深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
信仰を持たないよりも、持つ方がよいと思った体験を書きます

世界も日本も新型コロナの感染状況には、なかなか収束の気配が見えません。そんな中、ヨーロッパではキリスト教信者が少し増えているとか。そんな話もあるようです。しかし、ヨーロッパはもともとキリスト教信者がほとんどではなかったのか、という疑問を持つ人もいますよね。

宗教離れが進む欧米

ここ十数年、ヨーロッパにおけるキリスト教離れのニュースが、かなり目に入るようになっていました。日本ほどではありませんが、ヨーロッパで無宗教と答える人の割合が、どんどん大きくなっているようです。50年前だと欧米において、私は無宗教だと答えると変な人だと思われたかもしれませんが、そのような時代は過ぎ去ってしまったのでしょうか。無宗教であることを誇りにする進歩的と言われる文化人も出てくるほどだそうです。

キリスト教徒が減っているのに対し、仕事を求めてヨーロッパに来る人々にはイスラム教徒が多く、改宗したり信仰を捨てる人も少ないので、逆にイスラム教徒は増えているとのことです。

ヨーロッパだけではなく、米国でも無宗教と答える人の割合が4分1になると言われるほど宗教離れが深刻のようです。ただ米国は宗教国家と言われるほど、キリスト教があらゆる文化や生活に染み込んでいるだけではなく、熱烈に信仰する人々も非常に多く、大統領選挙を左右するほどですから、ヨーロッパとはかなり事情が違うようです。

ヨーロッパ、中でもキリスト教離れが進んでいると言われるフランスなどで、もし下げ止まりの傾向が本当にあるのでしたら、その理由としては疫病の流行からくる不安などが、信仰に戻るきっかけになっているのでしょうか。信仰に関する調査というのは、実態を正確に表さないことが多いので、実際のところ、もう少し後にならないとわからないかもしれません。

日本人には宗教心はある?

ところで日本人は、アンケートでは私は無宗教と答える人が、世界で最も多い国の一つと言えます。ただし日本文化の慣習かもしれませんが、初詣に行ったり、お坊さんを呼んでお葬式をするなどの宗教的な行事は根強く残っています。

また、特別な宗教・宗派には属さないものの、神仏や先祖霊の存在は信じている、あるいはなんとなく信じているという人は、潜在的にはかなりいるのではないかと思います。実は日本人の多くは、少なくとも宗教心は持っているのではと、私は感じています。

もちろん、なんとなく神仏や先祖を敬う気持ちがあり、宗教的な慣習を否定しないだけでは、信仰心があるとは言えないでしょうね。私もワールドメイトに出会い、深見東州先生の話を聞くまでは、宗教心はあったかもしれませんが、信仰心は全くなかったと思います。

ワールドメイトで信仰心が育まれた

私が信仰に目覚め始めたのは、深見東州先生の祈りに関する話を聞き、それを実践し始めてからでした。ワールドメイトに入会すると、初めに「神法悟得会入門篇」という祈りの方法を学ぶことを薦められます。ほとんどのワールドメイト会員は、半日もかからない、その研修を受けていると思います。

祈りによって、本当に神様がいることを実感できる、体験できると言えば、何やら怪しく聞こえるかもしれませんが、多くの人がこの神法を受講した直後から、神様を実感する証をもらっています。中にはすぐには実践できない人もいるようですが、正しく実践できるようになると、間違いなく証をいただくと思います。

この「神法悟得会入門篇」は、どんな時においても忘れてはいけない根幹という意味で、祈りにおける最も重要な教えではありますが、それを知るだけで信仰心ができたと言えるわけではありません。祈ることで少しばかり証を体験しても、信仰の入り口の前に立ったに過ぎないと思います。そこからが本番だと言えますね。

ワールドメイトに入会すると、ホップ・ステップ・ジャンプの祈り、誠の五段活用、堅誠恒、魂ふりなど、聞かなければ自分ではわからなかったこの世の真実、法則、祈り方を習い、いくつもの体験を経ていきます。どれも、一生かけて取り組む内容だと言えますが、本人の自主性に任されているため、あとは本人がどこまでしっかり取り組むかにかかっていると言えます。

もしも深見東州先生のような、神人合一と言われるレベルを目指す人でしたら、自力の中に他力あり、他力の中に自力ありというレベルになるために、途方もない濃い努力の継続が必要になるでしょうね。

何もしなければ別ですが、ワールドメイトで、そのようなさまざまな教えを聞き実践していくにつれ、私の場合は信仰心が育まれてきたと思っています。それは、やはり神様というものを、心の底から実感できる体験がいくつもいくつもあったこと、日常において、それがあたり前のようになってきたことが大きいと思います。

目には見えず、言葉も聞こえないのに、なぜ実感できるのかと言われそうですが、それは祈ったことに対して、正確に答えてくれるようになるからです。良いものはよい、悪いものは悪い、そのどちらにも当てはまらないケースなど、さまざまな答えが、さまざまな形で返って来るのですが、祈りというものへの観念が根本から覆る人が多いと思います。

正しいやり方で、継続して祈れば、必ずや神様からの答えが得られるというのが、ワールドメイト会員の多くが体験していることです。私の場合はそのような体験無しには、信仰心も育たなかっただろうと思っています。

