今回は前回からの続きになります。前回はワールドメイトで起きた分派騒動のこと、それを起こしたワールドメイトの元幹部M氏について、またそのM氏の女性秘書だった2名によって起こされたセクハラ訴訟の真相について書いてきました。分派騒動については、前回の記事を読んでいただくと、より理解できると思います。
この分派騒動に端を発する事件や問題は、M氏という首謀者とその仲間達により、複合的におこされてきました。今回は、当時元コスモメイト(現ワールドメイト)幹部のM氏と昵懇だった二組の会員によって提訴された、霊感商法裁判について記述していきます。
今回も、主に以下の週刊報道サイトの記事を参考にしながら書いています。
やや日刊カルト新聞総裁藤倉善郎飛ばし記事劇場開演 その4 約30年前の「ワールドメイトは霊感商法だ」「教祖・深見東州からセクハラを受けた」というM分派騒動での主張は全てデタラメだった!このデタラメM劇場は全てMの演出脚本だった!
http://hodotokushu.net/kaiin/kiji20221017l.html
ワールドメイトで起きた霊感商法裁判の結末
まずは、週刊報道サイトの取材によって、問題となる霊感商法裁判では、以下のようなやりとりがあったことを初めて知りました。
残るは、Mの知人らが起こした「ワールドメイトは霊感商法だ」という2件の訴訟だ。
当時取材したジャーナリストから、裁判記録を入手したが、不可解な点がある。
それは、うち1件の「本人調書」(被害を受けたと訴えた原告に、ワールドメイト側の弁護士が、法定で質問した記録)にあった。
原告(Mの知人)は、訴状で大々的に打ち出した「被害額」を、裁判が進むにつれて減額したという。理由をワールドメイト側弁護士が尋ねると、原告は、訴状に書いた「被害額」は「およその数字でした」(本人調書14頁)と、実際の額ではなかったことを告白。
さらに「領収書関係は、私の場合は、とっておかなかった」(同3頁)と、支払った証拠が無い旨を述べている。
なにか振り込んだ証拠や、領収書等を出さなければ、「全体として非常に主張がいい加減になっても仕方が無いと思いませんか」(同15頁)と弁護士が尋ねると、本人も「仕方がないと思います」(15頁)と回答している。ようするに、提訴した金額が、いい加減なものだったと自白しているのだ。
金額や根拠を明示できない原告を見て、なにか察したのか、裁判長も思わず、「はっきり金額の根拠というものがあって、この表をつくったのですか」(同56頁)とズバリ問うた。
さらに、「お金がどういう流れであなたの手元にきて、そしてそれを相手のほうに渡したのかと、それは直接の資料がないのですね」(同58頁)とも問うた。原告が「支払った」というカネが、どこから来たのか?、また本当に払ったのか?、その証拠や根拠の曖昧さに、たまらず出た裁判長の発言であったのだろう。
当時実際に取材したジャーナリストの武藤勇らが、一連の訴訟を、「Mがそそのかした」と論評した理由は明らかであろう。
ワールドメイトからも、この件に関する説明は会員に向けてされてきました。上の記述にあるような詳細な説明ではなく、自ら出向いて原告や相手の弁護士、裁判長と丁寧な話し合いを行い、最終的に誤解による行き違いがあったことを互いに理解して和解で解決したという内容だったと思います。原告の二組の方については、批判されるわけでもなく、むしろ神業に貢献された人だったという説明でした。結局、裁判は取り下げになったわけですから、それ以上、僕も関心は持っていませんでした。
今回、週刊報道サイトのジャーナリストが書いた、上に引用した裁判の内容の一端を見ると、深見東州先生は神業に貢献した相手に対する誠意を持って、ワールドメイト会員にも説明されていたのだなと思いました。和解した相手の方を慮って、批判的なことはあえて言われなかったのでしょう。
実は原告は家族の分も含めた交通費や宿泊費、食事代なども賠償額に含めていたそうなので、そもそもおかしな訴訟だなと僕は思ってはいました。今回の記事を見てもわかるように、かなりアバウトな賠償額の算出だったようです。にもかかわらず反訴することもなく、丁寧な話し合いを通じて誠意を持って解決する道をとられたのだろうと思います。
ただ僕の本音としては、そんなことよりも原告が霊感商法という誤った認識を持ったことが、非常に残念です。おそらくこの原告の方達は、ワールドメイトでさまざまな祈祷や研修などを受けた、もともとは理解ある熱心な方だったのだろうと思います。それがM氏にそそのかされたとはいえ、ワールドメイトでやってきたことを偽物だと誤解し、霊感商法であるかのように提訴したものと想像します。
