深見東州(半田晴久) 氏の年間イベント一覧
ワールドメイトの救霊

ワールドメイトに入会して、深見東州先生の大救霊を受けた後、人生が素晴らしい方向へと変わっていった人はとても多いと思います。また、ワールドメイトに入会し、救霊を受けて人生が変わったと、ワールドメイト会員はよく言います。

 

救霊を受けることで、見えない世界では運勢が好転する兆しが確実に始まるのだと思います。ただし現実というのは、そう単純ではない一面もあります。人生が素晴らしくなるには、素晴らしくなるだけの理由があり原因があると思います。そこを正しく理解して、その方向に沿って努力することにより、最短で素晴らしい人生へと向かうのではないかと思います。

 

救霊を受けることで、よりベストな人生へ向かう

その人の人生が素晴らしくなるための、よりベストな方法がきっとあると思いますが、幸せというものが人によって違うように、ベストな方法も、大きな原則はあっても人によって違うのでしょう。それを一人一人、自分で見つけることができるのが、ワールドメイトではないかと思います。そして救霊を受けることで、それがより可能になりやすいと思います。

 

ワールドメイトをたとえて言うならば、お腹が減った人に食べ物を与えることもするけども、お腹が減ることがないように、食べ物を自分で作るやり方を教えるところだという人が多いです。ただ一方的に食べ物をもらう方が、もらう側としては簡単で良いかもしれませんが、ずっともらい続けるというのも現実的ではないと思いますし、互いに長続きしないでしょう。お腹がいちおう満たされれば、次はその土地や個人にあったやり方で魚を取る方法を習ったり、作物を作るやり方を教えてもらい、畑を耕すなどの、自給自足の努力が必要になると思います。

 

しかしその作り方や取り方は、習ったからといってすぐに成功しないかもしれません。軌道に乗るまでには多少の時間がかかるものです。

また、人によって呑み込みが早い人もいれば、遅い人もいることでしょう。中には早々と諦めのよい人もいたり、間違ったやり方をしてうまくいかず、周囲のアドバイスも耳に入らず上手くいかない人もいるかもしれません。100%というのは何事にもないわけですが、素直に努力することさえ怠らなければ、見違えるように人生が変わると思います。

 

ワールドメイトに入会し、救霊を受ければすべて良くなるというよりも、救霊を受けたことで、自分が良くなるためのチャンスに気がついてそれを学び、良い出会いがあってそれを生かし、現実に良くなる努力をすることで確実に素晴らしくなると感じています。

 

「我輩は救霊師である」〜救霊とは〜

「我輩は救霊師である」というのは、ワールドメイトの深見東州先生が夏目そうしきというペンネーム、またはギャグネームかもしれませんが、それで書かれた「我輩は霊である」という著書の一節にある言葉です。ワールドメイトの救霊については、ホームページでも詳しく紹介されています。

 

霊を追い払うのではなく「救う」。これが最先端を行く真の救霊

 

詳細はそちらを見ていただけばよいのですが、深見東州先生著作の「神界からの神通力」や「神霊界」には、もっとリアルな内容で、救霊の実態が書かれています。それよりも、ややくだけた調子で書かれているのが「我輩は霊である」になると思います。

 

ワールドメイトの深見東州先生は、霊から神仏の姿まで霊眼で見える方で、それが本当に正確なために、過去大勢の人から霊に関する相談ごとを持ちかけられたそうです。それは今も続いているかもしれませんが、そういう中から霊界の実態に迫り、人間に悪さをするものをできる限り救済してこられました。

 

人間に悪さをする霊がいるというのは、信じない人からすれば、まるで霊感商法と思うかもしれません。しかし世の中には、そういう悪さをする霊に苦しめられている自覚があり、救いを求める人が実際にかなりいるのです。もし霊の存在を全く信じていなければ、相談にも来ないでしょう。

 

そして、半信半疑ながらも、霊が原因で運が悪くなっているかもしれないと思ってる人は、相当な数に上るのではないかと思います。

 

救霊

中途半端に霊に関心を持つのはよくない

どこかで書きましたが、私の親戚でさえ、お通夜の時に亡くなった霊の姿を見たくらいですから、霊の存在になると、人に言わないだけで信じている人はたくさんいると思います。そういう人からすると、むしろ信じないことの方が不自然に思えてしまうでしょう。

科学の力が今のところ及ばない領域ですから、科学の力で霊の存在を否定することは不可能です。そして、まともな普通の生活をしている大勢の人が、その存在を見たり感じたりしているのです。

 

