SAPIOの、謎の教祖(深見東州先生)に怒涛の6時間インタビューを読んで

SAPIO3月号の、「日本を騒がす『宗教家7人』の秘密」、という特集に、ワールドメイトの深見東州先生のインタビュー記事が掲載されています。

私もワールドメイト会員の一人として、今度は何が書いてあるのかなと気になるので読んでみました。

今回は、日頃ワールドメイトで聞いてる内容がほとんどでしたが、見出しになっている「宗教は明るく楽しくなきゃいけない」という言葉が、妙に心に響きました。ワールドメイトでは、当たり前のように言われている言葉であり、それがどういうものかも体験しているつもりでしたが、まだ意味がよくわかってなかったなと思いました。

 

SAPIO 深見東州インタビュー
SAPIO3月号インタビュー記事

 

深見氏は歌って踊る教祖と呼ばれていますが、「エンタメ」「ユーモア」は、神道の伝統と相容れないのでは?という質問に対し、

「いや、神道は基本的に明るく楽しいものです。死後の世界を重視するキリスト教や仏教と違い,生業と家とコミュニティの繁栄を大切にする神道は現実世界に価値を見出し、非日常のお祭り騒ぎで ”ハレ” の状態になって日常に溜まったケガレを祓います。神話で天の岩戸を開けたのも、八百万の神の踊りと笑い、ユーモアだったでしょう。我々は神社神道という2000年以上続く正統のもとにある宗教団体なんです。」

 

と、答えられてました。

紙面の都合で短く編集されてると思いますが、このあっさりと言われている中に、とても大事な部分があります。

いつも言われてることなので、普通に聞いていたこの頃ですが、今回改めてそのことを強く感じました。

 

日本での宗教に対する一般的イメージは、「怪しい」「暗い」「怖い」「拘束される」「お金がかかる」「依頼心が強くなる」「性格の弱い人がやるもの」など、ネガティブなものがかなり多いです。

私がいうのもなんですが、ワールドメイトがというわけではなく、無理もないなと思う部分もあります。そういうイメージを持たれても仕方がない宗教もありましたし、また、そんな感じの人たちが実際にいるのも事実でしょうから。
しかし、誤った情報が膨らんでしまい、そんなイメージが作られてしまってる部分も多いかと思います。

どちらにしても、これらは本来の宗教の本質ではありません。本当ならばその逆にならないといけないと思います。にもかかわらず、実際はそうではない日本の現状があるため、深見東州先生も「宗教は明るく楽しくなきゃいけない」と言い続けてあるようにも思います。深見東州先生にすれば当然のことなのに、それをわざわざ声を大にして言わなくてはならない現状に少々歯がゆい思いを抱いてあるかもしれません。はやく、宗教に対するイメージが変わることを願っていますが、時間がかかりそうですね。それには宗教を信仰する人たちが、まず、変わらないといけないのかもしれません。

 

ところで、私自身のワールドメイトでの体験からいうと、神仏が本当にいるところであれば、良い気に触れるので自然と明るく元気になり、楽しくなるのではないかと思っています。
ただし、そうなるには前提があると思います。それは、神仏にも選ぶ権利があるわけで、まず、神仏にいやがられない人間にならなければいけません。

その神仏に嫌がられないためのポイント、さらに神仏に喜んで来て頂けるためのポイントを、ワールドメイトに入会すると、だんだん学んでいけるようになります。ポイントがわかってくると実行しやすくなり、実際に体験していくことで、はじめは真面目で暗めの感じの人が、明るい感じに変わっていきます。深い部分まで変わるのには時間がかかりますが、短期間でもかなり変わる人がいるので驚きます。かくゆう私も、久しぶりに会う人からの指摘で、かなり人間が変わってきたことを自覚することがあります。

 

基本的に性格は大人になると変わらないと思いますが、何が変わっているのでしょうか。
「生業と家とコミュニティの繁栄を大切にする神道は現実世界に価値を見出し、非日常のお祭り騒ぎで ”ハレ” の状態になって日常にたまったケガレを祓います。」という先ほどの言葉にヒントがあるように思います。

人は、色々な環境の中で生活していくうちに、たくさんの ”ケガレ” をためてしまい、本来の自分を見失っている状態、あるいは覆い尽くされている状態なのかもしれません。そして、それが本当の自分自身のようになってしまってるのでしょう。

でも、ちょっとしたコツで、それを祓うことができるようになってくると、自分でも気がつかなかった、素晴らしい自分自身が出てくるのではないかと思います。だから性格は変わってなくても、全く印象が変わってしまうのでしょう。明るく元気になり、楽しい人間になっていくように思います。

みんながそうなっていくと、その宗教は、誰が見ても明るく楽しい宗教だと言われるようになるでしょう。それが神道の本来の姿であるし、そうならなくてはいけないなと思います。

 

SAPIO3月号表紙

 

それから、八百万の神を認めるなら、他の宗教も許容するのかという質問に対しては、「もちろん」と答えられてます。

「アンチ創価学会を旗印に結成された新日本宗教団体連合会(新宗連)に、国民皆信仰という考えがあります。現代は交通や通信が発達し、ひとつの宗教が全ての国民を救済することは難しいが、信仰を持たないよりは任意の宗教に入信した方がベターという考えです。今の時代、宗教家はエゴを捨てて世界を幸せにするために協力すべき。創価学会も新宗連と仲良くすればいいと思いますよ」

