深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ローマ教皇の話に、孤独を救う宗教の役割と必要性を思う

ローマ法王あたらめローマ教皇が、38年ぶりの来日を果たしました。38年前はヨハネ・パウロ2世が教皇として初の来日をしましたが、それ以降、一度も来日されてなかったんだなと気がつきました。

日本はキリスト教信者が世界的に見ても非常に少ない国なので、そんな理由もあるのでしょうかね?

しかし、ローマ教皇の来日ともなると、カトリックの信者さんはもちろんですが、概ね日本の多くの人々も好意的な歓迎ムードになってましたね。お話を聞いていても、キリスト教の教義というよりも、普遍的な宗教性に根ざしたお話が多く、理想としては賛同できるもののように感じます。特に、社会的に弱い立場の人に寄り添う姿勢を強く感じましたが、やはりそれが、宗教が果たすべき大きな役割の一つだと、改めて感じます。

しかし、具体的に宗教が社会とどのように関わり、何をすれば良いのかとなると、よくわからない部分や、なかなか難しいところもありますが。

先日、世界オピニオン・リーダーズ・サミットでのスティーブン・ハーパー前カナダ首相の話では、冷戦終結により社会主義モデルの経済が終焉し、市場経済への移行によって格差拡大に繋がった国もあるが、約10億人の人々が貧困から脱却し中産階級になることができたという話がありました。

また、世界の貧困に関するデーターによると、国際貧困ラインは世界銀行の規準になりますが、極度な貧困層の数が1990年は18億9500万人(36%)で、2015年になると7億3600万人(10%)に減っていました。それを2030年までに3%まで減らし、全ての途上国で所得の下位40%の人々の所得拡大を促進するという目標を、世界銀行は掲げているそうです。

そのようなデーター見ると、この先も貧困は徐々に減り続け、幸せになる人がどんどん増えていくようにも思えます。しかし、ここで思い出すのが、1999年に、当時の世界銀行総裁であるジェームズ・D・ウォルフェンソン氏と、当時のカンタベリー大司教のロード・キャリー卿によって設立された、ワールド・フェース・デペロップメント・ダイアローグのことです。

当時の世界銀行総裁は、世界銀行が支援し貧困をなくすことはできても、それだけで人々は救われないと 言っていたそうです。人々を救うには、宗教が必要であることを切実に感じ、そこで、英国国教会の大司教と一緒に立ち上げたのが、世界宗教対話開発協会( WFDD )でした。

この機関は、宗派の壁を超えて、世界平和や社会に貢献しようとする宗際化運動の組織になります。様々な宗教が協力し、貧困に苦しむ人たちへの経済支援だけでは救えない部分や、さまざま課題を解決するために尽力しています。

そんな重要な機関ですが、世界銀行が直接支援することはできないそうで、創設者のお二人から、深見東州先生に、協力と支援の要請があったそうです。そこで支援を引き受けられ、深見東州先生は理事にも就任されています。

そのように世界銀行のトップが言うくらいですから、経済支援だけではなく、もっと宗教機関が、政府や国際機関と協力して課題に取り組むほうが、より、人々の幸せに繋がるであろうことは間違いないと感じます。

今年6月にG20大阪サミットに合わせ、深見東州先生が総裁を務められる世界開発協力機構(WSD )や世界宗教対話開発協会( WFDD )、G20インターフェース・フォーラム・アソシエーションらが共同開催し、列国議会同盟(IPU)と外務省が後援して開催されたG20世界宗教サミットも、そのような取り組みを国際的な視野から推進し、まとめていく重要なものでした。

世界から、様々な宗教の指導者や宗教機関、そして政治家も加えて、今日の世界が直面している様々な課題に対して、創造的な議論が行われました。フランシスコ・ローマ教皇は参加されていませんが、素晴らしいメッセージを託されました。

内容は多岐にわたり、日本にいては、到底知り得ないような情報も多く、そこで感じたのは、世界の複雑な問題は、宗教の協力がなくては解決しないものが多いということでした。

これは、細かい話になるのでうまく説明できませんが、日本人の宗教に対する理解からは、想像がつきにくいことかもしれません。

深見東州先生からお聞きした話では、ダボス会議においても、以前は経済界や政治家たちばかりで話し合いが行われていたそうです。経済を知るには政治を知らないといけませんが、しかし、9・11アメリカ同時多発テロ発生以降は、宗教のことも知らないと政治もわからないし、経済もわからないということで、宗教者も参加するようになったのだそうです。

政治家や経済人は宗教のことがよくわかりません。そして宗教者は、政治や経済のことがわかっていません。なので、各国政府や国際機関と、宗教に基づく機関の間には、長らく隔たりがあったそうです。しかし、それではいけないと、互いの対話や協力の欠如に目が向き始めてきたようです。

国連が掲げる、持続可能な開発目標の達成にも、宗教界の協力と知恵がなくては、うまく機能しないものが多くあると思われます。具体的に、どのように関わるのが良いのかは、日に日に明らかになっていくことでしょう。

それから今回のフランシスコ教皇のスピーチの中で、社会は表面的には発展していたとしても、内側は疲弊しているとの話がありました。多くの人が、本当の生きる力を失い、空っぽの人形のようになっていると。笑い方を忘れ、遊ぶことのない、不思議さも驚きも感じない。まるでゾンビのようだとも。それは、誰かと人生を祝い合うことができないからだと言うことです。誰かと祝いあうことができるなら幸せであるけど、多くの人が物質的には恵まれていても、例えようのないほどの孤独の奴隷になっていると話されていたそうです。

最悪な貧困とは孤独であり、愛されていないことであり、その精神的な貧困に立ち向かうための様々なメッセージを日本人に残していかれました。マザーテレサも、「都会の孤独」をどう救うのかが、これからの宗教の課題としていました。

日本の場合、統計によると、孤独感を感じる人が欧米に比べてとても多いという結果が出ていますから、これは人ごとではありませんね。

欧米にしても、キリスト教の教えが根付いていますし、イスラム諸国でも、仏教国でも、宗教の教えの中には、必ず普遍的な神仏の愛や人々への慈悲の大切さ、死に対する教えが出てきますから、そんな教えを受けているだけでも、かなり違うのかもしれません。

孤独感を感じる人が欧米に比べて多いのは、日本には宗教というものの教育がないからだと、深見東州先生は喝破されていました。宗教的なバックボーンがあると孤独を感じにくいし、孤独であっても、救いの道があると言われていました。

今回のローマ教皇の来日は、様々なメッセージを日本国民と世界に残しました。それで具体的に何かが変わるのかどうかはわかりません。それでも宗派を超え、信仰のあるなしを超えて、宗教の持つ普遍的な価値感と役割を感じた人も、かなりいたのではないかと思います。

移民のことや、原発のことなど、政治的に複雑な問題に対してもメッセージを残していかれましたが、現実との折り合いがあるため、必ずしも宗教家がいうほど現実は甘くないと思います。しかし、宗教にしかできない役割、宗教が関与していくべきものはいくつもあるので、そこに目を向けていくべきでしょう。

日本は、世界の中で比べれば、極端な貧困は少ないかもしれません。しかし、困難や苦しみ、孤独を感じている人はたくさんいます。ワールドメイト会員として、何ができるのかを、考えさせられた今回のローマ教皇の来日でもありました。

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