深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイト正月神業での、「人は志す以上のものにはならない」というお話

深見東州先生は今年初めに行われたワールドメイトのご神業で、たくさんのお話をしてくださいました。素晴らしいお話の中から、個人的につよく印象に残った話を一つだけ紹介します。

それは、「人は志す以上のものにはならない」というお話です。

まるで「強く願ったことは叶う」という想念術のように思う人もいるかと思いますが、少し違います。そもそも想念術とか、引き寄せとか、そういう世界は実際にあると思いますが、あくまで現実界と霊界の間の関係にしか過ぎないようです。その原理は、仏教の唯識論の中に説かれている原理が元になっているようです。

しかし、霊界の上には神界という世界があり、その神界と現実界とを大事にするのが日本の神道の特徴ですので、唯識論は、この世の法則の、その一部分にすぎないのでしょう。

 

話を戻しますが、深見東州先生がローリー・マキロイとゴルフで回った時にわかったことで、マキロイの目標は歴史に残るゴルファーになることなのだそうです。志すところがとてつもなく高いです。少なくともグランド・スラムを数回、あるいはそれ以上のことをやらないと、歴史に残るゴルファーとは言われないでしょうから、少々メジャーで勝ったくらいではまだまだという気持ちになるのでしょう。さすがに意識のレベルが違います。

 

前にも書いたかもしれませんが、深見東州先生は、これを大砲の理論と名付け、よくワールドメイト会員にも話されます。つまり、大砲の弾を的に当てようとすると、的の少し上を狙わないと、重力があるので的の下にしか当たらないという意味です。マキロイの志は、歴史に残るゴルファーになることですから、だから、メジャーで何度も勝てるのでしょうといわれていました。とにかくメジャーで一勝するというのを目標にすると、普通のトーナメントでは優勝するかもしれませんし、またメジャーでも3位とかにはなるかもしれませんが、優勝はなかなかできないのでしょう。その人の意識のレベルがどこにあるのかが、大事になってくると思います。

 

それで、人は志す以上のものにはなれず、その一歩か2歩くらい下を行ってしまうということです。最近のニュースで、卓球の男女日本チームが、世界選手権で銀メダルを獲得し、ニュースでフィーバーしていました。金メダルは、男女とも中国チームで、ここ数年圧倒的な強さで他国を寄せつけないそうですから、日本は大いに健闘したと言えるでしょう。しかし日本のレベルも今は過去最高に高いそうです。でも、どうしても中国には勝てないそうです。

 

内部事情を詳しくは知りませんので、なんとも言えませんが、インタビューを聞いてる限りでは、絶対に勝つというのではなく、なんとか一死報いたいという感じにも聞こえました。実際は、勝とうと思って猛練習をされてきたと思いますが、どうも意識の奥において、中国には勝てないと思って銀メダルに甘んじているような感じにも思えました。逆に中国のプレーは、まるで勝つのは当然、勝って当たり前という感じで、優勝してもそこまで喜ぶようなことでもないようにすら見えました。そんな中国に勝とうという目標だと、銀メダルにしか届かないのかもしれません。中国に勝って世界一になろうと思ったら、世界選手権で3連覇を達成するとか、世界ランキングの上位をぶっちぎりで日本人が独占するくらいの、高い目標と意識を持ち続けて、ようやく中国と互角に戦えるレベルになれるのかもしれません。

 

錦江湾と開聞岳

(今年のワールドメイトの神事会場は、錦江湾と開聞岳が見えるところでした)

 

人間は、志す以上のものにはなれず、その少し下にしか行かないというのは、深い人間の意識の壁の作用を知り尽くされた、深見先生の名言だと思います。そうやって、どこまでも大きな志を持ち続けて努力すると、運も呼び寄せるようです。たまたま運が良かったというようなことが起きてきて、運が引き寄せられてくるのだそうです。運を引き寄せるものは、やはり意識であり心なのだそうです。

トップクラスのスポーツ選手になると、皆必死で努力しています。素質も素晴らしい人が多くそう大きな違いはないと思います。そんな中でしのぎを削って戦い、その中でも何度も優勝し、メジャーに勝つ選手もいるかと思えば、どうしても優勝できない、勝てない選手もいる。その違いは、そういう意識の奥の部分にあるものが違うのかもしれません。

 

ちなみに心に描いたことは実現するとか、あるいはスポーツ選手もやっているイメージトレーニングにしても、それらは瑜伽論(ユガロン)から来ていて、その元は唯識論にあるそうです。ワールドメイトで聞いた話では、真言密教の霊力の元もそこから来ていて、観相法というそうです。

昔あるお寺に、何もない白い半紙に、筆も墨もないのに大という字を浮かび上がらせるお坊さんがいたそうです。それは念力の力で、そこに字があると強く思うことで、それが現実に出現してしまうそうです。密教も、観相法による見立てによって、仏様の霊力が出ているのだそうです。

 

そのように考えていくと、スポーツ選手も、念力の強い選手が勝っている気がします。本当に志が大きい人は、その意識が大きな霊界を作るようです。そして霊体が大きくなるようです。と昔ワールドメイトで聞いたことがありますので、やはり念力も比例して強くなるのでしょう。