ここではっきりと、僕はワールドメイトには霊感商法のカケラも無いことを断言できます。ワールドメイトには、さまざまな悩みを抱えた人たちが入会してきます。そんな人たちに、まずはワールドメイトの救霊を受けることを勧めることが多いです。もちろん強制などではないです。
救霊の他に祈祷もありますが、大袈裟ではなく、それでどれだけの方の命が救われ、重病が回復したことか、把握しきれないほどの実例があります。命に関わる問題ではなくても、大なり小なり、さまざまなトラブルが解決したり、解決に向かったりする実例になると枚挙にいとまがありません。
だから救霊や祈祷を受けた人が、納めたお玉串(寄付金)を返してほしいとか、そのような人は僕の知る範囲ではいませんでした。必ずしも自分の思った結果になるとは限らないにも関わらずです。
救霊や祈祷は医術ではありません。医学的な治療でさえ、万全を尽くしても願い通りの結果になるわけではありません。人間には霊的、現実的な、さまざまな複雑な要因があります。霊的な対処であれ、現実的な治療であれ、よりベターなものはあっても、完全なものは無いわけです。
その上で、もしワールドメイトの救霊や祈祷に霊力が全くないのであれば、強制や脅かしなどをともなわず、高額な寄付を求められていなくても、このお二組の原告の訴訟に続くように、他にも声を上げる会員が出てきたでしょう。しかし誰1人声を上げる人は出てきませんでした。
もしも脅かしや高額な寄付などをともなう、霊感商法をワールドメイトが行っているのであれば、僕をはじめ、多くの会員が続いて裁判を起こすことになったでしょう。しかし僕はそんな考えをツユほども持ったことがありません。マインドコントロールなるものも存在しませんし、脅かしを受けた記憶も無く、高額な寄付を求められたことも無いからです。それでいて、当時すでに人生が変わるほどの素晴らしい体験を何度もしていたからです。
僕ほどの奇跡的な体験は無くとも、多くの人が何らかの形で神さまを実感し、良いことが起きた証体験を持っています。それと並行し、深見東州先生の万能性や、博覧強記ぶり、深い悟りと精神性が常人とは違うことはすぐにわかりました。そのような会員が一定数以上いるからこそ、そこまでの証がなく、半信半疑の人もいたと思いますが、誰一人、M氏と昵懇だった二組の会員に続き、訴訟を起こすような会員が出なかったのでしょう。
実は原告側の弁護士は、マスコミやテレビ局に対して情報の横流しや、積極的なアピールも行いました。当時は統一教会の霊感商法が大きく報道されていたため、ワールドメイトも単純に同じだろうと、雑誌やテレビで怪しく報道されました。それでも同調して声を上げるワールドメイト会員は1人も出てきませんでした。これにはさぞや相手の弁護士も、ガッカリしたことでしょう。
当時取材したジャーナリストは言った、
「もし本当にヨコシマな事をしていた宗教団体なら、あの『霊感商法だ裁判』や『セクハラされた裁判』などの後、我も我もと訴え出る者が続々と出たはずだ。ちょうど、後に『法の華(福永法源)』が問題を起こした際、1000人単位の追随訴訟者が出たように。ところがワールドメイトでは、それから30年経っても追随訴訟者は出てこない。結局、Mの仕掛けでしかなかった、という当時の取材が正しかったと思う。」
さらに今回、週刊報道サイトの取材でわかった、以下の新たな事実があります。
そして、このデタラメM劇場の「ワールドメイトは霊感商法だ」裁判は、原告側の「取り下げ」で終演した。
裁判における「取り下げ」とは、訴えについて「無かったこと」にする終わらせる手法だ。
当初は、ワールドメイトがM一派へカネを払って裁判上の和解をして終わらせたのかと思ったが、真相は違った。裁判記録にある「取り下げ」した時の「口頭弁論調書」を見ると、そこにカネのやり取りはなく、原告がただ訴訟を「取り下げ」しているだけである。
ネット上には、ワールドメイトが霊感商法に認定されないよう、多額の和解金を支払って裁判を終わらせたかのような書き込みが、今回もありました。ネット上には、そのような勘違いをしている人たちがかなりいると思います。しかし実際には裁判所の調書にお金のやり取りはなく、霊感商法と認定されるのを恐れたわけでもなく、丁寧な話し合いの結果、原告が納得した上での取り下げだったわけです。