と言われてました。

ただその新宗連に、ワールドメイトは加盟していません。

「末席でいいから入れて下さい、と頼んでも、深見さんが入ると私たちが緊張するから、と断られる。私は創価学会とも協力したいけど、なぜか向こうが嫌がります」

ということです。

ワールドメイトに入会してから、異なる宗教同士の協力や宗際化運動などにも興味を持ちました。現代は、宗門宗派の違いを超えて宗教同士が協力し、世の中をよくしなければという機運があり、その方向に世界は動きつつあることを感じています。無宗教の人であっても、そのようにならなければいけないと、感じている人も多いのではないでしょうか。今、世界は激動し、宗教間の争いの激化している部分ばかりがクローズアップされてるように思いますが、実際は大きな動きとして、先ほど書いたような動きが今後も進んでいくと思われます。世界情勢において、この先ますます宗教の果たす平和への役割が、重要になってくると思っています。

宗際化運動に関しては、詳しくはこちらの記事を参考にしてください。

アフリカの平和のための宗際化運動サミット(IFAPAサミット)に参加
SAPIO3月号 宗教団体の政治と信仰マトリックス
SAPIO3月号 宗教団体の政治と信仰マトリックス

 

ビジネスと宗教を両立できるのかという質問に対しては、「ビジネスは活動、宗教は情熱とフィロソフィーと区別し、混同せず共存してるからです」と答えられています。これは、神道が聖と俗を区別して共存していることを、別な角度から、現代のご時勢に会う言葉して言われているように思います。

まず人間の活動は、聖なる存在としての神仏からすると、ほとんどが俗なものになるのだろうと思います。俗界とか俗世間とか、人が住んで普通に活動している社会のことをそのように言うこともあります。別に俗が全て悪いという意味ではありません。

それに対して、何かに情熱を持って生きている人、高邁なフィロソフィーや高い理想を持って情熱的に生きている人を見ると、同じ人間であっても何か神聖な感じすらします。俗な世界を突き抜けて生きてるように見えるからかもしれません。

神道が根付く日本では、聖なる山は決して汚さずに大切にしてきましたが、そうではない普通の山は開拓し、生活のために活用してきました。だからこそ聖なる神域を残しながらも、経済活動も盛んで国が繁栄することができました。聖と俗を区別した上で、共存してきたわけです。

深見東州先生も、そのようにビジネスは人間としての当たり前の活動(俗)として、宗教は情熱とフィロソフィー(尊い、聖なるもの)として、区別した上で共存されているように感じました。

 

そして、深見東州先生はビジネスにおいても、ワールドメイトにおいても、ある共通する考えをお持ちのようです。それを以下の発言から読み取ることができます。

「また中小企業はマーケットをセグメント(細分化)して、トップのシェアをめざすべき。例えば、大手メーカーが冷蔵庫を作るなら、我々は製氷機を作ってその分野で1位になる。事実、みすず学苑は関東だけで展開し、小人数制で英語教育に絞った。宗教も同じことです。私の出る広告は確かに胡散臭いけど、“納豆・ドリアン・くさや”と一緒で、実際に食べて気に入る人だけ来ればいい。仮に 99人に嫌われても、1人が気に入れば成功です。

我々は2012年に宗教法人化しました。宗教団体は新聞考査により広告を出せないので、塾や出版社名義で出稿しています。広告は細かな文言まで全部自分で考えて、1回で10回分のインパクトをめざしている。掲載は関東版のみだったり、製作も自社でまかなうので、広告にかかる費用は意外と安いですよ。」

 

「納豆・ドリアン・くさや」は、匂いも強く、食べる前から苦手な人も多いと思います。一方で、食べてみると好きになって、大好きだという人もいます。もちろん食べても嫌だったという人も多いでしょう。どちらでもない人もたくさんいます。そんな食べ物を例えに出されて、臭いけども食べてみると案外美味しいじゃないかと思う人だけが来れば良いということなのでしょう。

 

同じようなことを、iRONNAでのインタビューでも言われていました。

こちらの記事に書いています。

iRONNA「謎多き宗教家、深見東州とは何者か」を読んで

 

ワールドメイトもそうなんです。だから、はっきりと宗教団体としてのカラーを打ち出して、それでいいなという人が来てくれたらいいわけです。どの道、カラーに合わない人は辞めますから。入退会は自由、強制もしない。

もちろん、暗くて閉鎖的でまじめな宗教がいいという人は、そういうところへいけばいい。日本だけでもたくさん宗教団体があるので、創価学会へ行ってもいいし、立正佼成会に行ってもいい。ワールドメイトだけで全てのニーズは賄いきれませんから。だから、ワールドメイトに合う人だけ来ればいいし、嫌なら辞めたらいいんです。

この考え方は運営している予備校「みすず学苑」も同じ精神です。はっきり言うと、合う人だけ来たらいい。予備校は予備校らしくあらねばならないという人は、そういう予備校に行けばいいわけなんです。

 

 

おすすめの記事
新着記事