深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトで、ご神徳を授かるための法則を身につける

私がワールドメイトを素晴らしいところだと思った理由の一つは、初めて深見東州先生のお話をまじかで聞く機会があった時のことでした。ある程度著作などは読んでましたので、それなりの人物像は持っていたのですが、全く予想以上のものでした。具体的な内容は個人的なことになるので書けませんが、問題や相手の中身の本質を一瞬で見抜かれる能力に驚嘆しました。そして極めて良識的に、公平に、しかも誰も思いつかないような大胆な方法も交えて解決していかれるのを目のあたりにしました。

もう20年以上前の話なので、今入会する人は、そういう直の体験はできないかもしれません。深見東州先生もやらなくてはならない公職があまりに多いので、仕方がないことかと思います。昔入会したワールドメイト会員だけの貴重な体験だったと言えるでしょう。今は人が増え、時間も限られる中で、そういう直の体験は何らかのお役を持つ人に絞らざるをえないようです。もちろん普通にワールドメイトに入会するだけで、ご神徳という素晴らしい体験ができますので、その方がむしろありがたいことかもしれません。それだけでも十分ではないかと思います。

ご神徳の出方も、様々なイメージでパンフレットなどに書かれてあり、イメージしやすく、実際にそのようになっていきやすいと思います。身勝手な願いは思い通りにならないかもしれませんが、ほぼ全員に素晴らしいご神徳が感じられるのは、ワールドメイトの大きな特色でしょう。なかにはご神徳がたくさん出てるのに、自然の成り行きでそうなったと思う人もいますが、本来神様は自然のうちに守り、良い方に導かれることが多いので、それでいいと思います。奇跡とか、100%偶然とは思えないはっきりしたご神徳となって出ることもありますが、本当の神様は、あまりこれ見よがしなことをされるのは本意ではないように思います。人間の社会は人が主体ですから、神様も仏様もでしゃばったり、存在を誇示することはされないでしょう。わからないように守護をされるのが普通だと思います。

 

とは言っても、私も何度か、他人から見ても奇跡だと言われたほどの神徳をいただいてきました。そして、はたから見るとわからなくても、自分でははっきりと神仏の証だと思える体験も頻繁にあります。それは自分で具体的に祈った内容に対する答えだったりするので、疑いようがないものです。逆に言うと具体的にしっかり祈れるようにならないと、体験できないことかもしれません。

祈りに関しては何段階ものレベルがあり、奥深いことこの上ないと感じています。一番最低のレベルは、祈っても何も変わらないから祈らないという人でしょうか。一般的に言って、これが一番世間で多いかもしれません。もう少しマシになると、自分が願ったことはやがて叶うという人もいます。それでも、それは単にその人の運が初めから強いのか、あるいは念力が強いだけかもしれません。なので、本当の祈りには程遠いようです。私もワールドメイトに入会するまでは、そんなタイプだったかもしれません。そういう人は特別に信仰を持たなくても、社会において、そこそこの実績や成功を掴む人も多いと思います。勝ち組みとか言われるような人たちも、この部類の人が多いのではないかと私は思っています。しかし、もっと突き抜けた成功や、大きな業績を残す人物になってくると、もっと別な要素が必要になるように思います。

それはさておき、ワールドメイトに入会して知った祈りというのは、もっと重要なことをたくさん教えてくれるものでした。一言では言えないので、それはまたの機会に書いてみます。話がだいぶ横道に逸れてしまいましたが、ワールドメイトに入会してすばらしいことろだと思った理由の一つとして、まず深見先生の神わざのような問題解決能力に驚嘆したことがあったわけです。

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脱線ついでに言うと、ワールドメイトの神事や祈祷に参加しても神徳を感じられなかったという人がいても、まずは残念に思ったり焦ることはないと思います。人によっては、そういうケースもあるでしょう、何にでも絶対というのはないですから。ただ、おそらく何らかの形では神徳を授かっていると思います。神徳がプラスになって現れる前に、マイナス要素を無くしていく方向で現れる場合は、本人も気づかない場合が多いかもしれません。例えば大きな事故に巻き込まれるところだったけど、軽い怪我だけをしたなんて場合は、普通の感覚ではそれを証だとは思わないでしょう。ある程度の体験と、神徳の現れ方のパターンを学んだりしていると、そういうケースでも証だとわかるようになるでしょうけど、一般的にはわかりにくいかと思います。神徳の出方は人によって様々に違うわけで、神様に祈るだけ祈ったらあとは神様に任せて焦らずにやるしかありません。そんな時でもマイナス要素を小さくする方面においては、神徳が出ていると思います。

 

それからワールドメイトで言われていることですが、神事も祈祷も対価の対象ではありません。ここが案外重要なんですが、忘れてしまう人もいるようです。神様にお玉串を捧げるという行為は、何かのサービスを受けるための対価とは違います。神徳をサービス業の対象となるサービスだと思う人はまさかいないでしょう。しかし、これを見忘れがちになる時があります。いつの間にかそういう気持ちで受けている時に限って神徳を感じにくいのは、そこの勘違いを正されているからでしょう。それに気がついて祈り直すと、すぐに証を感じることがあったのを覚えています。そこは基本なので、いつもそこを正されるのだろうと思います。神様にすれば当然のことだといえるでしょう。そうでなければ、神徳という名のサービスを、神様が人間に販売する商売になってしまいます。神様は人と取引はなさらないので、寄付お玉串をサービスを受ける対価のように思って奉納するような人には、正しく神徳を授けることができないのでしょう。

神様はお玉串という神仏への寄付に込められた思いを見て、その人の誠の度合いがわかるわけですから、それに応じた神徳を授けられるとワールドメイトで聞いています。昔でしたらお玉串の代わりにお米とか野菜を捧げていたのでしょうけど、それでは神社の人も不便なので現金というお玉串になったのでしょう。それは必ずしも多ければ良いわけではなく、額よりは、それまでの精進や心がけや善行などを見てあるようです。それを補うものとして、お玉串も物施の徳分にしてくださっているのだと思います。

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