Mの知人だった原告のうち1人は、訴訟取り下げ直後、深見東州とこんな会話を交わしたという。
深見東州「どうか、これからご家族がお幸せになりますように」
原告(Mの知人)「ありがとうございます。」
深見東州「それにしても、こんなにお互い行き違ったのは・・・。M氏を通してコミュニケーションしていたからですね。そこが残念でなりません」
原告(Mの知人)「私もそう思います」
分派騒動の影響は今でもネット上に存在
ネット上には有意義な情報もたくさんありますが、間違った情報が簡単に書き込まれることも多々あります。そんなことは誰でも知っていることですが、特にワールドメイトへの批判的な内容に関しては、それが酷いなと思うことがあります。
僕が思うに、ワールドメイトの宗風も影響しているのかもしれません。人間で言うなら明るく面白く爽やかだけど、あまりに人が良すぎるタイプという感じでしょうか。だから一部のよく思わない人たちから、書かれたい放題になったのかもしれません。
この分派騒動に端を発したネガティブな報道は無くなりましたが、得体の知れない書き込みは、今に至るまでなくなったわけではありません。これらのことを取材した週刊報道サイトのジャーナリストは、以下のような感想を書いていました。
なお、この約30年前の一連のM一派の分派騒動におけるデタラメな主張の一部を切り取って、ワールドメイトを貶めることを目的とした事実と異なる悪意に満ちた印象操作に使うアンチらが現在も存在する。
だが、前述したデタラメM劇場の内幕を観れば、約30年経った現在に存在しているアンチらの主張が、約30年前のMと同じくワールドメイトを貶めることを目的とした、事実と異なる悪意に満ちた印象操作を目的とするデタラメな情報であることは明らかである。
僕の感想を書くと、そのようなアンチ的な活動をする人々は、組織的な影と繋がっている人たちもいれば、そうではなく、単に、ワールドメイトの人間関係などで嫌な思いをしたか何かで、腹いせのようにワールドメイトの悪口を書いている人もいるように思います。
時々思うことがあります。この人たちは、自分自身の実力や器量は20点くらいなのに、圧倒的に上の深見東州先生のことをよく批判できるなと。これは、僕自身も同じですけどね。総合的な実力や人間力に桁違いの差がある場合、相手のことが大きすぎてよく理解できないわけです。だから反動で平気で批判できるのでしょう。しかし正しく理解してないわけで、その批判も見当違いになるわけです。
深見東州先生について案内するサイトを書いてはいる僕も、実は深見東州先生の中身を正しく理解しているわけではありません。ただその足跡は現実に存在しており、それをベースに紹介することで、多少なりとも理解する一助になるのでは無いかと思い、厚かましく書いています。
次の記事で書く予定ですが、この分派騒動から派生したトラブルには、ワールドメイトの脱税疑惑というものもあります。これにはマルサや政治が絡み、もっとも長く尾を引くことになります。他にも前回の記事で書いたセクハラ訴訟、そして労働争議や暴力問題や金銭問題など、驚くほど複数の事柄に及ぶのがこの分波騒動の仕掛けなのでした。
よくもこれだけ多くの事柄を捏造し、ネガティブキャンペーンを起こせたものだと感心します。そして、それをそのまま鵜呑みにし報道する名の知れたメディアが、当時いくつも存在したわけです。メディアを思いのままに巻き込む、その手腕は凄いなと思います。
ちなみにM氏はコスモメイト時代には、教団の顔としてマスコミ対応を任されていたそうです。そして本人によるとシナリオライターでもあるそうですから、その方面の対策や工作には、大変長けていたのでしょう。
さらに詳細を知りたい方は、当時の事件の真相に迫った雑誌の記事を、下記のサイトから読むことができます。僕のサイトでは、主要なものだけを取り上げています。
http://page.holy.jp/index.htmll
分派騒動を仲直りで集結させた深見東州先生
この分派騒動の結末は、メディアにとっても意外な形で集結します。僕らワールドメイト会員からすると、さすが深見東州先生らしい収め方だと感心しましたが。
ワールドメイト側と、分派騒動を起こしたM氏側が、お互いに仲直りをしたからです。それを報告する共同記者会見も開きます。1994年の9月のことで、不覚にも、僕はその内容を見損ないましたが。
