ワールドメイトの深見東州先生は、神道を基本におく宗教家です。しかし、それだけが深見東州先生のすべてではありません。多才な活動の一側面にすぎないと言えます。本当の神は真善美の様々な面を有してますので、深見先生も神の道を極める過程で、多面的な活動をされているのだと思います。そのなかで、真にあたる会社経営は、宗教や神と相入れないように感じる人もいるようです。しかしそれは、仏教の脱俗的な思想からきているのでしょう。
日本には熱心な神仏の崇敬者で、偉大な経営者になった人が大勢います。有名なのは松下幸之助でしょうか。土光敏夫や稲盛和夫も並外れた経営者です。そういう方たちは、信仰を持ち、信仰をよりどころにされていますが、信仰と経営を混同することなく、聖と俗を区別して共存し、成功した良い例でしょう。それが日本の神道の思想に通じることは、前回の内容を読んでもらうとわかる思います。もっと昔の時代は、戦国武将にも神仏の熱心な崇敬者がたくさんいたでしょう。神仏を崇敬しながら戦をするのは矛盾に思えますが、しかしあの時代に生まれてしまった以上、そうしなければ相手に滅ぼされてしまいます。国と一族を守るために、神仏を篤く崇敬していても戦うしかなかったわけです。自然に聖と俗を使い分けていたことがわかります。
なかでも典型的な武将は上杉謙信でした。謙信は家を継ぎ、戦をしたくはなかったようです。僧侶に道に行きたかったのでしょうから。しかし一族と民を守るために懇願され武将の道を選んだようです。その代わり義の戦しかしないということで、天下を取りに行くとか、隣国に領土を広げるとか、そんな野心はなかったそうです。国を守る義の戦のみ行い、生涯無敗を誇りました。そのような上杉謙信のあり方を深見東州先生も学ばれ、ワールドメイトの宗教者としての活動と、ビジネスマンとしての生業を、見事共存されているのです。だから経営と宗教を混同することもなく、今日までやってこられたのでしょう。そういう風にできるのも、日本文化に聖と俗を区別して共存するという神道の伝統があるからなのでしょう。そしてそのことを誰よりもよく理解されているからでしょう。
しかし神道には「聖と俗を区別して共存する」、「生業や家を栄えさせ、コミニティーを繁栄させる」という側面だけではなく、「現実を生き貫く精神や魂の輝きに価値を見出す」という特質があることも見逃せません。それを神ながらの大和魂とワールドメイトでは言われてましたが、神道は現実の繁栄を大事にしているので、その時代における現実を生き貫くことが大事なのでしょう。戦国時代に武将の後継者として生まれた謙信が、信仰を持ちながら、その武将としての本分を貫き通して国を守りきったように。現代は戦国の世の戦が経済におきかわったような世の中ですので、この経済活動において、ビジネスマンとして、経営者として、生き貫くことに価値があるのだと思います。
そしてまた、人々と同じように、直面する苦や困難を肌身に感じて生きていなければ、本当に人を救う知恵も力も教えも養われなかったでしょう。ワールドメイトでは、信仰心とは貫き通す精神と言われていますが、その時代において、神への信仰を持ちながら、どこまでもその本分を貫き通し、現実社会を生き貫く精神に魂が輝き磨かれるから、それを神様が最も喜ばれるのでしょう。最も神が喜ぶことをするから、本当の信仰心なのかもしれません。単に神を拝んで敬うことは、信仰というより宗教心があるというだけかもしれません。