深見東州先生へのインタビュー記事が、iRONNAというオピニオンサイトに掲載されています。

iRONNA「謎多き宗教家、深見東州とは何者か」

 

内容は、普段からワールドメイトで言われていることを、一般の人向けにわかりやすく話されているものだと言えます。

一番大事なところは、ワールドメイトは、宗教や宗派を超えた、普遍的な宗教性があるというところでしょうか。それが、深見東州先生やワールドメイトを語る上で、大事なポイントのひとつだと思います。

ワールドメイトが神道をベースにしているのは、深見東州先生の著作を読むだけでもわかります。そして、入会すると、神道だけでなく、仏教、儒教、老荘思想の教えも活かされていることに気がつきます。さらに、キリスト教やユダヤ教にも精通されていることがわかります。宗教の教えの中には、とても難解なものもあり、解説を読んでもよくわからないものが多いです。深見先生はそれを噛み砕いてポイントを明確にして話されます。中途半端な理解では、そのようなわかりやすい解説はできませんので、その宗教を作った教祖並みに深く理解してあるのではないかと思います。

 

宗教や宗派を超えた宗教理解は、現在の世界のように宗教が関わり複雑な様相になっている国際情勢において、問題解決のためにとても重要になると思います。しかし、それが大事なことはわかっていても、そのような宗教に対する理解が進んでいるとは、とても思えません。イスラム教を理解している人は少ないでしょうし、キリスト教はそれよりはわかりやすいですが、それでもよく理解できていません。神道ですら、未だに国家神道を神道だと勘違いしている人がいるほどです。

宗教を理解してないんじゃないかと思えるようなマスコミやネットでの情報が溢れ、それに影響を受けて、全く間違った認識をしている我々が、現在いるわけです。

宗派の複雑な教義教論や枝葉末節な知識を持つ人はいますが、もっと宗教の本質を理解していこうとする人たちが増えてくると、宗教や宗派を超えた宗教理解が進むように思います。そして、普遍的な宗教性の大切さが理解されるようになると思います。そういう時代になるには、まだ少なからず時間が必要なのかもしれませんが。

 

とは言っても、世界的な宗教協力の動きが、私たちの知らないところで進んでいるのも事実のようです。数年前、アフリカで開催されたIFAPA(アフリカ平和のための宗際化運動)の宗教サミットの様子を見たときにそう感じました。その時は、自由で公正、そして民主的な選挙をアフリカにというテーマでの会議でした。そのサミットのためにアフリカをはじめとして、世界数十カ国の宗教指導者たちが宗派を超え、国の事情や困難を超えて協力していこうとする様子を見ました。内戦状態にあった南スーダンからも参加していました。

彼らは政治家ではありませんので、直接行政に反映されるわけではないですが、宗教協力によって政治の腐敗をなくし、平和に暮らせる国にしたいという熱い思いを感じました。熱い想いというよりは、命がけの思いだったと思います。そのような平和に向けての動きが宗教協力によって推進されることに感動を覚えました。宗教や宗派を超えた宗教理解なくしては実現しないことだと思います。また普遍的な宗教性を理解してないと、実現しないことではないかと感じました。

 

深見東州先生が、そのIFAPAの総裁であるイシュマエル・ノコさんと親しく、世界開発協力機構が会議を支援し、また有為なアドバイスをされていた関係で、私も知ることができましたが、マスコミの情報では知り得ない内容でした。

イシュマエル・ノコさんというのはジンバブエで生まれ、1994年から2010年まで、ルーテル世界連盟の総幹事(79カ国、全世界のルター派教会信徒7000万人のトップ)だった人です。

深見東州先生は、そのような世界的な宗際化運動にも、多数関わって来られています。普遍的な宗教性をワールドメイトが大事にするというのは、こういうところからも理解できるかもしれません。

