ワールドメイトで学んだ、目標を達成する大砲の原理

本日から、ゴルフのメジャートーナメントの一つ、マスターズがオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで開催されます。国際スポーツ振興協会所属の谷原秀人プロは、ギリギリで出場枠に滑り込みましたが、現地で練習している姿が報道されていました。その谷原プロが出場を決めたデルマッチプレーでの活躍ぶりを、練習を見に来たギャラリーたちも覚えてくれていて、声がかかるようです。今回、10年ぶりの出場になるとのことですが、注目されているようですね。BIG4であるダスティン・ジョンソン、ロリー・マキロイ、ジョーダン・スピース、ジェイソン・デイを中心に、松山英樹プロなど、世界の強豪が勢ぞろいするマスターズですので、優勝争いが楽しみです。ぜひ日本選手の活躍を期待したいですね。

 

それから国際スポーツ振興協会は、今年からサッカーJ2の、東京ヴェルディのメインスポンサーになりました。ヴェルディは現在5連勝中で首位に来ています。ワールドメイト会員にもサッカーファンはいますので、そのことが、少し話題になっています。まだ始まったばかりとはいえ、この先もこの調子でいってもらいたいものです。

 

ところで、私のようなワールドメイト会員だけでなく、プロゴルフ関係者の間でも、国際スポーツ振興協会に関係するゴルファーたちがやけに活躍しているなと思ってる人がいるそうです。良い成績を上げるのは、もちろん本人の努力の賜物の結果だと思います。ただ、深見東州先生の考え方にも良い影響を受けているのかもしれません。

前にも一度書きましたけど、深見東州先生の考え方の一つに、大砲の原理というものがあります。この話は、プロゴルファーやプロボウラーで、同じように一生懸命努力しているのに、かたや何度も優勝し、かたや全く優勝できないというのは、どうしてなのだろうかというお話から始まりました。

それを一言で言うなら、目標が低いことが大きな原因の一つのようです。人は志す以上のものにはなれないと言うお話を、以前こちらでも書きましたので、そちらも参照してください。

ワールドメイト正月神業での、「人は志す以上のものにはならない」というお話

 

もちろん勝てない理由には、実際には様々な原因があると思います。しかし現実として、「人は目標とするところの少し下にしか行けない」という傾向があることを、一流選手たちとの交流を通じて感じられたようです。

それを例えていうなら、大砲で的を狙って打つと、重力があるため的の少し下に当たるようなものだそうです。だから的に当てようと思うと、的よりも少し上を狙わないと的に当たらないということになります。これでいくと、例えばゴルフツアーのメジャーで優勝したいと思うのなら、グランドスラムを達成し歴史に残る選手になることを目標にするとか、そのくらい目標を高くしないと、なかなかメジャーで優勝できないということになるのでしょう。これを大砲の原理というふうに言われていました。

 

いうまでもありませんが、ただ単に目標を上げさえすれば、その少し下に届くわけではないと思います。例えば私が日本の首相になりたいと思えば、知事くらいにはなれるとか、大臣にはなれるわけではありません。そもそもそんな目標を本心から思うことはないので、口先だけで目標にしたところで、叶うはずはありません。人は、叶わないことは、それを強く願うこともできないという人もいるくらいです。

やはり、目標というものは、寝ても覚めてもそのことを思い続け、本気で願い続けることができるものでないと、それくらいの情熱を持ってやれるものでないと目標とは言えないし、目標にならないと感じています。しかし、それくらいの情熱を持って取り組める目標であっても、ほとんどの人は自分で思っている以上に志が低いため、あるいは遠慮がちな性格なのか、高い目標ではあるけども、人に話して笑われない程度の妥当なラインを目標に設定しているのかもしれません。

日本の有望なアスリート達が、来たる東京オリンピックで金メダルを目標にしているとか、あるいはメダル獲得を目標にしているという話しを、インターネットや雑誌などで見ることがあります。それを見てもあまり違和感を感じません。つまり頑張ればそこに届くような目標だなと、周りから見ても思える範囲だからでしょう。しかし実際に金メダルを取る選手は、その中のほんのわずかな選手になります。物理的にメダルの数は限られていますし、しかも世界中の多くの優れた選手達が金メダルを目指してしのぎを削っているのですから、その中から勝ち上がるのは、当然並大抵のことではないでしょう。

そんな中で、金メダルを目標にしているように見えても、もっと大きなことを目標にして頑張っている選手が、最も金メダルに近い位置にいるのかもしれません。あるいは伏兵で、とうてい金メダル候補に上がってないような選手が優勝することもありますが。そのような選手は、実力からすると夢のような目標を掲げて努力してきたのかもしれません。

