神仏を信じることが信仰心ではない

ワールドメイトに入会するまでは、信仰心とは神を敬い信じることである。そのように漠然と思っていました。ところが、信仰とは神を敬い信じることだけではないことを、知ることになります。

信仰心とは

「信仰心とは貫き通す精神のことである」。初めて深見東州先生より聞いた話は、最初はよく理解できませんでした。ただ神を敬い信じていても、それが年間だけだとしたら、本物の信仰心とは言えないことくらいは、誰でも理解できると思います。

神様を信じるのであれば、生涯信じ続けてこそ、本当に信仰心があったことになるのだと、そこはすんなりと理解できます。

しかし深見東州先生によると、信仰の対象は神様だけとは限らないそうです。素晴らしい良きものを想い続け、一つの道をある程度まで貫き通すことが信仰心であるそうです。

たとえば、ゴルフのタイガーウッズですが、ゴルフに生涯をかけて取り組んできた最高のゴルファーの一人であることは、誰もが知っています。

アフリカ系ゆえに差別に苦しんだり、あるいは絶頂期に大怪我や、不倫騒動などもありましたよね。それでもゴルフをやめることなく、何度でも立ち上がり、乗り越えて復帰し活躍してきました。史上最高のゴルファーとも言われ、50歳近い現在でも、いまだにゴルフ界では圧倒的な人気であり、ゴルフの道を貫いていますね。

素晴らしいゴルファーやプレーに憧れて、限りなくゴルフを愛しているのでしょうか。なにがあったとしても乗り越えて、高いレベルを目指して努力し続ける姿は、神なる高みに向かって精進していく姿と言っても良いかとおもいます。

ゴルフは神様とは違いますが、ゴルフというスポーツをそこまで貫き通すことで、心を磨き、技術を磨き、肉体を磨き続けているわけですね。タイガーウッズにとっては、ゴルフが神なるものと言えるのでしょう。

芸術に生きる人は芸術こそが神

女優の山田五十鈴は、深見東州先生の師匠である植松愛子先生が絶賛されていたそうですが、日本を代表する名女優と言われていますね。僕は作品をほとんど知りませんが、調べてみると数々の名誉に輝き、また、年齢を重ねるごとに高い評価を得てきた女優であることを知りました。

ただ私生活では、4回の結婚歴の他にも、浮き名を流していたようです。娘は捨てられたことを生涯恨んでいたとも書かれています。

道徳的に見るなら、いろいろ問題ありと言われそうですが、いろいろ傷ついたり、傷つけたりしてきたのかもしれませんが、そのようなこともすべて自身の芸に転化させ、見事に脱皮し続け、最高の芸を身につけた女優であると、深見東州先生は言われていました。山田五十鈴にとっては、芸の道こそが神だったのでしょう。

20世紀最大の天才画家ピカソは、最も成功した画家とも言われています。いつも若い女性の愛人がいたことでも有名ですね。生涯十人くらいの女性と恋仲になり、うち二人とは結婚もしますが、人妻との同棲や不倫もありました。

80歳を超えてなを、若い女性と関係を持ったピカソは女好きだったと言われてますが、女性の若いエネルギーをもらうことで、そのエネルギーと情熱を絵画の創作に向けていたようです。

生涯にわたり、新たな作風で、傑作を生み出し続けてきました。その産みの苦しみたるや、相当なものだったとおもいます。多くの若い女性との恋を通して、作品を生み出すインスピレーションを得てきたと言われていますね。

深見東州先生によると、信仰心は神の3局面と言われる真善美をすべて包含すると言われていました。真は学問や科学、経営など、善は宗教、倫理、道徳、福祉、スポーツなど、美は芸術ですね。

信仰心というのは、何も神様を敬うことではなく、そうやって神なるものに向かっていく人。スポーツに生きる人はスポーツが、芸術に生きる人はその芸術が、職人なら、たとえば料理をする人はその料理こそが神であり、それを貫き通すことが信仰心なのだそうです。

スポーツでも、音楽でも芸事でも、その道の神様みたいに言われる人もいますけどね。高いレベルを目指して、生涯をかけて練磨し続けてきた人は、神と言われるほどにふさわしいくらいに、魂も磨かれているのでしょう。

愛も貫いてこそ本物に

宗教心があって神を信じていたとしても、すぐにやめてしまえば、それは宗教心はあっても、信仰心にはならないことは、最初に書きました。また別な意味で宗教心は、ときに神を小さくしてしまうこともあるようです。たとえば倫理観や道徳観で、人を縛ってしまう人の場合などがそうですね。

神様の目から見ると、普通の善良な人よりも、たとえ道徳心に問題ありでも、芸術を最高のものになるまで貫き通した人の方が素晴らしいと言われていました。

どの宗教も愛の大事さを説いてきました。愛こそが最高の価値あるものとして。しかし信仰心はそれよりも上になると言えるでしょう。なぜなら人々への愛はあっても、長続きしない一時の愛だったとするなら、本当に愛があったとはいえないでしょうから。

やはり貫いていくだけの魂の力、精神力があってこそ、愛も貫けるし本物になっていくのでしょう。その意味で、貫き通す精神力である信仰心がもっとも価値あるものと言えます。

その信仰心をもって貫くには、堅・誠・恒の3つが必要と、ワールドメイトでは言われています。それはまた別な機会に書きたいとおもいます。

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