深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
深見東州氏と海外の著名人との人脈が広がり続けるのはなぜか

先月、「人脈を築くにはコミュニケーション力よりもアソシエーション力」と題する記事を書きました。

ワールドメイトの深見東州先生は、宗教家にとどまらず、多くの会社を成功させている経営者であり、また東西の文化芸術に深く親しむ芸術家であり、文化人です。そして何より驚くのは、海外の著名な聖職者、芸術家、王室、多くの政財界の大物たちとの親しい交流があることです。宗教家が政財界の大物との付き合いがあると言うと、胡散臭いと言う人もいますが、そのような先入観を持つと、深見東州先生のことを正しく理解できなくなります。

結果として人脈が広がり続ける理由とは

僕のような庶民は、つい多彩な人脈に目がいき、どうやってそのような人脈が築けるのだろうと、話題にしがちです。しかし深見東州先生のことを長年見てきた人ならわかると思いますが、邪な思いがなく、目前のことに誠実に取り組まれ、楽しくお付き合いする中で、結果として人脈が広がってきたのが事実でしょう。ですので人脈を広げようと考えたり、人脈をひけらかすようなこともされません。

ときどき顔が広いことを自慢げにする人がいますが、単に知っているというだけで、多くの人を動かせるほどではないようです。そんな人ほど誇らしげに人脈を吹聴したがるようですが。

深見東州先生の場合は、もちろん深見東州先生の持つ社会的基盤や財力を背景にした上で、それに見合う、社会や人々の役に立ちたいと考える人たちとの出会いがあり、自然に深い関係が築かれてきたようです。そこに己の名誉や地位の向上とか、利益のために人脈を築こうとか、有名人を利用しようという魂胆はありません。そのため相手からも信頼され、ぜひ自分の友人を紹介したいと、ますます人脈が広がっていったことがわかりました。

最近のわかりやすい例としては、現在、深見東州先生は英国のチャールズ国王から、家でゆっくりお茶でもしながら友情を深めたいと誘われるほど親しい仲です。そのチャールズ国王を深見東州先生に紹介し、チャールズ国王の活動を助けてほしいと願ったのは、ウィリアム王子とハリー王子でした。2人の王子は、深見東州先生のことをよく知り、この人となら良きパートナーになれるとの信用と確信があったからこそ、次期国王となるチャールズ皇太子(当時)に紹介し、活動を支援してほしいと願ったのでしょう。

当時、ハリー王子は深見東州先生をケンジントン宮殿に個人的に招待し、支援へのお礼を述べたことがありました。それに対して深見東州先生は、他と比べて巨額な支援をしているわけではないのに、なぜそこまで大事にしてくれるのですかと尋ねられます。

すると、何も形にならない時から真っ先に応援してくれたこともあると思いますが、支援に対する見返りを求めたりされないと言われたそうです。深見東州先生からすると、チャリティーへの支援に対し、見返りを求めるなどありえないわけですが、実際は支援する代わりに条件を出してくるところが多いのだそうです。同じようなことは、フンセン首相やオーストラリアのアボット元首相も言っていましたね。

深見東州先生からすると、当たり前のことをしているだけですが、それも信頼関係を深める大きな理由の一つになったのでしょう。

ロイヤルファミリーだけではありません。海外の政財界の要人たちとも、なぜそのような親しい関係になっていけるのか。その過程を具体的に話された内容が、ゴルフレビューという雑誌に掲載されていました。長くなりますが、理解を深める意味で重要なので、その部分を引用したいと思います。

深見東州氏のアソシエーションの法則とは

欧米人など白人との接触で一番大切なのは、まずコミュニケーション能力です。私は37歳でオーストラリアで家具屋を買収、さらにヨットのマリーナ、観光会社、ホビーファームを買収し、家も2軒買いました。それからオーストラリアスタッフと共に、イギリスの一等地に家を買い、観光会社を二つ買収して、合併しました。その後、15世紀に建てられた小さなホテルを買収し、レストランも経営しました。

オーストラリアでもイギリスでも、どこの馬の骨とも解らぬ日本人を、まともに扱ってはくれません。信用を得るには、まず一等地に家を買うことです。次に、まともな会社を買収して、現地の白人従業員を雇うことです。すると、その白人従業員が尊敬して、いろいろと現地の名士を紹介してくれます。

現地の名士は、一等地に家があり、一等地に会社を持ち、白人従業員が喜んで働くので信用してくれます。その上で、会話のレベル、教養のレベルでその人を判断し、ユーモアのセンスで楽しく付き合えるのです。

