昨日は日本各地で東日本大震災で犠牲になられた方々の追悼式が行われました。私も個人的にワールドメイトで追悼の祈りを捧げ、二度とこのような悲劇がおきることのないよう願いました。
その中で天皇・皇后両陛下が参列された式典での、母、祖母、曾祖母を津波で亡くした、当時15歳の女性の追悼の言葉が胸をうちました。彼女は津波に流されて、気がつけば母がすぐそばで瓦礫に挟まれていました。助けようとしても、少女の力ではどうしようもなく、かといってそのままでは一緒に波に流されて自分の命も助からない。「行かないで」という母の声を聞きながら、彼女は「ありがとう。大好きだよ」と離れざるをえず、そして近くの小学校まで泳いでいき一命をとりとめたのでした。
当時、私もワールドメイトで、辛くも助かったワールドメイト会員から被災地での悲惨な話をいくつも聞きました。本当にこれが現実なのだろうかと唖然としました。おそらく、いまだにその悲劇を受け入れることができないでしょう。目の前でおきた悲劇を忘れることはできないかもしれません。喪失感や悲劇のフラッシュバックから立ち直るには、相当な年月がいることでしょう。現実を受けいれたくないという気持ちが伝わってきましたが、失ったものは帰らないし、現実も変わるはずが無く、それを考えると断腸の思いがしたことを改めて思い出しました。このような悲劇的な別れが、たくさんあったのが、東日本大震災でした。
当時は震災の直後から救援活動が始まり、義援金も世界中から集まりました。多額の支援をする人も次々と現れました。ワールドメイトでも、億単位での支援と、実際に 被災地まで物資を運んでいました。しかし義援金というのは、赤十字などを通じて被災者の手元にわたるまでに数か月かかるようでした。公平に分けるのが行政の役割ですが、あそこまで広範囲に被害が出ると、誰にどのように配れば公平になるのか難航するので、仕方のない面もあるのでしょう。
支援物資に関しては、もう少し臨機応変にしないと無駄が出てしまうと思いました。避難している人数分が無い場合は、受け取らないところもあるそうですから。もしワールドメイトの深見先生でしたら、小さな子供から優先するとか、年配の方から配るとか、色々なことを一瞬で判断して最善を尽くされるだろうなと思いました。
また、中年男性が物資の受け取り担当しているところでは、女性のための生理用品や赤ちゃんのためのオムツなどが届くと、要望が無いからと言って受けとらないところもあったそうで、これも女性や子供を大事にするワールドメイトでは、信じられないようなことでした。深見先生は「行政の手の届かないようなところを探して支援する」と言われていますが、これでは手の届かないところが多くなるはずです。ワールドメイトの場合は支援金をすぐに準備され、次々と情報を集め、支援物資を買い集め、現場に持っていかれていました。特に不足していたガソリンを、被災者に真っ先に届けたのは、ワールドメイトかもしれません。買い出しに行くにも車が必要なのが東北ですから、特に田舎になるとガソリンが無いと死活問題だったそうです。ガソリンを受け取られた皆さんの、すごく喜ばれていた声でも、そのことが伝わってきました。
実はワールドメイトでは、ワールドメイト特別救援隊が早くから結成され、細やかな救済活動をされている様子がメルマガなどで配信されていました。20キロ圏内は避難し、30キロ圏内は屋内退避という状況のときも、ぎりぎりのラインから、40キロ、50キロ圏内に住んでいるワールドメイト会員の自宅や支部を訪問し救済活動をされていました。
もちろん公の避難所にも行き、物資を届けてありました。そのなかには、行政も民間も一度も救援にきていない避難所もいくつかありました。何百人もの避難者がいて、本当に感謝されていたそうです。役場の人も感激して市長に報告していました。本当に救われて良かったです。
茨城北部なども、村々で救援が足りてないところがいくつもあり、だれも把握できてなかったようです。そういう孤立したところにまで、人づての現場の情報を頼りに、どんどん奥まで救済に向かったワールドメイト救援隊は、神がかっていたのでしょう。
深見先生の指示が最初にあったそうですが、現地の情報で、ここまでわかったとのことでした。直接に現場に行った人たちのお話しや写真を見ることができたので、ニュースでもわからなかった複雑な状況なども知りました。たとえば自主避難対象の地域などでも、まだ自宅に残っている人が多く、ガソリンが無くて動けない人や、様子を見ていた人も多い感じでした。なかには生まれ育ったところを離れると、後から戻った時にあの人は逃げたといわれるので、ここにとどまりたいと言う人もいたそうです。また、介護の必要なお年寄りをかかえて動きがとれない人などもいて、現場にいない私たちワールドメイト会員にも、リアルな現場の複雑な状況が伝わってきました。
被災地域にあるワールドメイトのある支部では、ワールドメイトから届いた物資や義捐金で、その地域の会員を助けに回っているところもありました。自宅まで救援物資を届けてもらい救われた会員は、深見先生がこんな末端会員のところまで見捨てずにわざわざ来て助けてくださるなんて、本当に感謝しますと言われていました。無事に救われて良かったです。
そこまでやれれば救えるかもしれないと思っても、放射能汚染の緊迫した状況下では、実行に移せる人はなかなかいないと思います。そもそも東京ではレンタカーが借りれないし、トラックも無かったそうですし、それに加えてガソリンはほとんど手に入りません。しかも原発事故で高速道路も使えないですから、普通は行政に任せるしかないところでした。なのに全国から、なんとかして集め、困っている人のところに迅速に持っていかれた深見先生の決断力と行動力は、驚きと尊敬に値します。この大震災が起きる直前に、「愛の究極は行動だ」と言われていましたが、それをいつも実行されている先生だからこそ、その言葉が言えるのでしょう。
しかし災害がおこってからでは、いくらすばらしい救援活動をしても、取り返せないものがたくさんあることを痛感しています。もしも悲劇がおきる前に、これを絶つことができるものならと感じたワールドメイト会員はたくさんいたでしょう。支援活動はもちろん尊いことですが、それより尊いことがあることに、ワールドメイト会員は気がついたと思います。
最後に、復興への道のりはまだまだ険しいと思いますが、一刻も早く救済が進んで、被災者の皆さんがひと時も早く救済されますように祈念いたしております。