ワールドメイトで学んだ感謝の大切さ

前々回に書いた、ワールドメイトで聞いた法力や神通力が出てくる原則のひとつに、良いことがあったら、神様のおかげですと言って感謝するというのがありました。これは、お子さんをお持ちの方なら、経験がある人も多いと思いますが、たとえば、息子と一緒に野球観戦に行ったとき、息子から、今日は、野球観戦に連れて行ってくれてありがとうといわれれば、また連れて行ってやろうと思う人が多いのではないでしょうか。あるいは、美味しいレストランで食事をした時でも、今日はごちそうになりましたとか、他人行儀ではなく、本当にありがとうと言葉で言われれば、また連れて行ってやろうと思います。それは、子供に感謝して欲しいからではなく、愛する子供が、よろこんでくれていることが嬉しいからでしょう。

ただ喜ぶだけでなく、それを感謝の具体的な言葉として言われると、喜んでくれているからそのうちまた連れて行こうかなという漠然とした気持ちが、近いうちに必ずまた連れて行こうという積極的な意思へと変わるのだと思います。つまり、ただ喜んでいる姿を見るだけでも嬉しいものですが、具体的に言葉でもって感謝されると、決定的にまたしてあげたいという気持ちに、即、なってしまうわけです。

本来は、親として子供のために何かしてあげたいという本能のような行為なのですから、感謝されようがされまいが、べつにどちらでも良い気がします。むしろ、子供に感謝されるとこそばゆい気持ちがあります。また、上手いこと言って、なにかをせびる気かなとも思ったりします。それでも、具体的な感謝の言葉を聞くと、それがない時よりも、私の場合は10倍くらいリピートにつながるようです。

この関係は、神様と私たちの関係に、かなり似ていると思います。宗教団体では、ワールドメイトに限らず、神様のことを父や母のように親しく呼んだりすることが多いです。キリスト教のような唯一神信仰の、絶対神に対してさえもそのように親しみを込めて呼んでいます。日本の場合は、昔から先祖を辿れば神様に行き着くという思想が根底にありますから、もっと自然にそう思えるでしょう。父でなくても、ひいお祖父ちゃんのような感覚なのかもしれません。

つまり、それくらい神さまのことは親しい存在であることを、多くの宗教で教えています。それは、神霊界の事実がそうだから、そのように教えているのだと思います。神様と人間とは、人間の親子のような親しい愛情でつながっているといえるのかもしれません。
だからといって、神様に対して、あまりに馴れ馴れしい態度や不遜な態度が、良いわけはありません。そのような態度が、現実の親子関係においても、あまり良い関係とは思えないのと同じでしょう。

感謝

 

そういうことで、人間の親子でさえ、そうなのですから、神様と人間との間でも同じように、あるいはそれ以上に、具体的に感謝されると、また、次も必ず助けてあげようと思われるのでしょう。ワールドメイトでは、神様も、人間と同じように人格を持っていらっしゃるということです。ただ、その人格は、高貴な人間性の人格と思えばいいと思います。人間には、ときに、親としての人格を疑いたくなるような人がいますが、神様には、そういう人格をもつ神様はいないわけですね。みんな、素晴らしい父であり、おじいさんのような存在であるわけです。あるいは、女神様でしたら、母のような存在であるのでしょう。

私は、昨日、深見東州先生の武道館コンサートに、初めて下の子供を連れて行きました。たちばな出版に問い合わせると、子供連れOKということでしたし、子供も自分から行きたいというので連れて行きましたら、終わった後に、連れて行ってくれてありがとう、とても楽しかったよと、そのように感謝の気持ちを言ってくれました。それで、改めて感謝されると、また、連れて行ってあげようという気持ちになりましたので、今日の内容は、そこから思い立って書いたような感じです。

そして、同時に思ったのは、親というのは、子供の成長をとても嬉しく思います。そして、自分たちよりも、もっと良くなってほしい、立派になってほしいと思うものです。これも、もしかしたら親としての本能かなと思います。そして、守護霊さんや神様も、そういう気持ちなのではないかと思います。なぜなら、自分たちのレベルを追い越して、もっと素晴らしくなってほしいという気持ちが、人類の進化につながっていくからだと思います。子々孫々にその気持ちを伝え、努力を積み重ねていくことが、より素晴らしい社会を作っていく結果になることを、本能で、わかっているからだと思います。そして、人類の進化そのものが、宇宙を創った神様の願いだからなのでしょう。

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