文芸家の時は、「深見東州」ではなく、戸渡阿見というペンネームを使われますが、延び延びになっていた新刊小説がとうとう出ましたので、今日はその「おじいさんと熊」という短編小説を紹介します。
とうとうと言っても、2月下旬ごろから店頭には並んでいたようです。私が購入したのがゴールデンウィークでしたので、とうとう買ったという表現が当たってますね。
まず、戸渡阿見(深見東州先生)の小説を読んだことがない方のために一言書いておきますが、これは短編集です。それも原稿用紙にすると7、8ページくらいのショートショートのような作品が多く、長いものでも30ページほどだと思います。長編、中編の長くて読み応えのある小説が大好きな方には合わないかもしれません。でも、星新一や筒井康隆のショートショートが好きな人でしたら、全く問題なく好きになるのではないかと思われます。
かくいう私も、ほとんど短編集は読まないたちですが、こちらの戸渡阿見短編集は、毎回、なんども読み返してしまいます。短いので、一編はあっというまに読むことができますが、その中に笑いがあるものあり、ホロっとするものあり、そして少しエッチな部分があったり(エロティックではありません)、そして何と言っても、心温まるメーセージ、あるいは世界観が広がるようなメーセージや気づきがちりばめられています。短いからと言って、そう単純な作品ではないのでした。
そもそも深見東州先生は画家でもありますが、絵を描くのもとても早いそうです。大きな絵でも、大体1〜2時間で完成させるほど早いと聞いています。私もそうでしたが、絵の良し悪しのわからない人は、きっちりと細部に至るまでリアルな描写で書いてる絵を上手いと思い、それが優れた画家の条件のように思う人もいます。しかし、絵の目利きと言われる求龍堂の松井編集長という方から、巨匠の絵のポイントを聞いた時に考え方が変わりました。巨匠と言われる画家のポイントは、「素朴・純粋・稚拙」にあるそうです。つまり、巨匠と言われる人たちは、磨かれた魂を表現するために、あえてうまく描こうとせず、写実的にきっちり描かない人が多いそうです。印象派の巨匠は特にそうなのだそうです。
そして、深見東州先生の絵画を見て、やはり「素朴・純粋・稚拙」の要素がある巨匠の描く絵だと評価されました。深見東州先生の絵画は、そのようにわざと稚拙に描かれているものが多いので、その分短時間で描けるのかもしれません。
そういうことを聞いて、印象派のモネやドガなどを見ると、確かに稚拙な感じで描かれてますね。また、印象派の後、さらに様々な方向へと発展させたと言われるセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの絵画などを見ると、いよいよ「素朴・純粋・稚拙」という言葉がビッタリきます。その後のマチス、ピカソなどもそうです。写実的な絵も描けるのでしょうけど、実際に傑作作品になると、色彩といい、構図といい、リアルな写実的作品ではないものが多いです。そういう巨匠たちの作品を「素朴・純粋・稚拙」というポイントで言い表す松井氏の表現は、かなり的確なのだろうと思います。
話を戻しますと、そのように巨匠の絵になると、写実的に描いてないものが多いのですが、時間がかかっても細かいところまでリアルに描く画家が優れた画家だと思う人は、今でも多いと思います。同様に小説の世界においても、キッチリと書かれた長・中編小説だけが小説だと思い、短編小説を見下す人が多いそうです。
しかし、また絵画の話になりますが、ピカソのように生涯に1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作するような巨匠は、すべての作品を細かく書いたりしないですし、そもそも一作に長時間かけてしまうと、そんなに多くの作品は描けないでしょう。
小説も同じで、個人的には長編ものは好きですが、長編に比べると短時間でかける短編小説を低く見るのは誤った思い込みからくる偏見だったことに気がつきました。
ということで、今回の「おじいさんと熊」ですが、路線的にはこれまでの流れの上にあると言えます。その上で、個人的には最高作だと思いました。
まず、簡潔明瞭で素朴で無駄のない、それでいて予測できない表現豊かな文体が、私はとても好きなのですが、それにますます磨きがかかり、これ以上の完成度はないのではと感じました。文体にリズミカルな調べがあり、読むだけでも気持ち良いです。その行間には情感が溢れ、詩的な味わいがあり、読むだけで光景がありありと浮かんで、思わず笑ってしまったり、ドキッとしたりします。深見東州先生によると、吉川英治の文体に強く影響を受けたのだそうです。文体そのものは別にして、吉川英治の作品を読むと、流れるように作品の中に引き込まれ、感情を揺さぶられるのですが、戸渡阿見作品も、その世界観は吉川英治とは違うものの、やはり流れるように引き込まれてしまう文体だなと気がつきました。
そして、本当に短い作品ばかりなのに、そのなかに、あっさりとではありますが、普遍的な人類愛や宗教哲学があったり、現代の世相を反映した味わい深い教えがあったりします。今回の中にも、「残酷な天使のテーゼ」、「フランケンシュタイン」など、そのような作品がいくつかありました。よく読まないと、気がつかないかもしれませんが。
それから今回の表題作になった「おじいさんと熊」の冒頭にあるような、「いろいろといやな事もあったが、今までで、一番良かったことは何かと言えば、やっぱり……、あれだな。わしが、一時人間をやめ、熊になってた時だ。あの時は、シャケも手掴みで取れたし、どんな人間もわしを恐れた。人も3人殺して食べたが、若い女は特においしかった。もう一度、熊に戻って、蜜のような味の、若い女を食べたいものだ」から始まる、どこにもないようなシュールな物語は健在です。筒井康隆の小説にならあるかもしれませんが。
しかし、そこから意外な展開になり、最後には、命ってなんだろうな、生きるとはみたいなことをボジティブな気持ちになって考えさせられます。また、物語の不思議さと意外性がある中に、笑える楽しさがあったり、考えさせられるものがあったり、胸にくる温かい感動があったり、いろいろな思いも同時に楽しめる作品になっています。ただ、暗くなるようなリアルな深刻なテーマを扱ったものはありません。あっても、暗くならないような展開になっていると思います。それはなぜかというと、普段の会社運営や宗教活動を通して、現実社会の問題に直面し、それを解決したり改善したりしているので、わざわざそういうものを文学にまで持ち込みたくないからだそうです。
そういう重い暗いテーマが好きな人には合わないかもしれませんが、時には理屈抜きに楽しく、豊かな気持ちになれる文学に触れるのも良いのではないかと思います。