ただし信じていると言っても、霊界はとても複雑なので、ほんの一面しか知り得てないのが実態でしょう。自分で知り得るには、わからないことばかりでしょうし、霊能者と言われる人のところに相談しに行く人が、芸能人から一般人まであとをたたないのも、そういう理由があるわけです。

 

それは今に始まったことではなく、大昔からそうであり、また世界中の国でも似たり寄ったりだと思います。特に欧米人は、そういうものに興味を持つ人が多いようで、困って相談しに行くだけならまだしも、興味本位で霊を呼び出してしまうなど、行き過ぎてオカルト的な世界に入り込む人も、けっこういるようです。

 

そういう危険もあるのが霊界ですから、けっして良いものばかりではないし、中途半端に霊に興味や関心を持たない方が良いと、ワールドメイトではいつも言われています。下手をすると、心身ともに調子悪くなってしまう人もいるようですし、そうなると生活するにも支障をきたしかねません。

 

だからワールドメイトでは、普段そういうものに一切興味も関心ももたず、ただ救霊においてのみ、純粋な真心で霊を救済することに徹するのみなのです。そうすることで、現実社会においても、ワールドメイト会員は、たくましく立派にやっていけるのだと思います。

 

日本にも世界にも霊能者、神の取次者と言われるような人がいて、昔からそういう人に相談することが行われていたと書きました。それが歴史において、途絶えることなく今日まで続いているという事実だけでも、十分に神や霊の存在を信じて良いのではないかと思います。それどころか少なくとも平安時代の頃まで遡れば、そういうものを信じない人の方がいなかったようです。

 

そのことと関連して密教文化が広がり、加持祈祷などが重宝されていたほどです。鎌倉、室町、江戸時代の庶民の信仰は、今よりもはるかに身近で切実なものでしたし、権力者になると加持祈祷を、邪道ですけど相手を倒すために平気で利用していた時代もありました。良い悪いは別としても、そういう目に見えないものの存在は、ずっと当たり前に信じられてきたのが事実なのです。

 

それを昔のことだから、単なる迷信だとか、非科学的な時代だったからという言葉だけで簡単にかたづけることはできないでしょう。科学は宇宙旅行にいけるほど大変高度な発達をとげ、生活も飛躍的に便利な時代になっていますが、相変わらず生命の根幹については何も解明されないままなのですから。

 

生命そのものが謎なのですから、当然命を作ることもできませんし、植物ですら物質からつくることは不可能です。ということは、命と関係の深い霊の存在はもちろん、神仏の存在に関しても、残念ながら未だ科学は無力というしかありません。

問題を抱えている人だけでなく、転ばぬ先の杖で受ける人も

霊の存在は確かだとしても、その中には守護霊のように人を助けてくれる高級霊もいれば、人間に悪さをする霊もいます。このあたりはいろんな説があって、統一したものはなく、宗教や霊能者の見解によって微妙に違っています。それぞれが信頼する人や宗教に頼っているのが現状のようです。

 

ただ想像するよりも、霊界の様相は複雑であることをワールドメイトで理解できるようになりました。もちろん、しっかりと学ぶ気があれば良いのですが、そうでないのでしたら、中途半端に興味を持たない方が良いのは先ほど書いた通りです。

 

しかし関心を持とうが持つまいが、説明できないような霊的苦しみにあってる人が多くいるのも、ワールドメイトでわかりました。人はあまり不思議なことを他人に話したがらないせいか、今までは気がつかなかっただけで、医者にかかっても解決できないような問題で悩んでる人は、けっこう世の中にいるものです。

 

そういうもの全てが霊のせいではないと思います。しかし、そうである場合が多いと思います。あるいは現実的な原因と複合だったりもするようです。それで霊能者や宗教に救いを求める人がいるわけですが、宗教は、もっと違う意味でひろく救済する役割があると思うので、本来は霊を救うためにあるのではありません。

 

ワールドメイトはカンポジアで、医療を受けることができないほどの貧困に苦しむ人たちに手を差しのべて大勢救っています。また、恵まれない環境で苦しむ孤児たちにも、ひとりだちができるような細やかな支援活動を続けています。そういう社会的な弱者と言われる人々に手を差し伸べるのが、本来の宗教に求められる役割の一つだと思います。

 

とはいえ、霊的な原因で苦しむ人に対し、確実な救済力があるワールドメイトの救霊は、やはり貴重なものだと言えます。また、何も問題がない人でも、今後ともそうだとは言い切れませんので、転ばぬ先の杖で受ける人も多いのです。今のような複雑な社会においては、昔以上に、必要になるのではないかと思います。

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