深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
博愛の精神と神道的な精神

デルタ株の流行が収まらないうちに、欧米はオミクロン株が大流行しています。アジアでは、少し遅れてこれから大流行するのではないかと言われています。

ただこれまでの、肺に入って重症化する変異株とは違って、今のところ死者も重傷者も少ないということですが。

とはいえ、欧米ではあまりの感染者数の増加によって、エッセンシャルワーカーが多数感染し、医療や交通、物流など、社会のインフラに大きな支障が出てきているようです。

日本では、まだそこまではありませんが、そうならないうちに収束してほしいところです。同時に海外の流行もおさまらなければ意味がありませんので、ワールドメイトでもそのことも念頭においています。

それにしてもメディアの報道を見ていると、去年の終盤、英国も米国も、オミクロン株が大流行する前、まだデルタ株は流行していましたが、ほとんど誰もマスクをしていませんでした。

一方日本では8月後半、ちょうどワールドメイトの神事が終わった直後からでしたが急速に収束し、10月には流行が終わったのではと思うほど落ち着いていました。

しかしそんな状況でも、日本では街中やオフィスでマスクをしない人を見かけることは、ほとんどありませんでした。この違いはなんなのだろうと、それまでも思っていましたが、欧米人と日本人の思考の違い、行動の違いを決定的に思い知らされた気がしました。

さすがに、いい加減にマスクくらいしろよと言いたくなりましたけどね。

英国在住の谷本真由美さんが書いた「世界のニュースを日本人は何も知らない」シリーズを読むと、メディアではほとんど報道されない、コロナ禍における欧米各国の実態がかなりリアルに描かれていてます。興味深く、なるほどなと納得する部分が多いです。

欧米のことを酷く書きすぎかなと思える部分もありますが、日本人が持っていると思える素晴らしい特性にも気がつかせてくれました。

アジア系の人々は、欧米の人々に比べ、個々人のコロナ対策はしっかりしていると思います。さらに日本の場合、法律上の問題もあるからですが、厳しいロックダウンを行うことなく、なんとか収まってきました。

コロナにまつわる暴行や買い占め、わがままで身勝手な行為なども、海外に比較すると少なかったと思います。マナーやルールを守り、秩序が保たれていたように思います。

感染症に対する医療体制においては、デジタル化の整備の遅れによる効率の悪さも含めて、今回、色々な問題が浮き彫りになり、政府の対策も後手後手になることが多かったですけどね。

それらの足りなかった課題は、今後、整理し整備してくれれば良いと思っています。

それで、まだコロナの終息は見通せませんが、この2年間を通じて、ポストコロナの時代は日本が果たす役割、日本の存在感が大きくなるだろうと、自然に思えるようになりました。

この間、世界の国々や人々が、かなり荒れていることをたびたび感じる機会が多くありました。日本でも困窮し疲れきってしまっている人たちがたくさんいますが、海外の状況は、先進国でさえ日本よりもかなり酷い状況のように思います。

僕は日本は特殊だという選民思想の持ち主ではありませんが、日本は何かが違うのかなと、漠然と思いはじめた人も増えているのではないでしょうか。

メディアの報道では、日本の経済力の伸びが相対的に低いことや、男女間の格差のことなど、日本の地位低下を感じさせるニュースが目立ちます。それも事実でしょうけど、一面だけを捉えて報道することが多いので、鵜呑みにして悲観することはないと思います。

長くなるので具体的には書きませんが、よくよく調べてみると、さまざまな格差の面においても、日本はまだマシだなと思いました。かなりの裕福な家庭でなければ、まともな教育を受けることができないなんてことは、日本ではそこまで酷くはないと思います。欧米では格差の固定化について、強く警鐘を鳴らす専門家も出てきました。

人権問題についても、欧米に比べて日本は遅れているという報道も見かけますね。確かに人権に関しては、欧米人は敏感に反応しますからね。中国政府のウィグル人弾圧など、決して許される行為ではありません。ただ米国政府は中国包囲という政治的思惑で批判しているようにも写りますが。

谷本真由美さんによると、欧州のボランティア活動や人権擁護は、社会に貢献しているふりをすれば、自分のイメージが良くなるから行っているということです。その一面があるのも事実だと思いますが、キリスト教の博愛精神からきていることも間違いありません。

深見東州先生が一緒に仕事をされているハンダ・ファウンデーションのディレクターも、そのような人たちでした。また、深見東州先生がカンボジアで無料救急病院を開設するとき、医療活動に携わった欧米の医療従事者も、まさにそのような人たちでした。自由で豊かな生活を捨てる覚悟がなくては、到底できないような利他的な活動をされているからです。

深見東州先生は、そのような献身的な社会活動をする人々からの信頼も厚く、長年一緒に活動をされてきました。ご自身のやりたいことを全て投げ打って、さまざまな活動に取り組んで来られました。

今や、あまりに多くの分野で世界的に活躍されているためか、日本では趣味や名誉のために行っていると勘違いする人もいるようですが、それは全くの間違いですね。相手も良し、我も良しという共存共栄であり、利他愛に徹しながらも現実的に継続していける神道的な信仰心が根底にあるのだと思います。

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