深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
深見東州(半田晴久)氏の世界的人脈はどのようにして築かれたのか?

前回は、フォーブス・ジャパンに掲載されたインタビューを中心に、深見東州先生の世界的な人脈について書きました。

今回は、月刊TIMESという雑誌のインタビュー記事に、欧米人との交流について別な角度からもう少し具体的に書かれていましたので、そちらを紹介しながら、どのようにして人脈を作られたのかを書いてみることにします。

前回の記事では、冒頭に、37歳からパースで家具屋を買い取り、海外での会社経営を始められたことを書きました。それは深見東州先生がそうしたかったからではなく、天啓によるものでした。

そこで現地の人たちと積極的に交わり、海外での会社経営のノウハウだけでなく、白人社会の交際、社交を学び、欧米人に通じるユーモアのセンスを身につけ、白人社会におけるコミニケーション能力を磨かれてきたわけです。同時に、ブラインドゴルフとの出会いがあり、詳しくは下記に書いてますので省きますが、日本にブラインドゴルフを紹介し普及させ、また、世界のブラインドゴルフの普及にも貢献され始めます。

それらの活動が基礎となり、現在の世界的なチャリティー活動や、ゴルフなどスポーツを通じた社会貢献、平和への貢献に発展してきたのではないかと思います。

パースに進出したその翌年には、これも天啓によるものですが、英国に進出されています。英国は、多くの主権国家からなるイギリス連邦のトップになるわけですが、オーストラリア社会からは溶け込みやすいそうです。前回も触れたように、英国は階級社会であり、同じ階級同士でしか交流がありません。海外から行くにしても、名の知れた一流会社ならば別でしょうけど、一般的に見ず知らずの人間に対しては、いきなり交流して心を開いてくれるようなことは少ないようです。溶け込むのは容易ではないと言えます。相手が上層階級ならば、余計そうなるようで、会うこともできないようです。

そこで、オーストラリアのチームとともに拠点づくりを進めていかれたそうです。まず信用を得るために、イギリスの最高級住宅街に法人で家を購入し、その近くで観光会社を買収し、イギリス人社員を雇い、会社経営を地道にすることで信用が徐々に築かれていったそうです。そうやって信用を得られると、かえって外国人の方が上層階級の人たちとのつながりを持ちやすくなるそうです。そして、そこから同じ階級の人たちへと友人の輪が広がっていくのが英国社会の特徴なのだそうです。

もちろん、そこまで行くのには、相当な度胸と忍耐と知恵が必要だったことでしょう。しかし、その甲斐があって、様々な縁が結ばれて、チャリティ活動を始めとする様々な活動が可能になり、大きく広がっていったそうです。

具体的に、英国でのチャリティ活動に関して一つだけ紹介すると、1994年にロイヤル・アルバート・ホールで、「アラウンド・ザ・ワールド」というチャリティコンサートを主催されました。英国のトップミュージカルスターを始め、内外のたくさんのアーティストが参加し、深見東州先生もオケの指揮を執られました。4700人が詰めかけ、そのチケット収入の全てを、もともとブラインドゴルフの普及など、盲人関係の福祉活動に取り組まれていたこともあり、英国王立盲人協会(RNIB)と、白血病児童救済基金に寄付をされました。

そして、そこから英国王立盲人協会とも親しくなり、お互いの活動を理解する中で、英国王立盲人協会から副総裁に推薦されることになります。日本人では初めてのことだったそうです。そして2000年に、バッキンガム宮殿に招待されました。

アラウンド・ザ・ワールド
チャリティコンサート「アラウンド・ザ・ワールド」

ちなみに英国王立盲人協会(RNIB)とは、英国最大規模の慈善団体と言われています。間もなく創立150年になるという、エリザベス女王と、クイーン・マザーも存命中は総裁を務められ、ウェストミンスター卿がプレジデントを当時は務めていた団体でした。ボランティア3千人で支えられ、英国の200万人の視覚障害者のサポートを行い、大学も4つ経営しているそうです。

同じ副総裁には、当時、英国国教会の最高位になるカンタベリー卿であったジョージ・ケアリー卿も就任しています。またビートルズのプロデューサーをしていたジョージ・マーティンが、熱心なサポーターであったことでも知られているそうです。

そして、2000年にバッキンガム宮殿に招待されたのは、エリザベス女王と夫君のエジンバラ公による、福祉関係者のための特別なレセプションが催されて、英国王室が、イギリスの福祉活動に貢献のあった人を700人に絞って招待されたものだそうです。