その会見で、造反し離れていった側は、以下のような見解を述べたそうです。
「私たちは、かつてともに宗教団体コスモメイト(現パワフルコスモメイト)に所属しておりました。昨年、組織内部において、教祖深見青山氏をめぐる様々な問題から、あるものは組織を追われ、あるものは辞職に追いやられました。そして、その際に、一部のものがコスモメイトは世に問われるものとの信念のもと、いくつかの内部資料を持ち出しました。これらの資料の一部は、マスコミ関係者の手にわたり、また、他の一部は昨年末のコスモメイトに対する国税局の査察の捜査の際に任意提出されたものです。しかし、私たちの信念に基づいた行為ではありましたが、その後引き起こされた事態により、予期せぬ人々を圧迫し、傷つける事態におちいり、深く反省するに至りました。(中略)
この上は、私たちも信念上のこととはいえ、不法な形で持ち出した資料を所有者であるパワフルコスモメイトに返却するのが道理であると思われます。また、国税当局の質問顛末書において述べたことなどでも、当時の一時の感情から、いきおい誤って言い述べたものであり、是正または取り下げすべきものであると思われます」
この内容だと、全面的に自分達の非を認めたようには思えませんが、仲直りですから、お互いに相手の非は問わないということなのでしょう。それでも内部資料を持ち出してマスコミや国税に提出したこと、一時の感情から勢い誤って述べたことを認め、それを是正、または取り下げすべきと述べていますね。
その内部資料が捏造や改竄したものだとは、さすがに言えなかったのでしょうが。
ワールドメイトの顧問弁護士らは、M氏とその一派から受けた被害に対して訴訟をおこし、相手側の責任を問いたかったそうです。弁護士らは、普通はそのように考えるのでしょうね。証拠も揃っていたわけですから。
しかし深見東州先生は、裁判で争うことをせず、仲直りする道を選ばれたわけです。あれだけ酷い目に遭いながら、その後もまだ余波が続くことになるのに、なぜなのでしょう。
それはワールドメイトが天啓宗教であり、深見東州先生はその神様を取り次ぐ宗教家であることを深く理解しなければ、説明を聞いても納得できないかもしれません。そう思いつつも、理解してくださる方もいるだろうと思って書いてみることにします。
これまでワールドメイトの真実について、丁寧に書いてきたつもりですが、実際にメディアが大騒ぎするほどの問題が起きたのだから、何かやましいものがあったのではないか。あるいは本当に神様がいる宗教ならば、なぜそんな問題が起きるのか?というような疑問を持つ人もいるかもしれません。
しかし天啓宗教には、法難というものがつきもののようです。宗教の歴史を知っている方なら、ああ、あれのことかとわかると思います。
天啓宗教ですから、本当の神様が降りてないと天啓宗教とは言えません。そんなところには、なぜか言われなき中傷や弾圧、裏切りなどが起きた例が多々あります。誰でも知っているところでは、12使徒の1人、ユダに裏切られたイエスは磔にされています。(ワールドメイトの解釈では、これに関しては別な深い内容がありますが)
また、お釈迦様は、弟子のダイバダッタから妬まれて毒殺されそうになります。役行者も弟子の讒訴により処刑されそうになります。日蓮の法難も有名ですね。近年では出口王仁三郎の大本も戦前に弾圧されています。これらは、何か悪質な問題を起こしたから、讒訴されたり弾圧されたのではありません。
法難とは、宗教者の信仰力を練り鍛え、さらに大きく脱皮させるために神様が起こすものだと言われています。あるいは法難によって離れていく人、支え続ける人を見極めるために起きることもあるようです。
裏切りとはいえ問題が起きたわけですから、教団にも問題があったと考えることもできますが、本当は神様がそのような目的で起こす試練であり、神試しである、というのが真実なのでしょう。
神様が起こすものですから、法難の後には、イエスの教えが広がってキリスト教が成立していきました。お釈迦様の仏教も然りです。役行者は修験道を確立し、その後の日本の宗教者に非常に大きな影響を与え、道が広がっていきました。戦後は日蓮宗系と大本の流れを汲む宗教団体がたくさん勃興しましたが、それも日蓮と出口王仁三郎が迫害を受けながらも、宗教家として偉大な生き様を残したからであり、二人がいかに卓越した宗教家だったかを示すものでしょう。
