深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
国際スポーツ振興協会(ISPS HANDA)設立15周年を経て

谷原秀人プロ、2021三井住友VISA太平洋マスターズ優勝

今年、深見東州先生が設立した国際スポーツ振興協会は15周年を迎えました。その記念すべき年に、国際スポーツ振興協会所属の谷原秀人プロが、国内男子ツアーで15回目の優勝を果たしました。

男の大厄と言われる42歳での優勝ですね。厄年には、いろいろと悪いことが起きると一般的に信じられていますが、それまでに苦労したり、努力をしてきた人には、かえって良い年になるようですね。谷原秀人選手は、2019年まで3年間ほど欧州ツアーをメインに、世界中で戦ってきました。40代目前にして「もっともっとゴルフが上手くなりたい」というその一心だけで、欧州ツアーに参戦していたそうです。

半田晴久ISPS会長(深見東州先生)によると、その精神は大谷翔平やイチロー、藤井聡太と同じ志であり、偉業を遂げる選手に共通したものだと言われていました。20代から30歳くらいの選手たちが俄然上位を占めるようになった国内男子ゴルフ界において、これからも大いに気を吐いて活躍されることを願っています。

国際スポーツ振興協会ができる前年からプロゴルフの支援

今から15年前というと2006年になりますが、その前の年の2005年ごろから、深見東州先生は日本のゴルフ界で大きく知られることになったと思います。

なぜなら、本格的にプロゴルフ界への支援を始められたのがその頃からになります。それまでは、1988年にブラインドゴルフを日本に紹介し、ブラインドゴルフ倶楽部(現日本ブラインドゴルフ協会)を立ち上げ、以後ブラインドゴルフの普及に専念されていました。

その活動は日本だけではなく、世界中のブラインドゴルフ界に及び、世界ブラインドゴルフ協会の立ち上げにも貢献されました。さらに現在では障害者ゴルフへの世界的支援活動へと大きく広がりました。これまでブラインドゴルフは33年間、障害者ゴルフは16年間にわたり、世界中で支援活動を継続しています。

「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」に錚々たるプロが参戦

それで、2005年には何があったかというと、米国のそうそうたる女子シニアプロを日本に招き、国内の女子シニア選手とともに「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」開催にこぎつけま。

当時、国内の女子シニアツアーは無いにひとしく、2004年に賞金総額500万の大会が1試合開催されたのみでした。かといって、レギュラーツアーに45歳以上の女子プロが出場し、さらに賞金を得るとなると、それは困難なことでした。レッスンプロのような副業も、ほとんど男子プロの独壇場で、入り込む隙がありません。しかし、女子シニアプロの中には、まだまだ頑張りたい、向上したいという選手は、けっこういたようです。

当時は宮里藍が世界でブレイクする前でしたが、本体の国内女子ゴルフツアーも、シニアまでは手が回らない状況があったのかもしれません。

そのような女子シニアプロの窮状を知り、彼女らの意欲に応えるために一計を案じられます。それが、米国の女子シニアツアーを日本に呼び、日本で試合を行うというものでした。

そのために米国女子シニアゴルフ協会に手紙を出し、CEOのジェーン・ブラロックに会うことになります。まったく、なんのツテもなかったそうですが、情熱を持って真正面からぶつかった方が欧米では道が開けるということで、深見東州先生の正攻法の交渉術の一つだと言えます。

そうやって渡米し、面談でプレゼンをした結果、良い感触を得ることができます。今度は日本女子ゴルフツアーとの交渉になります。最初は、本当にそんなことができるのかと、信じてもらえない部分もあったのかもしれませんが、ジェーン・ブラロック会長から親書が樋口久子会長に届き、開催が決まります。

ジェーン・ブラロック

ちなみにジェーン・ブラロック氏は、LPGAツアー27勝、12年間予選落ちなしという途方もない記録を持つレジェンドゴルファーです。しかも42歳で現役を引退した後は、メリルリンチに就職し営業で業績を上げ、さらに事業を立ち上げ独立します。そのような極めて有能な人なので、多くのLPGAのゴルファーが集まり相談を受け、米国女子シニアゴルフ協会を2000年に設立しました。

その年の8月には女子シニアゴルフの試合を、賞金総額50万ドルで開催し、3日間で約3万人を集めました。翌2001年からはLPGA公式シニアツアーとして女子シニアゴルフツアーが発足しました。2007年からはレジェンドツアーという名前に変わり、今に至ります。

2005年「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」結果

この「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」は、米国女子シニアゴルフ協会、世界ブラインドゴルフ協会、日本ブラインドゴルフ協会主催のもと賞金総額30万ドルで行われ、日本女子プロゴルフ協会が特別協賛で名を連ねました。

世界と日本のブラインドゴルフ協会が主催者に名を連ねているのは、深見東州先生が、大会前日のプロアマ大会において多くのブラインドゴルファーを招待し、世界の有名プロとプレーできる機会を作ったからでした。参加したブラインドゴルファーの喜びは驚くほどのものだったそうです。

海外からは当時のシニアのトッププロ、重鎮たちが次々と参加を希望しました。著名な選手が海外遠征で参加する場合、高額のギャランティを支払うことが常ですが、ノーギャラでいいから、日本に行きたいということになったそうです。

そしてジェーン・ブラロック氏は、この機会に米国女子シニアゴルフ協会の選手全員にはかり、深見東州先生を米国女子シニアゴルフ協会の理事にすることを決定します。(のちに、レジェンドツアーの会長に推薦され、就任されますが)。レジェンドツアー(米国女子シニアゴルフ協会)のCEOにはジェーン・ブラロック氏から、現在はジェーン・ゲディス氏が就任しています。

なを、2006年には、アメリカのLPGAレジェンド選手と世界のLPGAレジェンド選手が対戦するチームイベント「ハンダカップ」が導入されます。この試合は、米国女子対欧州女子のソルハイムカップのレジェンド版のような試合ですが、「ハンダカップ」では全欧州チームではなく米国以外の全世界チームになります。

ライダーカップを参考に始まりました。ライダーは人の名前ですが、この大会も、それにちなんで人の名前にしてほしいという米国女子シニアゴルフ協会からのたっての要請により、「ハンダカップ(HANDA CUP)」と命名され、2015年までレジェンドツアーの正式大会として毎年開催されてきました。

国際スポーツ振興協会の設立へ

話を戻しますが、「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」は、大成功に終わりました。そしてシニアツアーに注目が集まった効果により、国内女子シニアツアーの大会が急に増え、その年は5試合が開催されるという画期的なことになりました。

翌年の2006年も、賞金総額40万ドルで、「ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」は開催されます。それ以外にも2年間で2試合ほど、関連組織が主催者となって女子シニアトーナメントを開催しました。そのころに国際スポーツ振興協会が、スポーツの社会貢献を実践し、障がい者スポーツの幅広い振興を図るために設立されました。

そして、ボーリングなどゴルフ以外の競技にも支援が広がり、また、日本の男子シニアゴルフツアーへの支援へとつながっていきました。設立から15年を経て、今では世界のゴルフ界で知らない人はいないほどの組織となり、また、世界最大の障害者ゴルフの支援組織として、今日に至ります。

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