氷見で行われていたワールドメイトの伊勢神業が無事終わりました。
それにしても、神事の申し込みは早くに締め切られていましたが、そのあと三日近くお取次ぎがなかったので、一時はどうなるのだろうと思いました。やはり、これだけの大きな内容の神事ですから、そう簡単なものではないことを実感しました。
会社でも、大きなプロジェクトを行うときには、様々な邪魔や妨害、困難が起きますが、ワールドメイトの神事も、大事な神事であればあるほど、霊的な邪魔が強いようです。それらを乗り越えて、深見東州先生は登場されました。
登場された後は、連続11時間くらいでしょうか、ぶっ通しでお取次ぎをされ、メチャクチャ感動しました。
特に今回は、先日痛められた足が回復されたばかりのようで、無理をされなくて良いのですが、やはりそうはされませんでした。
毎回そうですが、今回は特に長時間にわたり丁寧な、マンツーマンを含むお取次ぎを、時折雨も降る寒い中でされていました。
あそこまでされると、見ていて深見先生に対して申し訳ない気持ちにもなりますが、最後まで現地にいたワールドメイト会員にとっては、本当に感謝感激だったことでしょう。
日本や世界のため、神さまのためにおとり次をされているのに、参加したワールドメイト会員にも厚く報いられる深見先生の御姿を、私たち会員も鏡としなければいけないと感じました。
おそらくここまでされる教祖様も珍しいでしょう。お取次ぎの最中は真剣勝負なので厳粛な厳しさを感じますが、終わるとあふれる愛情をすぐに行動に移される深見東州先生です。そこが愛されるゆえんの一つなのでしょう。
一足先に、後ろ髪惹かれつつ会場を後にした私としては、最後の最後まで参加していたワールドメイト会員の仲間たちにも感謝です。
ところで、今年は春にも、氷見でワールドメイトの神事が行われました。
3月11日に起きた大地震の前に氷見で神事が行われたのですが、この時は、私たちワールドメイト会員の意識に油断があり、十分な祈りの結集ができず、やり直すことになりました。ところがその数日後、あの大地震がおきたので、神事も4月にずれ込みました。
本当は最初の神事がどうしてもできなかった後、深見東州先生は、ふと地震や洪水などの災害がおきなければよいがと、とても心配されてました。そして、悲しいことに怖れていたことが、本当におきてしまいました。
いくらワールドメイトが神事を行っても、災いがすべてなくなることはありません。それはわかっていても、この時ばかりは、どうしてこんなことに、という気持ちでいっぱいでした。あの時もしも神事ができていればと、悔やんでも悔やみきれない思いがありました。
そして4月の神事では、悪性鳥インフルエンザの感染爆発がおきないように祈り、かつ、原子力発電所の大事故の状況が危険でしたので、その危機が収まるように真剣に祈りました。何しろ、あの時は、福島第一原子力発電所の事故の事で、連日日本中が持ちきりでした。特に東日本の人たちは、一体どうなるのだろうという不安でいっぱいでした。なのでこの時は、前回の轍を踏みたくなかったこともあり、参加したワールドメイト会員も多く、皆、心がこもっていました。そんな時、3か月で収めると、神事で神示されました。
その後は記憶から消えていましたが、実は先日のワールドメイト氷見神業の時に、下記のニュースに気がつきました。
福島第一原子力発電所所長への、震災後、初のインタビュー記事です。
吉田所長は白い防護服姿で取材に応じ、「3月11日から1週間で死ぬだろうと思ったことは数度あった」と事故直後を振り返った。
吉田所長は、最初に1号機で爆発があった時のことにふれ、「どういう状況かわからず、最悪、格納容器が爆発して放射能が出てくることも想定した。メルトダウン(原子炉内の燃料が溶けて底に落ちる炉心溶融)が進んで、コントロール不能になってくれば、これで終わりだという感じがした」と述べた。
危機的な状況からいつごろ脱したと感じたかについては、「6月いっぱいまでかなり大変な思いをした。本当に安定してきたのは7、8月」と明かした。
(報道陣の質問に答える福島第一原発の吉田昌郎所長=12日午後1時10分)
という内容がニュースで報道されていたのです。
まさにあのとき神示されたように、ぴったり3か月で史上最悪となりかねなかった危機は、収めて下さっていたのです。それを現場の一番よくわかっている人が証言しているのです。これには驚いてしまいました。記憶から消えていたなんて、本当に神様に失礼なことをしたなあ〜と思いました。
もちろん現実には、現場の所長さんはじめ、命がけで決死の作業をして下さった方々のおかげです。仕事とはいえ、現場で放射線を浴び続けるという、長期間の劣悪な環境のなかで作業を続けた人たちのおかげです。現場の人が一番大変でした。その努力が報われて、その方たちも、私たちも本当に良かったと思います。
もちろん完全な終結までには、この先何十年もかかるでしょう。一日も早く、完全に汚染の後始末の処理が済み、復興も軌道に乗りますように願っています。
それから、今回の氷見で行なわれた、ワールドメイトの人形形代の潔斎後、証がありましたので、それも書いておこうと思います。
私の知り合いの人の親御さんで、膵臓癌で苦しんでいる人がいましたので、私が人形の基本形と膵臓の形代を書いていました。するとずっと苦しんでいたのが、その知り合いから「なぜか最近父親の調子がとても良くなった」という話を、氷見から戻り、しばらくして聞きました。すい臓がんは良くなる事が難しい癌で、家族もご本人も、すでに覚悟はしているそうです。それでも少しでも楽にさせてあげたいという気持ちは、ひしひし感じましたし、本当に良かったと思います。
また、私の知り合いのワールドメイト会員は、人形形代の年齢みそぎという、ゼロ歳から今の年齢まで、一枚一枚書いていくというやり方をしていました。すると、ある年齢の形代を書き始めると、急に涙があふれて止まらなくなったので、とても驚いたそうです。その話を聞いて一緒に考えていると、その年齢の時には、とても悲しい思い出があったことを思い出してびっくりしていました。つまりその年齢の時に、心が傷ついていたのでしょう。そういう悲しいことがあると、それが原因となって、その後の人生に悪い影響を及ぼすことがあるようです。本人の記憶からは、ほとんど消えていたようですが、実はその年齢の時の悲しい出来事が、その後の人生に暗い考え方となって残っていたようです。本人はそれ以来、自分自身の気持ちがすごく晴れやかになっていることに気がついたそうです。その年齢の時に経験した、今の暗い考えの原因となっていた何かが、消えてしまったのでしょう。
今回の人形形代からは、現実に悪いことがおきる前に消してしまうという働きが足されたそうです。これでワールドメイトの人形形代を書くのが、一層楽しみになってきました。
それからいつも思うことですが、深見先生の人形形代を潔斎される時の祝詞は本当に神技です。微に入り細に入り、事細やかで細大漏らさず表現されます。表現力が霊力につながるそうですから、だからワールドメイトでは、打てば響くように人形形代の証が出るのでしょう。