法難については、イエスは弟子の裏切りによって殺されますが、迫害する相手を許し、無抵抗の愛によって法難をこえました。お釈迦様も無抵抗と寛容と禅定で持って法難を越え、役行者は無抵抗と神通力を持って越えたと言えます。
では深見東州先生は、これら一連の分派活動から生じた問題や混乱を、どのように捉えて、越えようとされたのでしょう。
話は逸れますが、実はそのような問題がワールドメイトで表面化する1年くらい前に、神試しによる大きな試練がワールドメイトに来ますよと、深見東州先生が言われていたことを思い出します。
そして本当に、僕が想像もしなかったような大きな事件が立て続けにワールドメイトに起きるわけです。それは僕にとっても、家族からの猛烈な反対にあうなど辛い一面がありました。しかしその一方で、祈りの力も極まるのか、神様を実感できる証が次々と起きて、自分でも信じられないほどでした。また自分自身の内面性も、驚くほど良い変化があったのもその頃でした。最終的には、現実に良い変化が立て続けに起き、僕にとっては奇跡のような結果の連続でした。
僕個人のことは置いとくとして、これら一連の出来事は深見東州先生ご自身と、スタッフの人たち、そしてワールドメイト会員を育てるために起きたことであり、それによってわれわれが得たものは計り知れないものでした、と後になって聞きました。
つまるところ問題が起きたから、その宗教や人物がおかしいというわけではありません。過去の宗教の歴史がそれを物語っています。
話を戻しますが、深見東州先生はこの一連の騒動について、宗教者としてどのように乗り越えるべきかを思案されます。周りからは相手に対して訴訟を起こすか、何らかの責任を問わせる方向で動くべしという申し出があったそうです。
しかし深見東州先生は、この一連の騒動を法難として、神試しとして受け取っているため、それらの申し出を断ります。深見東州先生にとっては、単なる勝ち負けで終わらせるのではなく、宗教者として、どのように神試しを越えるのか、その生き様がより重要になるわけです。
「何度も浮かんできたのが、聖徳太子の有名な言葉でした。
『善人と悪人がなぜ仲良く和が保てないのか。それは、善人が善を行っていることに誇りがあり、悪人が悪を行っていることを開き直り、ひがんでいるからである。だから、善人と悪人が仲良くするためには、まず善人の方から善を行っている誇りを捨て、悪人に近づくしかない。そうして、悪人は心を開いてひがみを捨て、善人と仲良くする努力をするべきだ』
私は何度も浮かんだこの言葉に従ったのです。怒りや怨みを越えて、和を以て尊しと為そう。だから、自分の方から近づいて仲直りができたのです。やはり、争うにはお互いに言い分があるのですから。その言い分に耳を傾ける寛容性が、和を確立するためには必要なのです。」(深見東州のメールマガジンより)
宗教団体の内紛騒ぎ、内部分裂の話はよく耳にします。そのほとんどは徹底して争い、実際に分裂するところもあります。今でも闘争が続いているところもありますね。
深見東州先生はそのような道を選ばず、分派騒動を起こしたM氏達と仲直りをするために、出向いていかれます。そして先ほど書いたように共同で記者会見を開きます。これは宗教団体の内部紛争の解決方法としては、非常に画期的なものでした。
いくら袂を分かったとはいえ、昔は信仰を同じくする仲間たちだからこそ、そうされたようです。今後も誤解から離れていく仲間が出たとしても、同じようにされるのでしょう。
相手に対する愛情と理解を持って、自分が正しいという誇りを捨てないとできないことですね。宗教団体における内部の造反に対し、そのような解決をしたところを僕は他に知りません。
しかし、もっと大きな最大の理由が存在していました。それは10代の頃、深見東州先生は世界救世教に入信し、大学時代は大本に入信していた時期がありました。実はその時に、分裂騒ぎを目の当たりにしたそうです。
上の人たちが争うのには、それなりの理由があるとは思います。ただ、そこに属している末端の信者の気持ちは置き去りになってしまいます。悲しみや憤りなど、良い思いを抱く人は少ないと思います。親身に行く末を心配してくれる人もいるとは思いますが。
深見東州先生もその当時、「お互いに神さまに仕える者同志なのに、なぜ小異を捨てて大同に帰し、仲良くなれないのか。末端の信者の気持ちも考えてほしい」と思ったそうです。そのような体験があったため、ワールドメイト会員の気持ちを考えて、「和を以て尊しと為す」で締めくくることを決心し、相手と仲直りする道を選ばれたのでした。