深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
第19回 深見東州・バースデー書画展が、3月18日から開催

今年も3月18日から、深見東州・バースデー書画展が開催されます。場所も昨年同様、六本木の泉ガーデンギャラリーでの開催になります。ただ、今年は同時並行というか同時開催で、すぐ隣のビルでバースデー時計宝飾展を開催されます。昨年から続いている、ラグジュアリーと芸術・スポーツの融合といえるものかもしれません。欧米では普通にあるようですが、日本では、まだそこまでプロデュースする人がいないのか、珍しいイベントになるのかもしれません。

 

絵画作品に関しては、どのような新作が展示されるのか、楽しみにしています。超多忙の中においても、年々、違う作風が新たに加わることが多いので、その勉強量と創造力には感心するものがあります。よく、5、6人の画家が描いているのですかと聞かれるそうですが、過去の人気作品と新作が同時に展示されているのを見れば、そう見えるのかもしれません。多彩な画風に驚く人は多いと思います。

 

深見東州先生は歌手としても、クラシックからジャズ、ポップス、また演歌など、多くのジャンルを関係なく歌われますが、だからといって同じ歌い方はされません。それぞれのジャンルの基本と違いを踏まえて、歌唱を使い分けて歌われます。

絵画作品になると、歌手としての多彩さとはまた違う多彩さを感じます。ルネサンス時代に代表されるような、ディティールまで精細に描く古典的な絵画様式はさすがに描かれませんが、西洋美術の近代画家のいくつかの様式を、そこに感じることはあります。また油絵やアクリル画から、パステル、水彩、墨彩、水墨画などを、同時進行で描き続けられます。なので、1人の画家が描いたとは思えないのも当然なのかもしれません。

 

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ただ、そのように書くと、単に器用なアイデンテティーのない画家のように誤解する人もいるかもしれませんが、決してそうではありません。私の理解している範囲で説明すると、そのルーツは14、5世紀の日本文化にヒントがあります。

西洋のルネッサンスを代表する画家といえばラファエロ、ダビンチ、ミケランジェロの名前を浮かべる人が多いと思いますが、その画家たちの時代を最盛期とすると、その100年以上前に日本では観阿弥が、また息子の世阿弥などが出現します。足利義満の頃の時代ですね。その後も戦国時代に至るまで、能阿弥や善阿弥、本阿弥光悦など、幾多の阿弥が、日本文化を形成していきます。阿弥は、芸術の修練や向上を通して死ぬまで魂を磨くことを目指していたそうで、その作品は、その磨かれた魂の表現や顕現と言われていました。深見東州先生は、その時代を日本型のルネッサンスと呼ばれ、その精神は今の日本の芸術家にも受け継がれていると言う持論を持たれています。

 

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特に、その時代を代表する1人、世阿弥の「風姿花伝」の芸術論を高く評価されています。今日の芸術論の主流となった19世紀のフランスよりも、深い芸術論をそこに確信しているそうです。その芸術論の詳細は省きますが、深見東州先生によると、19世紀のフランスから「芸術のための芸術」という価値観が生まれたということですが、世阿弥の演劇論では「花」という概念、つまり観客の感動を尊重しているそうです。深見東州先生もクラシック音楽は観客を喜び感動させ、幸せにするものであると言われているように、「芸術のための芸術」ではなく、世阿弥と同じく、観客を喜ばせ、楽しんでもらうことを大事にされています。

 

そのような日本文化に自信と誇りを持ち、西洋音楽や優れた音楽家のことは愛し敬愛するけども、尊敬しているわけではないと言われます。西洋人や西洋文化に負けてたまるかという気概を持ちながら、こよなく愛しているそうです。そうでないと東洋に偏った芸術家になってしまい、また、学ぶ気にならないからだそうです。

だからヴェルディのオペラを日本で演じるにしても、グチャグチャにして日本流の演出をして観客を楽しませるそうです。私も、その頃のIFAC オペラを毎年観劇しましたが、歌はイタリア語の本格的なオペラですが、演出は日本流の独自のもので、それがとても面白かった印象が、とても強く残っています。

 

東西の代表的な芸術に通じるインターナショナルな芸術家ですが、日本文化に根ざした確固たるアイデンティティを持って取り組まれているのでしょう。そのような普遍的で柔軟な文化性を持つ日本人だからこそ、逆に欧米人のVIPたちからも敬愛されるのかもしれませんね。欧米の文化レベルの高い人になると、欧米と日本の文化の違いを理解し、実践する深見東州先生のレベルの困難さを理解できるだけに驚くのだろうと思われます。

 

絵画展の話に戻しますが、深見東州先生の描く絵画から、見る人を笑顔にし、幸せにする何かを感じるのは、そのようなアイデンティティを持って技術を磨き、魂を磨く阿見の生き様が根底にあるからなのでしょう。現代美術のいろいろな様式から、水墨画まで、様々な様式にとらわれずに描かれますが、その部分はどの作品にも共通して貫かれているように感じています。

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