今回は深見東州先生の著作「大除霊」から引用しつつ、思ったことを書いていきます。
この大除霊という著作はどこをとっても重厚な内容で、何度も繰り返し読んだ一冊です。ワールドメイト会員の中には、この本を最低でも10回くらいは読んでいる人も多く、救霊師になると30回、50回と読んだ人もいました。
内容を、一度に紹介するのは無理なので、その一部を今日は書きたいと思います。
さっそくですが、序盤に書かれている内容の結論を、そのまま引用します。
「今日まで、霊能者は霊界ばかり、神に生きる人間は神ばかり、常識人は常識ばかりという具合に、それぞれの道に偏してそれらを探求してきた。
しかし、それひとつだけでは全てが間違いとなるのである。なぜなら、おのおのたった一つの世界しか見てないからだ。三つを全部見て、今の自分を最高にして、周囲をも幸せにするという姿勢が正しいのである。
霊ばかりを見ていると、悪霊にだまされ占領される。常識の世界ばかり見ていたら、「妙(霊妙な神仏の動きのこと)」が乏しくなり天運が引き込めない。神様の世界ばかり見ていたら、社会にねざさないで世間から相手にされない。
そもそも天地を創造された主(す)の神様は、神界と霊界と現実界の3界をつくられたのである。だから、正しく神様を掌握して、正しい自分の人生をまっとうするには、神界、霊界、現実界の3極を同時に尊重して、偏りなくバランスをもって見ていくことが必要なのだ。」
初めて見る人にとっては、わかったような、わからないような内容かもしれません。多くの意味が含まれますが、今回、これを紹介しようと思ったのは、最近、ある方から布教を受けたからでした。
その方は、ご自身の信じる宗教の神(仏)を、強く信じている方でした。その素晴らしさを得々と語ってくれました。僕もワールドメイトで信仰を持つものなので、神々の素晴らしさは、理解はしているつもりです。
なので、その方が言う神様のことを否定するつもりは毛頭なく、その方がいう通りに素晴らしい神様なのだろうと思います。ただ、そんなに素晴らしい神様を語っているその方自身は、どうなのだろうと思ったわけです。
その方は神様のことに夢中で、強く信心するのは素晴らしいと思いますが、その人自身が周りからはどう見られているかまでは、よくわかっていないようでした。
つまり、「神に生きる人間は神ばかり見ていて、社会に根ざさないで世間から相手にされない」、と言う感じに思えたのです。
そうなると、せっかく神様のためにと思った行為も、あまり神様の役に立つこともできないでしょう。それどころか、誤解を招くことになるかもしれません。
もう少し、自分や社会というものを知って、うまく適応してやることができれば、もっと人からも良く思われ、神様の役に立てるだろうにと思わずにいられませんでした。
今度は別な経験になりますが、とてもスピリチュアルな世界に興味を持つ人がいました。僕も昔からその世界に興味がありましたし、今までにそんな方は、けっこういました。その中にはなんでもかんでも、スピリチュアルな観点から説明しようとする人もいました。
それはもっと普通に考えてもいいのでは、というようなことでも、霊的な作用とか、風水ですとか、スピリチュアルな世界観から無理矢理にこじつけて説明する人もいるわけです。
結論として、あまりに霊的な世界に偏りすぎている人は、一時的にすごいなというようなことがあったとしても、途中からおかしな道にハマっていくのか、あまり良い人生にならない気がしました。
じゃあ、そんな神様ごとも、スピリチュアルな世界や霊界に興味も関心もなく、否定する人たちが、素晴らしいのかというと、それも考えものです。
霊的なことばかりする人は、霊的なことでつまづき、この世的な常識や、現実的なことだけで生きる人は、現実的なことでつまづくという話も、聞いたことがありますので。
やはり良い人生を送っている人は、一見すると現実的な努力だけをしているように見えても、神仏の存在を否定したり、宗教を馬鹿にしたりする人をあまり聞きません。何かの宗教に入ってなくても、どこか目に見えない力や加護を感じ、感謝しているように思います。
今回は、みじかにあった些細な体験を通して、良い人生を送るには、「神界、霊界、現実界の3極を同時に尊重して、偏りなくバランスをもって見ていくことが必要」ということが、とても参考になると思い、紹介しました。
この本を書いた深見東州先生は、宗教家として専門家や他の宗教者から高い評価を受けていますが、企業家としても成功し、幅広い教養と、社会常識が豊かなのはもちろん、人を惹きつける人間的な魅力も抜群な方です。それでいて霊的な救済などもできるという、まさに3極を同時に極める方だと言えます。
上は英国のロイヤルファミリーや、さまざまな道のエキスパートから、そしてわれわれ一般庶民に至るまで、幅広く多くの人から慕われるのも、わかる気がします。
本当は、もっと深い意味が今回紹介した言葉にはありますが、それはまたの機会に書きたいと思います。