オペラも能も、絵画も書もできるので、英語でそれを語り、イタリア語でオペラを歌い、シェークスピアやミュージカル、映画の話で盛り上がります。日本の政治、経済、外交、教育、芸術、古典、社会問題の、何を聞かれても英語で明快に、楽しく答えます。大学の4年間、E.S.S.のプレジデントとして、これをさんざんやってきた成果です。

だから、地元の名士は尊敬し、信頼してくれます。するとその名士は、もっとグレードの高い名士や、VIPを紹介してくれるのです。と言うか、どんどん連れてくるのです。この人は信用できる、つき合って損はない、つき合っていて楽しい、ぜひ友達に紹介したい。そう思ってくれるので、人脈が自然に広がるのです。

人間関係をスムーズに運ぶためには、肩書きや建前を押し付けるのは厳禁です。日本では、まず会社の有名度や肩書きが優先されますが、白人社会ではそれは通用しません。あくまで、人間対人間が最優先なのです。

さらに関係を深めるとなると、英語力によるアソシエーションが必要になります。これは楽しくつき合うと言う意味でもありますが、要は人間の絆を深めるためには、同じ趣味、志し、目的を作ることです。共に楽しみ、愉快につき合い、理解し合うものがあれば、信頼や友情は深まるものです。

無論、背景に経済力や組織力、社会基盤がなければ、そもそも全く話になりませんが、その上で会社を発展させよう、社会貢献をしよう、共通の趣味を深めていこう。そうした努力が人間関係を強固にしていきます。

キース・ペリー氏とはゴルフ界をより発展させよう、ゴルフを通じて社会貢献をしようという思いが一致し、それが信頼と友情につながったのです。これは私が親しくしている世界中の組織や企業関係者や、友人たちとのアソシエーションも、同じ法則がその原点にありました。

キース・ペリー氏と深見東州氏のゴルフにおける社会貢献

補足ですが、ここで名前が出てきたDPワールドツアーCEOのキースペリー氏は、先月、初の欧州ツアーと日本ツアーの共催トーナメント開催のため来日していました。長年双方に共催を望む声があったにもかかわらず、今日まで実現しなかったわけですが、キース・ペリー氏によると、半田晴久ISPS会長(深見東州先生)の存在なくしては実現しなかったとのことです。

キース・ペリー氏は、米国で5000億規模の企業家でしたが、子供の事情とその教育の関係でロンドンに越してきたそうです。そこで2015年、当時のヨーロピアンツアーのCEOに就任することになりました。

その頃すでに、深見東州先生が会長を務める国際スポーツ振興協会(ISPS)は、ヨーロピアンツアーをはじめ、サンシャインツアーやヨーロピアンシニアツアー、LPGAツアー、レディスヨーロピアンツアー、ゴルフオーストラリア、PGAツアー・オブ・オーストラレイジア、アジアンツアーなど、多くの海外ツアーをスポンサードしていました。

それもあって、ヨーロピアンツアーのコミッショナー&CEOに就任したキース・ペリー氏は、わざわざ来日して会いにこられたそうです。ヨーロピアンツアーへの支援要請のためでした。そこからお二人の交流が始まり、ビジネスの話を抜きにして友情が深まり、固い信頼関係へとつながっていたおかげで、今日、日欧初の共催ツアーの実現にこぎつけることができたと言えます。

また、ヨーロピアンツアー(現DPワールドツアー)は、キース・ペリー氏の時代になってから、一層障害者ゴルフに深くコミットメントするようになりました。ヨーロピアンツアーのプロゴルファーが、障害者ゴルファーへ適切な指導ができる体制を作ってきましたが、現在では、欧州障害者ゴルフ協会と提携して、障害者ゴルフツアーを、DPワールドツアーと同じ会場で、同じ日に行うほどに発展させました。

障害者ゴルファーの世界ランキングの設定や、ルールなど、さまざまな環境が整備されていき、いずれはパラリンピックに採用されるのではないかと思います。

このような動きも、30年前から一貫して盲人ゴルフにはじまり、障害者ゴルフを支援し続けてきた深見東州先生と、ゴルフを通して社会に貢献したいという思いを持つキース・ペリー氏の交流から始まったと言えるでしょう。2019年には、深見東州先生は長年にわたる障害者ゴルフへの貢献が認められ、ヨーロピアンツアーの「欧州ツアー障害者ゴルフプログラム名誉アンバサダー」に就任し、関係者からその業績が称えられました。

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