、そういう数値に表れる部分もさることながら、それ以上に浅田真央選手のどん底から見事に復活した精神力、どこまでも目指す演技を貫きやり遂げたという、点数には表れない部分に私は感動しました。

そして、そこに至までに常に金妍児選手と比較され、プレッシャーと戦いながら、世界の第一線を担ってきたこと。何度も苦しい時期がありながらも、それを乗り越えてきて今があること。そういう過去の足跡を背景に、今回の感動があったのではないかと思っています。ぱっと出てきて活躍しているわけではなく、それだけの長い苦しみを超えてきた足跡があるから、涙が溢れるような感動があったのだと思います。

だから浅田真央選手は今なお現役ではありますが、伝説の偉大なスケーターとして、その名を後世に残していくと思います。もちろん、この先の人生がおかしな方にいってしまえば、それは困りますが、そんなことはないと信じたいと思います。でも仮にそんなことがあったとしても、それでもこの時期に輝き続け、人々に感動を与えてくれた足跡だけは永遠に変わりませんが。

 

何が言いたかったかというと、人間は一歩、また一歩と、確実に足跡を積み上げていかなければならないと思ったのでした。雨が降るときも、雪が降る時も、あるいは爽やかな天候に恵まれているときも、確実に前に進んだ分だけが、その人の足跡となって積みあがっていくのでしょう。当たり前のことだと言われそうですが、この当たり前のことが、人間はなかなかできないと思います。

 

深見東州バースデー個展

 

私は今回、ワールドメイトの深見東州先生が積み上げてこられた作品集の新聞掲載を見て、とても感動しました。そこには、ダウンロード可能曲数725曲突破と書かれていました。

また、絵画や書などを展示する、第14回目の「バースデー個展」を開催する告知には、総作品数2525作品と書かれていました。それはこの15年、20年の歳月をかけて積み上げてこられた作品集です。一朝一夕にできたものではありません。

私は古くからワールドメイト会員として在籍していますが、そのときそのときの、深見東州先生の絵画や音楽作品に触れる機会がありました。「今年のあの曲は、なんと素敵な曲なんだろう」「今年のあの絵画は、なんと素晴らしい」と、折々に感動をしてきたものです。

その感動が、いつのまにか725曲になり、2525作品となっていたのです。ひとつひとつの作品の中には、その時代を生きてきた私の感動の思い出も、しっかりと刻まれています。

 

そしてワールドメイト以外でも殺人的な忙しさの深見東州先生が、いかに困難な状況の中で創作活動を続けていらっしゃるのかも聞いています。それを聞くだけで、深見先生の大変さを多少なりとも感じます。私だけでなく、多くのワールドメイト会員もそう思っています。

だから725曲という楽曲数や、2525作品という創作数にも驚きますが、それ以上にクソ忙しい中で積み上げてこられた深見先生の気力と根性、その中から生まれた作品の重みに感動するのでした。

 

音楽家や画家でさえ、毎年コンスタントに創作できる人は、意外と少ないです。始めは調子良くても、途中で止めてしまう人も多いです。

たとえば先ごろ来日したローリングストーンズやポールマッカートニーのように、50年も現役でロックをやり続けることができるミュージシャンは、ほんとにわずかでしょう。あそこまでいけば、出てくるだけで感動するのではないかと思います。

しかし深見東州先生の場合は、60歳を過ぎてますます技術が上達され、歌の幅が広がり、これから全盛期を迎えようとされているので、輪をかけてすごいことだと思います。

本当は10年やるだけでも素晴らしいのに、30年、40年、50年と、死ぬまで学び続け、向上し続けるのが深見先生の生き様なのです。

 

だから、そういう人はその道の達人と言われ、伝説と言われ、神と言われるようになるのでしょう。そして残してきた形あるものと、やり貫いてきた足跡に、後々人々は感動するのでしょう。

これが人として、最高に素晴らしい足跡ではないかと思います。その足跡は誤魔化しがききませんからね。嘘をつけませんし、その人の素晴らしさを現すのみだと言えますね。

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