ワールドメイトのカンボジアでの支援活動の歴史(3)〜子供達が貧困から抜け出すために〜

カンボジアは、ポルポト政権による自国民の大量虐殺という悲劇の時代がありますが、その実行犯達への裁判が現在も行われています。

 

クメール・ルージュ指導者に有罪判決、大量虐殺の罪では初  カンボジア (BBC NEWS JAPAN)

カンボジアのポル・ポト元首相が1970年代に率いた政治勢力「クメール・ルージュ」政権の高官2人に16日、大量虐殺の罪で有罪判決が下った。大量虐殺で有罪判決が下るのは今回が初めて。

 

ただ、このような犯罪を裁くことはもちろん必要ですが、いまだに大量虐殺によって苦しんでいる多くの遺族達の存在を忘れてはいけないと思います。主人や子供を虐殺された犠牲者の遺族達、残されて未亡人となった女性や子供達は、心の傷を負ったまま、極貧生活を送っている人も多いそうです。本来でしたら、ボルポト政権という政府が犯した虐殺ですから、国がその保証をするべきでしょう。しかし現実的に、カンボジアの経済力の問題や、他にも複雑な事情があるのかもしれませんが、なかなか困難なことなのかもしれません。

 

 

4億の基金でクメール・ルージュ被害者救済セレモニー

そこでワールドメイトでは、2011年まで5回にわたり、約4億円の基金でのべ3万世帯の遺族達へ、義援金とお米を一人一人に手渡しするセレモニーを行なってきました。もちろん、それだけで補償の代わりになるものではないことくらいはわかりますが、政府関係者と共に行ったことや、義援金と共に温かいメッセージを伝えたことに、大きな意義があったかと思います。また、この虐殺の体験のインタビューを行い、記録として残すという意義もあったそうです。

 

深見東州先生も私財を3000万寄付されましたが、そのときの深見東州先生の遺族に対する心のこもったメッセージを、私も10年くらい前に聞き、涙が止まらなかったことを思い出します。そして誰も、これまでにこのようなことをしてくれたことがなかったそうで、見捨てられることなく、このようなことをしてくれたことに対しての、遺族の人たちからの喜びが伝わってきて、感動で涙が溢れてしまったことを思い出します。もともと仏教徒の信心深い国民なので、恨み続けることでこれ以上苦しまないよう、このセレモニーによって何かが救われ人たちが多かったのではないかと思いました。

 

1996年から「ワールドメイト未来の光 孤児院」の300人の子供たちを支援

カンボジアでは、虐殺や内戦によって多くの孤児達を生むことにもなりました。現在、ワールドメイトが支援する「ワールドメイト未来の光 孤児院」も、そのもとを作ったヌオン・パリー女史への、ポルポト政権による蹂躙から始まったと言えます。

1975年ポルポト政権の樹立と共に、ヌオン・パリー女史への悲劇は突然やってきました。フランスに留学し帰国後結婚、2人の子供に恵まれ、財務省にも勤務していたヌオン・パリーさんですが、同年4月に突然クメール・ルージュ軍により、プノンペンから強制退去させられます。そして多くのカンボジア人と共に集合農場で強制労働を強いられます。

 

その後政情は変わりますが、内戦による苦難は続き、命の危機に瀕します。そんな流民となった難民生活中に、「クメール人民うつ救済センター」を、タイ国境部の大規模難民キャンプに設立します。そして内戦で傷ついた女性や子供達の救済にあたります。

そこで10年働き、その後内戦が終わった1993年になってプノンペンに戻り、郊外の私有地に、私財とフランスのフィガロ財団の資金を元に、未来の光孤児院を設立しました。そのとき一緒にプノンペンに戻った子供達が90人ほどいたそうです。そして非常に困難な中でありながらも、衣食住の世話から、公立学校にも通わせ、英語教育も行なっていたそうです。なぜ、そんことができたのか、神様のご加護があったとしか思えないと話されていました。

 

それから3年後の1996年、共通の知人を介して、深見東州先生と出会うことになります。深見東州先生はその場で宿舎の建設などを申し出られ、支援活動が始まりました。その後も毎年のように訪問され、子供達とふれあい、必ずプレゼントを全員に手渡しされていたそうです。