ここで信仰について、誤解する人がいるといけませんので念のために書きますが、別に運をよくしたいためにするものではなく、救われたいからするものでもありません。では、なんのために信仰するかというと、それが本来の人としての生き方だからだと思います。とは言え、あまり難しく考えず、救いを求めて信仰に入っても良いと思います。そこから深い信仰につながっていく人も多いと思いますから。

宗教に課題はあれど、それでも信仰から得るものは大きい

神仏を信仰しても、自分が信じる神や宗教が最高だということで、それ以外の相手を尊重しなくなるのは、愚かなことだと言えます。そんなことは、おそらく多くの宗祖たちの本意ではないと思います。将来、そのような間違いはなくなる方向に行くと思いますし、異なる宗教間の交流や理解を深める努力が、近年されるようになってきました。

ワールドメイトの深見東州先生も、宗派を超えて、さまざまな宗際化活動にこれまで尽力されてきましたが、今後はますます、そのような活動が増えると思っています。個人的には日本人のように、神道をベースに仏教や儒教を受け入れてきた歴史があり、現代ではキリスト教やイスラム教に対しても、敬意を持って寛容に接するような、そんなあり方はよいと思いますけどね。

ここで、最初に書いた話に戻りますが、欧米で無宗教の人々が増えている背景として、現代では病気をすれば、高度な医療を受けることができます。ビジネスで成功すれば、望むような幸福を手に入れることも可能です。また科学の進化が、人類の進歩と豊かさに大きく貢献していますよね。楽しい娯楽も増えました。その結果として、宗教に頼らなくなる人が先進国では増えているのだろうという人もいます。

そうなのかもしれませんが、その反面、文明の発達の陰で、心の問題は逆に複雑になり、多様な悩みが多い時代になってきましたよね。鬱になる人が増えているのもそれを反映しているように思います。都会の孤独など、昔はあまりなかったような深刻な問題も新たに起きています。これからも色々な問題や課題が出てくるでしょうが、政府や国が、あるいは医療や福祉事業が、それらの問題に素早く取り組み解決するのはなかなか難しいことでしょう。

ということは、自分自身の問題は、ある程度自分で解決できるようにならないと、この先の時代にしっかりと生きていくのが辛くなる人が、ますます大勢出てくるでしょうね。

日本では、宗教に頼るのは弱い人間だとか、そのような考えを持つ人も多いですね。私も両親からそのように言われたことがありました。自分自身で、力強く生きていけない人間が神への信仰に頼るのだと。

そのような見方は、宗教に対する偏見だと思います。しかし、そのように見えてしまう一面が宗教にあるのも事実かもしれません。今の社会に上手く適応できない人たちも、世の中にはたくさんいますからね。そんな人たちを救い、最終的に自分のことは自分で解決できるようにすることも、宗教の大事な役割だと思っています。神様を実感し、信仰心を確立していく中で、そのようなさまざまな悩みも、いつも間にか解決する人が多いと思います。

そのような、本物の信仰を持てるようになるためにも、やはり何らかの宗教に属した方が良いと思っています。もしその宗教が肌に合わなければ、別な宗派や宗教に改宗しても良いと思います。一人で信仰していると、やはり世間に流されてしまうでしょうし、独りよがりになる可能性があると思いますので。

何らかの宗教に属すると、時間はある程度とられるかもしれませんが、普通に生きていたら得られなかったものを得ることができます。何かを得ようと思えば、何かを捨てるしかありませんが、本当の信仰から得られるものは、信仰が無い時に比べ、はるかに素晴らしくて大きいものが得られると思います。ワールドメイトに関して言えば、他力というものを、その人のレベルに応じて活かせるようになることが、素晴らしい宝物だと言えますね。そして何より、いつも明るく元気に逞しく生きていけるようになると思います。

とはいえ宗教に属することで束縛されたり、時間を取られるのが嫌だという人は、やはり多いと思いますね。欧米の若い人たちのキリスト教ばなれの理由の一つでもあるようですから。若い人たちが、普通に楽しく世俗的な中で生活していると、信仰がわからなくなったり、馬鹿馬鹿しく思えたりするのも理解できます。私も10代、20代前半はそんな感覚だったと思いますので。

それに宗教といっても、人が大勢集まりますので、そこには組織が抱える矛盾なども出てくると思います。過ちや間違いを犯す人もいるでしょうし、変わった人もいますし、人間関係もいろいろあるでしょうからね。また宗教組織によっては、排他的になるところもあるようですし、それらが理由で信仰を止めてしまう人も多いとのことです。

そして、時間が経つとどんな良い教えでも形骸化しやすいのか、宗教によっては、今の世の中に合わなくなっているものもあるでしょう。柔軟に、生きた教えにして伝えることができる人が近くにいると、まったく違うのでしょうけどね。その点でいくと、ワールドメイトは深見東州先生から、今すぐに活かせる生きた教えを直に学べるので、とてもありがたいです。また教義に縛られない、今を幸せにするための教えなので、偏よらず、社会に柔軟に適応できますけどね。

しかしそのように、素直に信仰できなくなる要素は、昔よりも今の方が多くなっているのかもしれませんね。信仰を持つということは、本当はそういう問題ではないことを理解するためには、古典や歴史などから学んだ学問の力や教養も必要になるのかもしれません。また、別な機会に続きを書きたいと思います。

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