深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイト正月神業で改めて感じたこと

ワールドメイトの正月神業が一段落し、今年はオンラインでの参加ですが、ワールドメイトに出会えたことがしみじみありがたいことだと思えた正月神業でした。

ワールドメイトでは、毎年正月にその年に関する事柄や、実生活に役立つような教えが示されます。今年も魂に強く響くような内容でした。ワールドメイトはますます素晴らしくなっていると感じます。

世の中には素晴らしい人物がたくさんいますが、そんな人たちのさらに上をいくような考え方や、誰も気がつかない世の中の法則性などを、具体的に示されました。そのような時は、ワールドメイトには神がいると実感する瞬間でもあります。

ただし、いくら素晴らしい教えを聞いたとしても、それを体験し活用できないと、宝の持ち腐れになりますが。基本的にはワールドメイト会員の進歩向上に合わせて、年々新たな内容が示されているのだろうと思っています。

深見東州先生は神様の教えをワールドメイト会員のために取り継がれますが、それは深見東州先生が、すでにそのことを深く咀嚼し、体得されているからこそ、我々に分かりやすい形で示せるのだろうと思います。

そのことだけでも、深見東州先生が高い次元の神人合一した人物であることがわかります。ふだんは、フレンドリーに会員に接されるため、ついそのことを忘れがちになるのですが。

ところでワールドメイトは神道系ですので、八百万の神々がいるわけです。神々にはそれぞれ次元や働きの違いがあると言われていて、ゆえに示される内容も、その神々により必ずしも同じではありません。企業でも会長と社長の見解が異なる場合もあるように、あるいは部長、課長、係長などは立場の違いにより、捉え方が違うことはよくあることですが、それと似てますね。

ゆえに最初に示された内容が、後に変わることもあります。より良い形に、新たなより深い内容に変わっていくことも多々あります。それこそが正しい神様のお取り次ぎをされていることの証明でもあると言えます。

神々のことを人知で考える人は、おそらく神様のことを永遠に理解できないばかりか、せっかくワールドメイトに来ても、役に立つ多くを学ぶことができない可能性もあります。まずは拙い自分自身のちっぽけな常識や考えに捉われない己に変わることが必要でしょう。

その上で、信仰をベースに神仏とともに考えるようになっていくことで、ワールドメイトでいろいろな良いものを吸収できるようになるのだろうと思います。

学校の勉強がよくできる人は、正解という解答があるものに対しては、的確に判断し対応するのが早いと思います。しかし世の中に出ると、必ずしも正解があるものばかりではありません。少なくともすぐに正解がわからないものがとても多いです。そうなると、勉強ができるだけではなく、体験を積んで、どうすればより良くなるのか、そんな生活の知恵をたくさん身につけなければ、実社会ではあまり役に立たないでしょう。

日本は学歴社会といわれていますが、本当は社会に出ると学歴は関係なく、本人の実力で大活躍する人がたくさんいますからね。そんな人はいろんな体験を通じて、からだが覚えているから、社会における人間関係の機微を掴んだり、交渉をまとめたり、トラブルを解決するための対応などが上手くできるのでしょう。

ワールドメイトでは、生活の知恵こそが神の知恵だと言われています。優秀な大学を成績優秀で出ていても、生活の知恵がないと、実際の世の中では的外れで、期待外れだなと思われるかもしれません。しかし勉強も優秀で、生活の知恵も豊富な人がいればそれが最高だと言えます。

長年教育産業に携わって来られた深見東州先生によると、学校の成績が優秀な人の長所としては、まず手際よく活字に書ける要約力、ある程度の読解力があることだと言われています。また優秀な大学に行くには、合格ラインに達するまで勉強しなくてはなりませんから、相当な意思力もあるそうです。

大学に入れば、専門書を読むだけの読解力も鍛えられますし、また、論述形式の試験で、制限時間内に言いたいことをまとめる要約力も身につきます。そしてさまざまな学生がきますから、自分の意見以外にも、さまざまな考え方があることを知り、独りよがりな考えに陥らないで済むようになると言われていました。たくさんの良い点があるわけで、それだけでも立派に活躍できる企業も多いかと思います。