そこで、初めてエリザベス女王と謁見され、RNIB理事会の会長であるジョン・ウォール氏が深見東州先生のことを紹介し、深見東州先生は「私は日本から来ました」と直接言われたそうです。するとエリザベス女王は目を見開き、のけぞって驚かれたそうです。英国で最も権威ある福祉団体の副総裁に、日本人が就任したということ自体前代未聞のことなのだそうです。

RNIBのジョン会長は、「英国にはソニーやトヨタなど、日本の大企業がたくさんあるが、福祉に貢献した人物として女王に招かれた日本人は、ミスター半田が初めてでしょう」と言われていたそうです。そういうことで、エリザベス女王も驚かれたのでしょう。

話を戻しますが、同じくRNIB副総裁であったジョージ・ケアリー卿とは、その後交流が始まり、ケアリー卿が関わっていたロンドンのランバース地区でのコミュニティスクールの支援活動を支援したり、一緒に様々なプロジェクトやチャリティ活動を手がけることになりました。そういう中で、キャリー卿も深見東州先生のことを信頼されるようになり、トニーブレアを紹介してくれたりと、人脈が広がっていったそうです。

また、アメリカ社会は、アジアやアフリカには偉そうにしてますが、イギリス人に対しては謙虚になり、尊敬の気持ちがあるそうです。母国というのか、歴史的にも文化的にも一目置いているそうです。なので、イギリスでの拠点は、アメリカ社会への拠点でもあったそうです。

ちなみにケアリー卿は、ダイアナ妃の葬儀や、クイーンマザー(英国皇太后)の葬儀を、カンタベリー大主教として行われた人です。その頃から、多くの福祉活動や教育事業を行っていたそうで、ランバース地区もそのひとつでした。この地区は、ギリシャ系、アフリカ系、イタリア系など多民族が入り混じり、言語も宗教も多様で複雑な事情がある地区だそうです。なので、そこの中学や高校の運営は、国がお役所仕事でやっても上手くいかず、それで民間に任され、ケアリー卿が取り組まれていたそうです。

そのコミュニティスクールの建設を、深見東州先生たちが支援されることになり、学校のオープニングセレモニーには、エリザベス女王が来られ、そこで2度目の女王との謁見になったそうです。

その後も、謁見されていますが、そのようにして、チャリティ活動を地道に推進する中で、英国王室の人たちとも親しくなられていかれたようです。英国王室の人たちも、チャリティ活動を盛んに行なっていますので、いろいろな所で接点が出てくるのでしょう。アラウンド・ザ・ワールドのチャリティコンサートでは、エリザベス女王からの感謝状も頂かれてましたが、そこから数えるならば、英国王室とも、20数年に及ぶ長いおつきあいになると言えるでしょう。

この数年においては、ハリー王子と、南アフリカのサンタバリーのチャリティ活動を支援されてきました。ハリー王子の提唱によって始まった傷痍軍人のスポーツの祭典「インヴィクタス・ゲーム」でも協力されました。また、ハリー王子の紹介で、アフリカで多くの動物を保護してきた慈善団体Tuskとも、ISPSハンダが提携を結び、活動を支援されることになりました。

Tuskは、ウィリアム王子が協力にサポートしてきましたので、先日は、東京とロンドンとヨハネスブルグの3か所を結んで、TuskとISPSハンダの主催により、ウィリアム王子や深見東州先生、CITES(絶滅のおそれある野生動物の、種の国際取引に関する条約)の事務局長ら関係者が、世界に向けて動物や自然環境の保護を訴える発信をしました。

ウィリアム王子を広告塔にしているのでは?という某雑誌のあまりに本質から外れた記事には笑いましたが、そのように20数年間に及ぶ、様々なチャリティ活動や社会貢献を、世界規模で推進されてきました。

それと連動して、英国王室の人たちとも、世界の著名な政治家や学者や音楽家など、各界のリーダーたちとも親交が広がってきたのでしょう。世界的な人脈の広がりと言っても、その経緯は、そう簡単に説明できるようなものではないと思います。

しかし、そのようにして縁が広がっていき、親しくなってきたことで、一緒に協力していろいろなことができるようになったわけです。今後も世界に影響力を持つVIPたちと協力して、より良い社会にするために日夜活動をされていかれることでしょう。

ただ、これらのことは、深見東州先生が頭で考えてされたことではなく、すべては天啓によって始まったものです。そして深見東州先生は、海外で事業や経営に携わっても、目が曇らないようにと、1円も給料や資産をもらわないようにしているそうです。

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