スポーツでは、相手が強いと大きく見えたり、相手の圧倒してくるような気を感じるという声を聞きますが、それは強い選手の持つ霊界や霊体が大きい証拠であり、念が強い証拠でしょう。それに負けないためには、相手以上に志をどこまでも大きく持ち続ける必要があるのかも知れません。現実を見すぎて夢と希望がなくなって、お仕事みたいになると霊体も小さくなり、念力も強くならないようです。どんなに現実が厳しい状況でも、心や意識では何を思っても自由なのですから、絶対に現実に負けず、どこまでも夢と希望を失うことなく、大きな志や目標を立て続けていきたいものです。

 

そうやって、大きな志や目標を持つと、そのためにはどうしたら良いのか、神仏が応援してくれて、導いてくれるそうです。仏教の唯識論から瑜伽論がきて、一念三千の教えがきて、世の中はすべて本仏の意識でできているということですので、私たちの中には、万物を創造する種があるそうです。過去の結果で今があるので、今は変わらなくても、未来は変わるそうです。良いイメージを持ち、高い目標を持ち、どういう努力をしたらよいかを考え行動しているときに、そのレベルにあった守護霊がやってきて、未来が変わっていくそうです。そうやって、その人の意識が作る霊界にふさわしい守護霊の応援によって、霊体も大きくなり、スケールが大きなことができるようになっていくのでしょう。

 

大隅半島

 

ワールドメイト会員は知ってますが、深見東州先生も、とてつもない大きな夢とロマンに生きておられます。そして世界一大きな志や目標を持つ方です。だから、プラシド・ドミンゴと共演しようと、ビル・クリントンとディスカッションしようと、やってもやってもまだまだということで、少しづつ目標に近づいているという程度のことなのでしょう。

実際、何事も次々に成功させて、成功するのが当たり前かのように成功させて、それでいて普通にされています。また、大物相手に対しても弱気になるとか、引け目を感じるとか、見たことがありません。かといって虚勢を張って威張ったり高飛車な態度をとられることもありません。謙虚に気配りされながら、泰然自若として普通に何でも成功されているように見えます。目標のスケールがとてつもなく大きいから、そのようになっていくのでしょう。

 

しかし、そういうことがわかったとしても、そのように実行していても、現実はなかなかきびしいですから、結果が出せず、その厳しさに心も負けてしまい、いつの間にか志も萎えてしまうというのが現実かもしれません。

それでも深見先生が言われるには、その現実の厳しさに悔し涙を流しながらでもいいから、今度はその3倍の志を立て、またやっていくそうです。そしてまたダメだったとしても、また3倍の志を立てて向かい、何度ダメな体験を味わっても、どうすればやれるのかを考え続け、何度もチャレンジするうちに、何度目かには壁を超えてしまうのだそうです。これは、実際にそうやってこられた深見先生の言葉を直接聞くと、本当にそうなんだと思えてきます。実際にできる人の話を聞くと、やれるという気持ちが湧いてきますね。

 

ワールドメイトでは、御魂が軽く柔らかい人は、壁にぶつかっても何度かポンポンと跳ね返されながらも、ゴムまりのように楽に超えていけるけど、重く固い人は壁にガーンとぶち当たるとガツンと壊れてしまい、たちあがれなくなると言われてました。柔軟で柔らかい感性を持つ御魂が軽い人は、傷つかずにやがてポーンと壁を越えていくことができるけど、硬くて柔軟性がないボーリングの玉のように重たい御魂の人は、壁に激突すると壊れてしまうそうです。深刻で真面目に考えないで、次は絶対にやれるんだーと信じて、そのためにはどうしたらよいかを考え、あまり深刻に重くならないようにするのがコツのようです。もし駄目であっても、またその3倍の目標を立てて、成功するまで続けるそうです。

 

成功するまでやるから、私は失敗したことがないと言っていた松下幸之助も、その成功するコツを会得していたのでしょう。打ちひしがれても、打ちひしがれる以上に目標を持ってやっていくと、見るに見かねて守護霊が動き、超えられるだけのアドバイスしてくれる人が現れたりして超えられるのだそうです。そういう信仰心を持ってる人は、何回でも壁を超えていけるそうです。だんだん大きな壁になっていっても、次々と超えていけるようになるそうです。ただ一度も超えた経験をしたことがない人は、できないとネガティブに思うかもしれません。しかし歳を取っても、そうやっていけば必ず壁をこえていけるそうです。

 

そうやって柔軟に考えて、世の中は神の意識でできているのだから、過去の結果である今の自分は変わらないけども、今の自分が変わっていけば未来の自分は変わっていくと、そういう風に考え、また思い描いた以上の自分にはなれないのだから、それだったら、思い切り大きな高い目標を持ち続け、そうではない現実に打ちひしがれた時には、その2倍3倍の志を持って努力し、また打ちひしがれたら、またその2倍3倍の志を常に持って努力すれば、そのうち打ちひしがれずに超えられると言われていました。本当にそうやって次々と成功されてきた深見先生の言葉で聞くと、私も、なんだか本当にやれそうな気持ちになってきました。

これは会社の経営者でも、何にでも言えることだそうです。お正月早々、実にありがたいお話でした。

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