しかし日本の学校の勉強は、制限時間内に相手が言わんとすることを理解し、相手が望むような答えを書ける人が優秀な成績を取ります。ところが社会に出るといつも問題が与えられるとは限りませんから、そうなると、どうやって良いかわからず、指示がないと動けない人も多いと言われています。状況判断ができない、気が利かないとも言えるでしょう。頭の中では、どうしようかと考えますが、体験が乏しいため、体がついてゆかないのでしょう。

また、社会においては、正解がないということも多いです。正解がないものに出くわすと、どう議論を進めて、より良いものにしていけるのかが上手くできないため、お手上げになるかもしれません。

深見東州先生は大学を卒業した後に、生活修行ということで、掃除、洗濯、整理整頓から始まり、さまざまな雑用をこなされてきたそうです。頭で考えるのではなく、自然と体が動くようになるまで、実践されてきたのでしょう。ただ動けば良いのではなく、それがツボにはまらなければいけません。

整理整頓と言っても、見やすく、取り出しやすく、スペースを有効に使えているかとか。料理を作るのであれば、美味しく作れて、手際よく、片付けもすばやく、出す順番も考えなくてはいけません。洗濯も夜すると乾きにくいので、昼間の方が良いに決まってます。一見、当たり前のことですが、雑用をすると、頓珍漢で勝手が悪いことばかりする人も見かけます。そういうことは体験して、体でより良いもの、良いやり方を覚えていくしかありませんからね。美味しいレシピを聞いても、それだけでは料理をうまく作れるとは限りませんから。

神様の道も同じです。やはり体験し、体得するしかないと言われています。本を読んで神様っているんだろうなと思っても、それで本当の神様がわかるはずがありません。観念で神様の存在を信じているだけです。頭で考えるのではなく、実在の神様を掌握し、神様を行じることが、ワールドメイトのテーマの一つですが、そうやって体験し体得しなくては、神様のことなどわかるはずがないでしょう。

良い話を聞いてわかった気になっても、実際に神様を動かし、それで自分自身が変わり、周りが変わり、良い方向にいかなければ、ただ頭で理解した気になっているだけだと言えます。

人が変わるというのは、たとえば人前で話せなかった人が、堂々と話せて、しかも聞く人を感動させる話ができたとか。全く気が利かなかった人が、気が利くようになるとか。掃除が苦手だった人が、率先して、手際よく掃除できるようになるとか。いきなり仕事ができない平社員が、社長のようにバリバリ仕事ができるようにならなくても、そんなことからで良いと思います。

最初は小さなことでも、生活の中における知恵が身に付くことは、その分だけ、神様の叡智をもらっていると言えますから。

そのような体験を積み重ねて良いものを体得していかないと、ともすると頭で考えてしまうことになり、何か一つでも疑問が湧いてくると、それからそれへと抑えきれなくなる場合もあるようです。そうなると、一つのことから始まり、最後には神様の全てを否定してしまうことに繋がりかねません。 何でも陰謀のせいに思えてしまう、陰謀論にハマりやすい人などもそんな人なのかもしれません。もともとの頭は賢いのに、体験からくる体得したものが足りないために、そうなってしまうのかもしれません。

体験し体得していくと、一つや二つの疑問が生じても、その程度では本質を見失うことはなく、そのうち疑問も解決していくことでしょう。信仰がずっと続くため、結果として人生が豊かに大きく変わっていくことになります。

ワールドメイトに入会すると、本当に人生観、生き様がガラッと変わり、入会する前に比べて別人のように素晴らしくなる人がいます。そうならなければ、実在の神様を掌握し、神様を行じると言っても、神様の道を実践しているとは言えないのかもしれません。一生涯かけて取り組んでいく価値があるのが、ワールドメイトの活動だと、今年の正月に改めて思った次第です。

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