深見東州先生の、ゴルフに関する活動の足跡について書いています。
- 深見東州先生とブラインドゴルフとの出会い
- 深見東州先生による、ブラインドゴルフの支援活動
- 深見東州 (半田晴久) 先生と女子シニアゴルフとの出会い
- The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会)会長に、深見東州先生 (半田晴久ISPS会長) が就任
からの続きになります。
深見東州先生 (半田晴久ISPS会長) は、2007年から、男子シニアゴルフの支援を開始されました。その発端は、当時のPGA(日本プロゴルフ協会)会長である松井功氏からの支援の要請があったからでした。松井功PGA会長は、女子シニアだけでなく、男子シニア選手も、試合がなくて困っていることを伝えたそうです。バブルとはいえ最盛期には20数試合だった男子シニアの試合が、その当時、6試合までに減少していたそうです。しかも、3つの公式戦の一つがなくなろうかという時でした。
その窮状に理解を示された深見東州先生は、では、1億の賞金の試合をやりましょうと提案され実行されました。それが男子シニア史上過去最高額だとは、後から知ったそうですが、タイタニックの法則で、ドカンと大きな試合を開催されたのでした。
さらに翌2008年には、他に一億の試合を呼ぶためにと、今度は1億2千万の試合を開催されます。すると、本当に一億の試合を開催するスポンサーが現れ、さらに他の試合でも賞金額を大きくアップするところが続出しました。そして試合数も確実に増え始め2013年には12試合と、倍にまで増えています。
この時期、リーマンショックのため、世界的な不況の時期だったことを考慮すると、これは大変な成果だと思います。日本人は、誰かが先頭切って始めると、それならということでやり始めるという、タイタニックの法則が効いてきたのでしょう。深見東州先生によると、私があげたトスを、松井さんがスマッシュを決めてくれて成果が出たということで、2人は黄金コンビなんですよ、と言われていました。その後2014年からは倉本昌弘氏がPGA(日本プロゴルフ協会)会長に就任し、さらに奮闘され、アベノミクスも追い風になったのかもしれませんが、2016年には17試合まで回復しています。
そして、男子シニアの中でも、ゴールドシニア、グランドシニアという高齢者のプロの大会も、国内で並行して開催されてきました。今日まで、ずっと開催されています。
その間に、世界のゴルフ界にも支援の輪が広がっていきました。オーストラリアから始まり、ヨーロッパのシニアゴルフを支援され始めます。もちろんレジェンドツアーの会長に乞われて就任されましたので、アメリカでも女子シニアの大会を開催されてきました。
ところで、深見東州先生が会長をされる国際スポーツ振興協会は、グローバル化の先端に立ち、白人に文化で打ち勝ち、世界のトップアスリートたちと仲良く社会貢献をするのが持ち味の一つです。そこで2010年からは、ヨーロピアンシニアツアーとPGAの初のコーサンクション大会 (共同主催) を行いました。それが「HANDA CUP シニアマスターズ」でした。
海外からは深見東州先生の友人で、メジャーで優勝した選手やライダーズカップで主将だったような名選手を招待して開催されました。これによって日本のシニア男子トーナメントの質は最高潮に上がったと言えるでしょう。 さらに翌年は、グレッグ・ノーマン、ゲーリー・プレ ーヤー、ニック・ファルドらも参加するような、 米国のチャンピオンズツアーとの共同主催もできる予定だったそうです。しかし、東日本大震災の発生により、ほとんどのゴルフ大会を中止にされました。もし実現していたら、素晴らしい大会になったろうと思いますが、天災ばかりは仕方がありません。
そして翌2012年からは、PGAシニアツアー を2試合と、それ以外に「ISPS グローイング シニアオープン ハンダ熱血シリーズ」というシニア5試合を開催する方向に変わりました。つまり、最高に質の高い大会を開くことから、一つ一つの規模は小さくなりますが、数を開催する方向になったと言えるでしょう。
そのようにした理由は、日本のゴルフ界では、世界基準の質の高いトーナメントよりも、日本基準の普通のトーナメントでいいから、それを数で貢献するほうを欲し、その方が喜ばれる事を実感されたからのようです。私としては少し残念な気持ちですが、多くの日本のシニアゴルファーはそういうことなのかもしれません。