そして、他の篤志家の人たちによる支援も含めて、施設の拡充が進み、先進テクノロジーが学べる環境もでき、英語をはじめ、様々な技能を学ぶこともできるようになったそうです。単に衣食住の面倒を見るだけではなく、将来の就職においても有利になるような教育がなされているそうです。それを映像で見たときに、子供達のキラキラした綺麗な瞳がとても印象的でした。ホームページには300人近くの子供達を預かって、増え続けていると書かれています。

 

 

ヌオン・パリー女史は1994年にフランスのフィガロ賞、1998年にはマザー・テレサも受賞した、アジアのノーベル賞と言われるフィリピンのラモン・マグサイサイ賞を受賞します。

ヌオン・パリー女史は2012年に逝去されましたが、その数年前にワールドメイト未来の光 孤児院に名前を改称することを申し出られました。今になって思うのは、おそらく深見東州先生のことを信頼しきって、安心してあとを託されたのかも知れません。

貧困に苦しむ子供たちのためのハンダ・アカデミー開設

2018年に深見東州先生は、バッタンバンにおいても孤児院の運営を始められました。ただ、これまでとは違うのは、住み込みではなく、通いにしているそうです。その方が、社会に出た時のコミニケーション能力が身につくという研究にもとずいてのことだそうです。

2018年5月、そのような孤児や、貧困家庭の不利な立場にいる子供たちのために、ハンダ・ファウンデーションは「セーブ・ザ・チルドレン」と、カンボジア政府とパートナーを組み、ハンダ・アカデミーを開設します。そこでコンピューターと英語を学び、スポーツでリーダーシップを学び、健康と衛生学の教育を無料で受けることができます。そのように立派に職業を持てるようにすることで、貧困から抜け出せることを目的としているそうです。

 

バッタンバンにISPS ハンダ・スポーツセンターを設立

ハンダ・アカデミー設立に先立つ2014年、ハンダ・ファウンデーションは、ISPS ハンダ・スポーツセンターをバッタンバンに設立しました。このISPS ハンダ・スポーツセンターは、ネットやライトや人工芝なども備えた、サッカーやバレーボールなど多くのスポーツができる広い敷地や設備があるようです。

ハンダ・アカデミー子供達だけではなく、地域の若い男女にも、スポーツをする機会を自由に提供しているそうです。そして、運動だけではなく、チームワークやスポーツマンシップなど、自己を高めるためのレッスンも子供達に提供しているそうです。

 

 

バッタンバン州の僻村に、スポーツの力によって成功した南アフリカのファイブス・フットボールのように、良い影響が起きるかもしれません。そこでは、子供達がサッカーをしたいがために勉強をするようになり、エイズ教育によって感染を防止できるようになり、犯罪率が激減し、さらにスポーツでリーダーシップやマナーなども学べて成長するという、素晴らしい成果をあげているそうです。ちなみに国際スポーツ振興協会は、そのファイブス・フットボールのパートナーにもなっています。

ハンダ・モデル農場で、効率的な栽培技術を指導

同じく2014年、ハンダ・ファウンデーションは、ハンダ・メディカルセンターから10分くらいのところにある4ヘクタールの肥沃な農地に、世界野菜機構やUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)と協力してハンダ・モデル農場を作ったそうです。

 

 

そこでは果物や野菜などを栽培していますが、より効率的な栽培技術のトレーニングを地域の人々のために行うという目的があるそうです。農家の人たちは、その地域にあったベストな栽培方法を学ぶことができ、家族も十分な食べ物を確保し、収入を増やせるやり方を学んでいるそうです。孤児達もそこで農業を学んで始めるようになれば、カンボジアにとってもさらに良いことになりますね。

ちなみに「ハンダ・ファウンデーション」は、ワールドメイトも支援している国際NGOになります。2012年に設立され、米国、英国、そしてカンボジア王国で登録されています。 東南アジアのさまざまな国で病院や学校を建設するという使命を持つ、非宗教的、非政治的、非営利の組織です。 さまざまな個人や組織から資金を得ており、チェアマンである半田晴久氏(深見東州先生)の先見の明のあるリーダーシップによって推進されています。

 

 

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