だから金メダルのような、高い目標を達成する選手というのは、やはりどこか意識が、他の人たちと違うのは間違いないでしょう。目指しているところが違うし、心の奥底の信念も違うのかもしれません。たくさんの優れた選手が金メダルを目指し懸命に努力する中から、頭一つ抜け出して優勝する選手というのは、そういうメンタルの部分でも、何かが違うのだろうと思います。

 

 

ところで深見東州先生は、みすず学苑という予備校も経営されています。そこの受験生にも、目標を高く持つように言うそうです。ここの大学に通りたい思ってやっていると、その目標スレスレで落ちたりするそうなので、だから目標を高く持つように言われるそうです。志望校にしても、ギリギリまで目標を下げないように言われるそうです。そうすると、その少し下の大学には通るのですが、安易に目標を下げてしまうと、その下げたところにすら通らないことが往々にあるからだそうです。これはよくわかる気がします。何事においても、目標を掲げた少し下の結果になることを知っておくと、いろいろなことに応用できるのではないかと思います。

 

では、なぜそうなるのかというと、「目標を高く持つと運を引き寄せる」と言われていました。運を引き寄せるのは、その人の意識であり心だということです。高い目標を持てば持つほど、そして、それをやり遂げようと言う強い意志を持てば持つほど、それにふさわしい運がやってくると言われていました。

強烈な意志の力は、不可能を可能にすることがあると言われています。その意志の強さとは、幸福を確信し、素晴らしい未来を描き続ける持続力と集中力だと言われていました。そんな並大抵ではない強い念を持つことができれば、強い運勢を引き寄せることができるようになるのでしょう。

想念術もこう言う原理から来ているようですが、真言密教の観想法には、昔からそれがあるそうです。観想法の説明は省きますが、想念術の上をいく観想法によって、密教では仏様の神通力が発揮され、病気を直したりしているそうです。さらにその観想法のルーツは瑜伽論(ユガロン)にあり、玄奘三蔵も、それを求めてわざわざ天竺(インド)まで行ったとのことです。

そして瑜伽論は、仏教の唯識論から出て来たものだそうです。森羅万象は全て仏様の意識の表現であり、人間の意識の中には仏様の部分があると言うことです。だから、現在は過去の結果だから変えられなくても、未来は、現在の一念次第で変えることができるわけです。人間の一念は三千大世界に感応すると言う、天台智顗の一念三千の教えもこれです。世の中は全て仏様(本仏)の意識でできているのだから、我々人間の意識の中にも、万物を創造する種が蔵されていることになります。だから今の意識次第で、未来を変えることができるわけです。これらの原理は、とても難しい内容ではありますが、現実に結果となって出て来ることを見ると、これらが真実であることを理解できると思います。

 

心では何を思っても自由なわけですから、だったら目標をもっともっと高く持っても良いわけです。それがその人の霊界を作ることになり、その意識の分だけ、その霊界ができた分だけ守護霊や仏様も守ってくれるそうです。その分だけ運も引き寄せられてきます。高い目標を持ち、強くて良いイメージを持ち、そのためにどう努力をするかを行なっていると、守護霊の応援が来るわけです。人は志す以上のものにはなれないとは、結局、そう言う意味なのでしょう。そして実際には、目標とするところの少し下の結果となって出て来ることが多いわけですね。

 

 

それから、そのようなことがわかってやったとしても、必ず失敗する経験、打ちひしがれるような経験を、何度もすると思います。しかしそれでも諦めずに、打ちひしがれる以上に、今度はその3倍の志を持ってやるんだと思い、足りないところはどこだったかを研究して、またやり続けるそうです。そうやって、やれるまでやり続けることが成功の秘訣であり、そこまでやるからこそ神仏も、その壁を越えるにはどうすればよいのか、見るに見かねて教えてくれるようになるそうです。現実には目標を達成するために、壁を越えるために助けてくれる人が出現したりするのでしょう。信仰心を持つ人であれば、そういう風にして壁を越え続けていくことができるそうです。

ここでいう信仰心とは、神仏を信じると言う意味に理解している人が多いと思いますが、本当は貫き通す精神のことを信仰心と言うそうです。神仏が来て壁を越えていけるまで、どこまでも諦めずに貫き通していく精神のことを、信仰心と言うのでしょう。そうしてまた次の壁がやってきても、どこまでもそうやって壁を越えていける人こそ、本物の信仰心を持つ人と言えるのかもしれません。ワールドメイトの深見東州先生は、まさにそのような方です。

 

最後になりますが、壁を越えることができる人は、ものの考え方も柔軟で、ネガティブでなく、あまり深刻で真面目に考えすぎないそうです。そのような軽い風船のような御魂になると、壁にぶつかっても、ポーンと弾むようにして越えることができるそうですが、固くて重い人は、壁にもろに激突してなかなか越えられないようです。

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