その宗際化運動に関して、詳しくはこちらの記事を参考にしてください。

アフリカの平和のための宗際化運動サミット(IFAPAサミット)に参加
 

さらに別な角度からも、深見東州先生は、普遍的な宗教性を追及されているように見えます。
例えば、ゴルフやサッカーなどのスポーツ活動を、国際スポーツ振興協会を通じて支援されています。これも、単にスポーツを楽しもうということではないと思っています。スポーツには、人を団結させ、ばらばらになった人々を一つにし、協力、発展に導き、さらには平和をも推進する力を持っていると信じられています。そのように人々の幸福や世界の平和につながるところは、本来の宗教の目指す理想と同じです。そういう意味でスポーツの中にも、普遍的な宗教性を見出されているのではないかと思います。

音楽などの芸術活動も同様だと言えます。アートや音楽は国境を超え、言語の壁を超えて、平和や愛を推進してきました。
そういう意味では、本来の宗教の役割と同じ部分があります。そういう部分を普遍的な宗教性という言葉で表現されているように思います。
 

やはり、強調したいのは普遍的宗教性ですね。これがないものは、やっぱり閉鎖的になりがちです。宗教の殻に閉じこもっているわけですから。宗教は神の一部なのに、宗教家が一番神の事を知っていると思う傲慢さがある。

宗教は宗教にしかできない役割と働きがあります。しかし、「美」の要素の芸術も、神の一部だし、「真」である科学も神の一局面ですね。経営も社会科学ですからね。そして、「善」は宗教そのものであり、教育や福祉、スポーツもそうです。それだから、「真・善・美」を全部やってるわけです。真善美を全部やって、初めて神を正しく受け取れるし、神を正しく実行できると思っているんです。

だからこそ、私は宗教やビジネスだけでなく、作詞や作曲、文芸全般、絵画、オペラ、ジャズ、ロック、能楽、京劇、パントマイム、演劇など、あらゆる芸術文化に積極的に取り組んでるわけです。感性の極みである芸術が、最も神に近いと思うからです。

(中略)

だからこそワールドメイトの活動は、どこよりも斬新で現代的である一方で、その中には宗派や宗教の枠を越えた、普遍的な宗教性を持たせようとしている。そして、あらゆる誤解を乗り越えて、会員の幸せを第一に考え、法的にも人道的にも、社会的にも信頼に足る宗教団体をめざしているのです。

 

深見東州先生

 

そして、もう一つ大事なことを話されてましたが、それが以下の部分ではないかと思います。
それがあるから、ワールドメイトは自分たちが最高だと言って、他の宗教に対して排外的な態度を取ることもありません。むしろ、世界レベルで、キリスト教の人たちとも協力して活動しているほどです。

 

国民皆信仰という概念が、新宗連の4番目の柱ですが、我々も国民皆信仰に賛同しています。どんな考え方かというと、一つの宗教団体がすべての人を賄うことはできないということなんです。日本人といってもたくさんいますから、一つの宗教団体が、すべての日本国民を変えることはできないと考えるのです。

ならば、どこかの宗教団体に入って、それが嫌ならどこか別の宗教団体に移ればいい。要は自分に合うところに行けばいい。無神論で信仰を持たないよりは、どこか信仰を持っていた方が、信仰がないよりはベターだという考え方、これが国民皆信仰です。信仰がまったくない人間よりも信仰がある人間の方が、孤独とか不安に強くなり、安心立命が得られる。つまり、最終的に自分の力で自分を救っていく力があるわけです。それが、宗教の持つ社会的役割でしょう。

ワールドメイトもそうなんです。だから、はっきりと宗教団体としてのカラーを打ち出して、それでいいなという人が来てくれたらいいわけです。どの道、カラーに合わない人は辞めますから。入退会は自由、強制もしない。

もちろん、暗くて閉鎖的でまじめな宗教がいいという人は、そういうところへいけばいい。日本だけでもたくさん宗教団体があるので、創価学会へ行ってもいいし、立正佼成会に行ってもいい。ワールドメイトだけで全てのニーズは賄いきれませんから。だから、ワールドメイトに合う人だけ来ればいいし、嫌なら辞めたらいいんです。

この考え方は運営している予備校「みすず学苑」も同じ精神です。はっきり言うと、合う人だけ来たらいい。予備校は予備校らしくあらねばならないという人は、そういう予備校に行けばいいわけなんです。

 

このように、普遍的な宗教性を追及される深見東州先生の活動に、ワールドメイト会員の一人として、今後とも期待しております。

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