深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトは人を幸せにする道がある

信仰を持つ人は、神様の守護も篤くなるのでしょうか、人生が変わる人がかなりいると思います。

とはいえ、全ての宗教がそうなるかどうかは僕にはわかりません。宗教団体も、正しく信仰を教えて、しっかりと社会に貢献しているところもありますが、そうではなく、違う方向に行ってしまう団体もあるように思います。

なので正しい宗教活動を行い、信仰を正しく育める宗教であるならば、おおむねその信者の人たちも幸せになれる気がします。

おおむねという、あまり自信がない言い方をしているのは、その教団や宗教を守る神様がいくら素晴らしくても、教団は人間が運営するものです。ゆえに、そこに完璧なものを求めることはできないと思うからです。

そのため、ちょっとした運営のまずさや、内部の人間関係などが嫌になり、信仰を離れてしまう人もいるんですね。いくら神様が素晴らしいからと言っても、組織になると、自分が思っているようなものとは違うことも出てきます。

それ以前に、本人の心がけや考え方が成熟していない場合もありますから、神様の素晴らしさとは違う部分で、信仰が続かなくなることがあるわけですね。ただそれらは、教育や改善によって、ある程度は修正できるし、矯正できるように思います。

しかし熱心に正しく信仰していたつもりなのに、何か不幸なことが起きたりした場合、あるいは、だんだん人生の営みが悪い方向に向かっているように見えると、本人はともかく、その周りの人たちが、その宗教に対して疑問を持つことがあります。

僕の親戚はかなり多いのですが、その中にはキリスト教徒、仏教徒、あるいは新興宗教の信者もいました。日本はいろんな宗教を信じているんだなと、小学生の頃に思っていました。

ただ宗教を信じているから、何か良いことがあるようには見えませんでした。それでも教えを熱心に信じるのは、何か納得できることがあるんだろうくらいに思ってました。

親戚の中には家族全員がある宗教の信者なのに、家が火事になって、そこの宗教の神様は守ってくれないのかなと、素朴な疑問を持ったこともありました。

そんな僕が、宗教団体に入信するとは、その頃は思ってもみませんでしたけどね。意外にあっさりと入信しました(笑い)。

それはよいとして、今、僕が入信したワールドメイトでは、九頭龍師という特別な祈り方を会得できる機会があります。九頭龍師が真剣に祈ると、たとえば重い病気や重篤な症状が改善に向かったり、あるいは一気に良くなってしまうことも多々あります。病気以外にも、さまざまなトラブル解決の祈りを行ってきましたが、奇跡が起きる体験を知らなかった僕にとっては、かなり衝撃的なことでした。

今日は九頭龍師の証について書く予定ではないので、それはまたの機会にしますが、九頭龍師は、箱根の九頭龍大神の守護を受けています。そんな神様の守護を受けている人でも、災いがその人に起きることはあります。昔、九頭龍大神の守護があるのになんでこんなことが起きるのだろうと、疑問に思うワールドメイト会員がいたこともありましたね。

昔、私が親戚を見て思ったこととよく似ていますね。しかしワールドメイトの場合は、そんな九頭龍師が特別なご祈願をすると、対象者の病気やトラブルが好転し、難しそうな結婚が決まったり、困難と思っていた子供が授かったりしています。100%ではありませんが、間違いなく偶然とは思えない確率でそうなってきました。

なので神様の守護があるのは間違いありませんし、微塵も疑ったことはありません。それならなぜ災いが起きるのかと思う人もいると思いますが、少々短絡的な考えだと言えます。個別に本人に起きる災いや不幸というものは、神様のご守護の次元とは別な次元で起きるものだからです。

それを不昧因果とか、前世の宿業などとも言いますが、神様の守護があっても、どうしても避けられないものがこの世にはあります。それがこの世の法則だと言えます。その法則を作ったのも神様でしょうけど、それゆえに曲げるわけにもいきません。一般的には因果律、因果応報と呼ばれるものであり、それで説明できますね。

とはいえ信仰による守護が厚い人になると、災いの何割かは無くしてもらっていると思います。それでも災いの元を全てなくすことは、やはり無理なのですね。

今、書いているのは、宗教によっても考え方は違うと思いますが、どの宗教を信じていても、必ず起きてくることですね。

ならば、宗教を信じても何も良いことはないのではないか、何も変わらないのであれば、信じる意味はあるのかと思う人も出てくるでしょう。

先ほど不昧因果ということを書きました。この本当の意味は、善因善果、悪因悪果の天地の法則は、いくら神様を信仰していても、それで悪業が無くなるということはありません。それで不幸な境遇になり、災いが起きるのであれば、それを甘んじて受けるけれども、それによって心を曇らすことはなく、明るく好好として生きていくという、悟りの境地を言うそうです。

みんなが信仰を持って、一生ハッピーなまま生きていければいいですが、なかなかそうはいきません。中には、いくら努力しても避けられない災いや不幸が起きる人もたくさんいると思います。それでも絶望したり、希望や夢を無くすことなく、幸せに生きていけるように導くのが、宗教の役割の一つだと思います。それで実際に幸せにならないといけませんが、そのために宗教の果たせる役割というのは、かなりあると思います。

もちろん、宗教だけがそうなのではなく、障害者スポーツを通して、絶望の中から光明を見出した人たちがたくさんいることも知っています。また音楽やアート、社会活動を通して、生きがいを見い出し、家族や周りの人々の助けもあって救われた人たちもたくさんいますよね。

ですので深見東州先生も、宗教だけではなく、スポーツや芸術で救われる人もいるということで、さまざまな支援をされてきました。それは、目前の貧困や病で苦しむ人々を直接救済する活動から、スポーツや芸術を志す人たちをサポートする活動まで、とても幅広いものです。詳しくは、このサイトでも随所に紹介していますので関心がある方はご覧ください。

実はワールドメイトでは、不昧因果についても深く掘り下げて学ぶことができます。それを糧にして明るく前向きに、積極的に精進できるようになった人がたくさんいます。その過程で人格も陶冶されたり、能力も磨かれていきます。

それが結果的には、早く徳が積めてカルマの刈り取りにもなっています。そのために、ワールドメイトで正しく活動するうちに、いつの間にか運勢が、ずいぶん向上していることに気がつきますね。

何もせずにそうなるわけではありませんが、そうなるための道や教えが、ワールドメイトにはあるわけですね。いろいろあったとしても、ワールドメイトに入会すると幸せになると、僕が確信する所以もそこにあります。

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