深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
「サンタも驚く!!クリスマスパフォーミング時計宝飾展示会」3日目は薪能

前回からの続きで、「サンタも驚く!!クリスマスパフォーミング時計宝飾展示会」(主催 : 一般社団法人東京芸術財団、共催 : 株式会社ミスズ)の3日目の様子について書いています。

第三夜 クリスマス・薪能

ヒルトンホテルに能舞台が

さて、初日・二日目のクラシックコンサートから一転し、三日目はホテルの会場に本格的な能舞台が設営されました。能楽堂で見る舞台とあまり変わりません。屋根が無いくらいでしょうか。舞台の4隅にはしっかりと柱が立っています。

柱には「笛柱」「ワキ柱」「目付柱」「シテ柱」とそれぞれ名前があるようです。シテは能面をつけますので、視界がかなり悪くなるとのことです。そのため、この柱を目印に舞台の端を把握するようです。舞台から落ちないためには、この柱が必要なんですね。だから、屋内で屋根が無い時でも、柱は必ず立てるわけです。

ちなみに、この即席の能舞台は、深見東州先生の団体が国内用と世界用に2つほど保管しているそうです。これさえあれば、世界中で本格的な能楽公演が可能ですね。これまでニューヨークの国連本部、スフィンクス前、アンコールワット前、そして英国や中国などでも能楽の公演をされてきました。立派な能楽堂がある国は、ほとんどないと思いますので、どこにでも持ち運びできるようにと、本格的な組み立て式能舞台を持つようにされたのでしょう。

能舞台というのは、はし転がりと言って、わずかな傾斜をつけて座席から見やすくしているそうですし、カラフルな揚げ幕から本舞台につながる橋掛かりと言う、渡り廊下のような空間も重要です。その通路の前には、一の松、ニノ松、三ノ松と言う小木が、舞台に遠ざかるにつれ順に小さく置かれていて遠近感を出しています。そこまでこだわって、この能舞台も作られていました。

そして能舞台には、正面の奥の鏡板に大きな影向の松が描かれています。影向とは、神仏が現世に仮の姿を持って現れる、あるいは降臨することを意味しています。さしずめ影向の松は御神木のような存在と言えるのでしょう。松のルーツは春日大社の参道にあるクロマツとされているようですが、そのように能舞台は神聖な場であり、能楽は神に捧げる芸術なんですね。

能楽堂の能舞台

宝生流能楽師、深見東州先生による能楽鑑賞ショート解説

そのようなお話は、これまでも深見東州先生から何度か聞いてきました。今回はショート解説ということで、前日のタキシードから一転して羽織袴姿で登場されて、能楽を鑑賞する上で役に立つポイントを手短にお話しされました。

  1. 能は最小限の動きで最大限の内的表現をする省略の芸術。そのため省略するほどに見る者のイマジネーションが膨らむ、洗練された芸術であること。
  2. シテの一点豪華主義であり、それによってシテを際立たせる。
  3. 言葉や動き、物語の構成は、すべて序破急になっている。
  4. 面を付け替えることで、1人の役者が女性になり、子供になり、神になり、化け物になるなど全ての役柄をこなすこと。

男性が女性の役をするときにも、声はそのまま男性の声ですが、内面では女性になりきっているから、見るものには女性に見えるのが優れた能楽師と言うことです。

と、大きく4つのことを話されました。能の省略の芸術に対し、西洋のオペラは誇張の芸術であること、それを知るだけでも、実際に見ていてなるほどなと思います。また、能は動く彫刻であり、バレエは動くポエム、という比喩も、言い得て妙だなと感心して聞いていました。

ちなみに詩心が歌にいくと歌心となり、絵にいくと絵心となるということも、よく言われています。余談ですが、職人が作った時計の造形の美しさには、詩心が掻き立てられますねと、以前、言われていたかと思います。

深見東州先生は、能楽の伝統は650年あり、オペラはまだ300年ほど。西洋の芸術やゴルフなど、日本人は西洋のものをありがたく押しいただくという傾向があるそうですが、大げさに考えずに、なんぼのもんじゃいというくらいの気概を持って取り組んでいるそうです。その上でオペラやバレエを愛しているそうですが、日本の文化に誇りを持たれていることが伝わってきますね。

東京スポーツ2021年12月28日付紙面より

能楽とは、能と狂言を合わせてそう呼びます。なので狂言がない時は能楽と言わずに能と言います。今回の薪能では最初に狂言「梟」、そして能「竹生島」が演じられ、最後に付祝言で締めくくられました。薪能は能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で特に選ばれた演目を演じる能楽になります。

江戸時代は能「翁」を初めに演じたあと、能の演目を5番と、その間に狂言を4曲を入れるという「翁付き五番立」で、まる一日かけて行われていたようです。今は能2番と狂言を間に挟むなどいろんな形で行われていますね。

ちなみに能の5つの演目にも序波急があり、脇能(神をシテとする曲)、修羅能(武人がシテ)、鬘能(天人・貴人がシテ)、雑能(狂女・執心・人情など)、切能(鬼・天狗など)が、それぞれ序・破の序・破の破・破の急・急という構成になっていると言われています。

狂言「梟」と能「竹生島」、最後は「付祝言」を堪能

狂言「梟」は、能楽師狂言方、大蔵流の山本則俊、山本則重、山本則秀の重要無形文化財総合保持者3氏により演じられました。

物の怪に取り憑かれた弟を案じた兄が、山伏を訪ねて治してもらおうとしますが、珍騒動となり、とうとう山伏までが取り憑かれてしまうという、滑稽な仕草とセリフがとても可笑しい物語でした。観衆の笑いを誘うには、絶妙のセリフの間合いと調子がいると思います。相当に芸を磨かなければできることではありませんが、さすがだなと感心しつつ楽しませてもらいました。

能「竹生島」は、前シテ(老翁)と後シテ(龍神)を山内崇生、ツレ(弁財天)を石黒実都の宝生流シテ方能楽師で、重要無形文化財総合保持者である2氏が演じました。

能「竹生島」は、琵琶湖に浮かぶ霊地、竹生島を舞台に、現世にさまざまなご利益をもたらす神仏の姿を描いた祝言的な作品です。後半の壮麗な天女の舞、そして躍動感のある竜神の舞が、やはり見どころでした。神能物の中でも動きがあるためか、人気があるのもわかりますね。

最後は、深見東州先生をメインに、出演者が揃っての「付祝言」で締めくくりました。「お客様の中には今年良いことがあった方も、そうでない方もいらっしゃると思います。来年が良い年になるよう、宣り直しの付祝言を行います」と言われていました。

五番目の能が鬼畜物など祝言性を持たない演目であった場合に、一日の演能をめでたく舞いおさめる意味で、祝言の曲を追加して上演したのが「付祝言」のはじまりだそうです。そこから祝言曲の終曲部分だけを謡うようになってきたようですね。

能「高砂」の「千秋楽は民を撫で。万歳楽には命を延ぶ。相生の松風。颯々の声ぞ楽しむ。颯々の声ぞ楽しむ。」が特に有名ですが、今回もそれを厳かに謡われました。

幽玄の趣を持つ格調高い古典芸能を味わった三日目は、清々しい気持ちの中で終えることができました。最終日のバレエの様子については次回にでも。

おすすめの記事
新着記事