レギュラーの若手選手の中には、PGAツアー(米国男子)に挑戦する選手もいますので、これからに期待はしますが、そういう理由で、国際スポーツ振興協会の大和魂は、それを欲するヨーロッパの男女レギュラーツアー、サンシャインツアー、 アジアンツアー、豪州PGA、米国LPGA、レジェンドツアー、米国PGA、そして、世界のジュニア の育成に移行していくのでした。
そして、世界のシニアの大会だけでなく、世界の主要ツアーのレギュラー大会も開催され始めます。女子では、オーストラリア女子オープンを2011年の2月に開催されます。この大会は、2012年からレディースヨーロピアンツアー(LET)と共同開催になり、現在ではLPGAツアー(米国女子)も加わり、3つの共同開催になっているナショナルオープンです。
男子も、ISPSハンダ パースインターナショナル、ネルソン・マンデラチャンピオンシップ、ISPSハンダ ウェールズオープンが、ヨーロピアンツアーやサンシャインツアー、PGAツアー・オブ・オーストラレイジアなどの主催で、2012年から開催されています。
アメリカ、イギリス、アイルランド、南アフリカ、オーストラリア、アジア、 ニュージーランド など、世界中にISPSハンダの大会が広がり、2012年は68試合を開催されたそうです。その中には、下部ツアーや、ジュニアの試合も含まれます。また、ゴルフインストラクターの大会、アマチュアやシニア、レギュラーの男女混成の大会なども含まれています。その多くはマスコミも報道してないので、当時は私も知りませんでしたが、幅広くゴルフ界全体を支援し、貢献されてきたと言えるでしょう。
ヨーロッバのPGAの幹部の人は、マイナーだったヨーロッパの女子ゴルフ界において、女子ゴルファーに活躍の機会を作り、その中から何人かのスター選手が登場したことで、女子ゴルフをメジャーにしたと言われていました。さらに収益が上がっても、それを地元や国際社会に還元するので、両者がハッピーになることをされていると言われていました。
そのように、チャリティーやゴルフにおける社会貢献においても、非常に積極的に活動されてきました。賞金の一部をチャリティーとして慈善団体に寄付し、また、収益金を地元の発展のために寄付し使用されてきたとのことです。また、大会を通して多くの寄付が集まり、南アフリカの小児病院建設のための建設資金として活用されたそうです。
2012年からは、ISPSハンダPGAアカデミー・プログラムを開始されました。これは、英国のPGAの協力により、より多くの盲人や障害者ゴルファーが専門的なコーチングを受けれるようにするものです。英国PGAのプロ選手に、盲人・身体障がい者ゴルファーをコーチするためのトレ ーニングを行い、コーチ資格を与えるそうです。これにより大きな成果が上がり、 障害者ゴルファーたちのスキルアップにつながっているそうです。障がい者ゴルフが一層普及することを願われ、行われているのでしょう。この仕組みを、さらにアメリカにも拡大中だそうです。
深見東州先生は、「障がい者ゴルフを国体に、国際大会に」という、ISPSの掲げるスローガンが、広く知られることを願われ、2020年のパラリンピックにおいて障がい者ゴルフ が採用され、国内では障がい者スポーツ大会で、ゴルフが正式採用されるように働きかけているそうです。 2013年には、「スポーツ祭東京2013 デモスポ障害者ゴルフ」を開催されています。
日本では、 ISPSが主催するPGAシニアツアーのプロアマに、必ずブラインドゴルファーを招待され、トッププロと交流する機会を作られています。それによってブラインドゴルファーや障害者ゴルファーのモチベーションが上がり、とても励みになっているそうです。海外でも、プロとプラインドゴルファーがプレーできるようにされています。
ざっと、ホームページや著作、バンフレットなどから、まとめたものを書いてきましたが、深見東州先生のゴルフにおける活動の足跡は、そのように国内でも、海外でも高い評価を受けてきました。この後は、2015年からの日本でのレギュラー大会の主催、そして、つい先日発表された、PGAツアー・オブ・オーストラレイジアとISPSハンダとの合体につながっていきます。そのあたりは、随時、書いていくつもりです。また、すでに幾つかの記事にしていますので参考にしてください。