感性とは、辞典によると物事の印象や性質などを感覚的・直感的に把握する能力や心の動きのこと、あるいは、感覚的で繊細かつユニークな印象やニュアンスを表現する能力。前者は感受性、後者はセンスと言い換えられると書かれています。
そう言う意味で、感性豊かな人はセンスがある人と言っても良いかと思います。音楽のセンスがある、野球のセンスがある、仕事のセンスがあると言うような言い方をしますが、そのような人は、やはり研ぎ澄まされた、優れた感性を持っていると思います。
では、そのような感性とはどのようにして身につくのでしょうか。以前、ワールドメイトで深見東州先生が話されたことを、今回は紹介したいと思います。
深見東州先生ご自身、経営のセンス、絵画のセンス、音楽のセンス、舞台芸術のセンス、料理のセンス、文章のセンス、会話やトークのセンス、ジョークのセンスなどなど、あらゆるセンスのかたまりのような方です。
深見東州先生をよく知る人でしたら、あらゆる方面において、研ぎ澄まされた豊かな感性を持たれていることに、疑いを持つ人はまずいないでしょう。
深見東州先生によると、感性とは、生まれ変わり死に変わりして磨いてきた御魂の質、レベルだと言われてました。具体的には一霊四魂である荒魂(筋肉)、和魂(内臓)、幸魂(感情)、奇魂(ヒラメキや直感)が、奇魂を中心にバランスよく発達していることが、素晴らしい感性につながるようです。
では、それらは、どこでどのようにして磨かれるのでしょうか。それは、このサイトでも何度か書いてきましたが、ふだんの生活修行で磨かれていくとのことです。
たとえば、状況判断力なども、ふだんの生活の中で磨かれますよね。人に対する対応力などもそうです。あらゆるものが日々の生活の中で、仕事の中で、ワールドメイト会員でしたらさらにご神業の中で磨かれていくことは、説明するまでもないと思います。
さらに、その人の御魂の素質となる、生まれ変わり死に変わりして磨かれてきた御魂の足跡が素晴らしければ、それは才能の根幹となるわけですが、それらも生活の中で磨かれいく中で現れ、発揮できるようになるそうです。
ポイントは日々の生活を、全身全霊を傾けて、只今只今に生きることで、そうなると言われていました。
全身全霊で、今、僕がやることはこれだと確信して目の前のことに没入していると、顕在意識と潜在意識の壁がなくなり、神がかった状態になるそうです。
深見東州先生は、そのような時に、究極の直感とひらめき、イマジネーションや予感が、全身から出てくるそうです。
時々、スポーツとかで、ゾーンに入っているなどと言いますが、奇跡的なショットやスーパープレーが生まれたりするのも、そのような時なのでしょう。勝ち負けの余計な心配や雑念などはなく、目前の競技や試合に全身全霊でもってプレーしているのだと思います。
そんなときに、芸術作品にしても、スポーツにしても、仕事にしても、自分じゃない自分、一番素晴らしい自分があらわれ出てくるわけです。僕も何度か体験があります。そんな時は、自分でも不思議に思えるくらい、よくあのようなことを思いついたなと思えるし、また、偶然であって偶然でないような、ミラクルなことが起きますね。今風に言うと、覚醒と言うことになるのでしょうか。
生活修行に没入するとは、別な言葉で言うと、社会人における仕事、学生のクラブ活動や勉強、主婦の料理づくり、ワールドメイト会員でしたらご神業に、などなんでもよいのですが、それらの準備、段取、運営、後片付けなどの目前のことに、ただ今、ただ今に、我を忘れるほど没入する状態を言います。
そんな毎日、毎日を積み重ねていくことが、やがて豊かな感性を身につけることになるわけです。
僕もそうですが、過去のことを悔やんだり、先のことをいろいろ心配したりする時もよくあります。しかし、そんな時間は無駄というのか、もったいないですし、深見東州先生によると、ただ今ただ今に没入していないから、そのようなことを考えてしまうそうです。
過去は終わったことですし、未来にしても実態はありません。今、目前のこの瞬間だけが実態があるわけです。だから、ただ今ただ今に、刻々と変わる目前のことに没入し、素晴しくすることが大事です。それだけが過去のことを活かせるようになり、また未来も刻々に移り変わっていくただ今の延長線上にあるので、今を素晴しくすることで、より良い未来に変わっていくと言われていました。
そのことは、僕自身も体験から実感してきたことです。だんだん年齢を経て、つい先のことをあれこれと心配をするようになりましたが、最近少し反省しています。それまでは、少なくとも未来の心配などほとんどする暇もなく、ただ今のことに、ある程度集中してきたように思います。
といっても、大して素晴らしいことはしていませんが。それでも良い結果につながってきたことを、今改めて実感していますので。
繰り返しますが、迷いなく今はこれだと確信して、刻々の只今、只今に、全身全霊で持って生活修行に没入して生きることが、過去のことも活かされ、未来も良くなる、唯一無二の方法といえます。そうすると、過去のことを恨んだり、悔やむようなこともなくなっていき、未来のことへの余計な不安や心配もなくなっていくのでしょう。
そして、そのように生きている人は、生まれ変わり死に変わりして磨いてきた御魂の感性があらわれ出て、才能として発揮されるようになります。背後にいる守護霊軍団が応援してくれるようになり、芸術作品にも、文章にも、仕事の結果にも、そのような才能や能力があらわれ出てくるようになるのでしょう。
せっかく磨いてきた潜在意識の中に眠る才能、感性も、この世の顕在意識、努力して磨かなければ、顕れ出てこないと言われていました。ここが非常に重要なポイントだと言えますね。